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なんで諦めちゃったの?

以前、編集者や広告制作として勤めていた会社をやめるとき、お世話になったライターさんたちが送別会を開いてくれた。

そのときに言われたことが今でも忘れられない。

「ねぇ、なんで諦めちゃったの?」

発言の主であるサトシさんはベテランの情報誌ライターで、20ほど年上のハッキリとした物言いをする人だった。このときの言葉には失望を含んでいた。

わたしが入社したばかりの頃、職場は毎日終電やタクシーで帰るようなひどい有様だった。当時は若くて体力もあったので、情報誌の編集部ってこんなものなのかなぁ、とさほど疑問も持たず働いていたが、体調不良を訴える者が続出し、いよいよ会社が重い腰をあげざるを得ない悲劇まで起きてしまった。

今後の制作物は60点を目指してください。

働き方改革の一つの動きとして、所属する部内の方針がそう打ち出された。合格点ギリギリ超えればよし。それ以上、クオリティを高める必要はない。今までのスタンダードだった「なるべく100点を目指す」やり方が、一転して悪と見なされるようになった。

わたしは主に「タイアップ記事」と呼ばれる、クライアントの広告を記事風に制作する仕事をしていた。月刊誌で、仕事は直近の号から3〜4ヶ月先の号まで同時進行。抱える仕事量はだいたい一ヶ月で10〜15本ぐらいだったろうか。1ページ企画もあれば12ページ企画もあって、ボリュームも様々だった。

編集や広告の仕事はたくさんの人が関与する。特に広告はクライアントの声が大きいから、それまで赤と指示されていたものを急に青へ変更するなんてのは日常茶飯事で、多くのすったもんだを残業しないでやりこなすというのは、なかなかに骨が折れる作業だった。

100点を目指していたものを60点の状態でOKとして納品する。この場合に必要となってくるのは当然「妥協」だ。

もちろん、広告であればクライアントに認めてもらうものでなければならないし、編集部主導の記事だって、媒体の顔と見なされる以上は最低限の品質は保たなければならない。

でも、傍から見ると、手抜きとも思えるような言動が増えていったのだろう。「これでOKです」というラインが明らかに下がった。

わたしがいた編集部では、企画段階からライターに入ってもらうことも多かった。概要を伝えて、それに沿ったコンセプトや打ち出し方を考えて企画書にまとめてもらう。部内の担当者がそれをチェックしてGOサインが出たら、ライターは取材やライティングを開始する。

冒頭のサトシさんは、ご自身の考えを強く持っている方だった。わたしはわたしで、相手が年上だろうと経験豊富だろうと譲れないときは譲らない性格ゆえ、何度もぶつかりあった。すべては良いページにするため。読者に喜んでもらうため。

サトシさんは心底がっかりしていた。編集者であることよりも、会社員であることを優先したわたしに。こだわって作ることに白旗をあげたわたしに。

「僕は君と仕事するのが一番怖かったし、一番楽しかったんだけどなぁ」

ショックだった。彼の「諦める」という言葉は作り手としての魂が死ぬことを意味していた。

noteを書いていて「あー無理だーーー」と思うことがしょっちゅうある。考えがまとまらなかったり、どうも流れが悪かったり、直しても直しても納得できない。でも、もう公開しちゃおっかな。時間もかかってるし。そんなとき。

「ねぇ、なんで諦めちゃったの?」

どこからか、サトシさんの言葉が飛んでくる。うぐぐっと喉の奥が詰まって、公開ボタンを押す手が止まる。

一日、二日の猶予ができたからって、書いているものが劇的に良くなるなんて思っていないけれど、でも。

サトシさんと仕事をしていたあの頃、わたしは60点を量産したことをとてもとても後悔している。

その時々で、書いたものにちゃんと納得したい。もちろん見切りも必要だ。100点を目指し続けていたら一向に公開なんてできないだろう。そもそもどうあれば100点かなんて、誰にもわからない。

だから点数というよりも、せめて「わたしは、わたしが書いたものが好き」と胸を張って言える自分でいたいんだ。

人それぞれ、諦めたくない部分を持っている。書くことに特化していえば、毎日更新することかもしれないし、無理なく続けることかもしれないし、想いを書き切ることかもしれないし、コンテストに入賞することかもしれない。

ここには、いい意味で諦めの悪い人がいっぱいいる。そういう場所だからこそ、自分も安心して書き続けられるし、どうか仲間でいさせてくれ、なんて思うんだろうな。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。