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『想い出あずかります』ノート

吉野万里子著 新潮社刊

 海沿いの街の崖の下に一軒の石造りの家があり、そこに魔法使いが住んでいて、質屋をやっていることは、子供たちしか知らない――荒唐無稽に思える舞台設定が妙にリアルに思えるのは、思春期の人間の感情の揺れ動きの機微を、魔法使いという人間とは違う存在の解釈を通して描いているからだろう。

 この質屋の看板には「おもいで質屋」と書いてある。この質屋に預けることができ
るのは〝想い出〟だけ。それを質草として預かり、魔法使いがそれを評価し、なにがしかのお金を子どもに渡す。するとその預けた想い出は頭から消えてしまう。しかしこの質屋に預けたことは記憶に残っているのだ。
 そしてその子が20歳になるまでにお金を返してくれたら、預けた〝想い出〟は返却する。でも20歳になるまでにお金を返してくれなかったら、その質草は流れてしまい、その想い出は預けた子どもの記憶から永遠に消えてしまう。そしてこの質屋の存在さえも記憶から抹消される。

 小学生の遥斗(はると)は、4歳離れた兄の大和(やまと)とこの質屋に初めて行く。そして、ゲームソフトを買うために、母親との想い出――楽しいものも悲しいものも含め――この魔法使いに預けるのだ。ただし、一日に一個だけしか預けられない。
 店主の魔法使いはこう言う。
「想い出なんて、なければないで、別に困らないものなのよ」。

 もう一人の主人公である永澤里華。中学の新聞部の部長である。彼女はこの質屋の噂を聞きつけ、この魔法使いに取材に行く。
 質屋の建物へ降りていく階段の数が、降りるたびに違うという噂がある階段を降り、魔法使いに取材を申し込む。その姿は想像した魔法使いのようではないが、カタツムリが窓硝子の掃除をしたり、リスが紅茶を入れてくれたりしている不思議な光景を彼女は見る。
 インタビューの中で魔法使いは、人が人に会いたくなることについてこのように言う。
「わたしたち魔法使いは永遠の命を持っているの。だから、今会えなくたって、将来いつか会える。あなたたち人間が、とっても誰かに会いたくなるのは、いつか永遠に会えなくなる日が来ることを知っているからよ」。

 思春期の恋愛ともいえない好き嫌いの感情について、魔法使いにはその様な感情はないと言いながら、好き嫌いよりもっと大きなものがある。それは無関心だと言う。

 里華と芽依の友情や男女のすれ違い、いじめ、遥斗の母親の交通事故死などを巡って、魔法使いの彼女はこのように言う。
「人間って不自由で面白い生き物だと思ってた。自分で自分の心すらコントロールできないんだもの。魔法使いは、やろうと思えばなんでもできて、何もかもコントロールできる。でも、選択肢が多いのは、いいこととは限らない。かえって後々悩むこともあるのね」。

 有限の生を生きていくことの意味は何か、友情や愛情はなぜ存在するのか、思うようにならない不条理をどう捉えたらいいのか、一読して奇抜な設定のなかに、自分という存在と想い出とは何かを考えさせてくれる作品である。
 最後に魔法使いの一言。
「想い出にならない人。それが運命の人よ」。

(この作品は、noteの存在を教えてくれた若い友人が、木シリーズのひとつとして紹介してくれた8冊目の本です。)

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