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人の生き様を茶化すな

先日こんなツイートをしたところ思いがけず大きな反響をいただいた。

わたしは30歳を過ぎてからアメリカに旅立ったのだけれど、計画(というかすでに決定事項)を打ち明けたときの反応は本当に様々だった。

「がんばってね」「あなたらしい」「刺激になるよ」と肯定的に応援してくれる人がたくさんいる一方で、ネガティブな声も少なくなかった。

一人でやっていけるのか、治安は問題ないのか、仕事はどうするのか、貯金はあるのか、、、

心配してくれるがゆえのお言葉はありがたく頂戴した。そもそも大きな決断をするにあたって、あんまり人に相談する性格ではないので、まわりはとてもびっくりしたようだった。

そりゃそうだよね、こんな急に「海外に行く」と言い出したら驚くだろうし、懸念のほうが先立つよなぁ…と、それぞれのリアクションをストレートに受け止めていた中、ある同僚が放った一言が引っかかった。

「え、マジで!?なんでやけっぱちになってんのw」

……は?と思った。

たしかに当時、仕事は好きだったけれど「このままでいいのかな」というぼんやりした不安を抱えていた。また、恋愛はからっきしダメでよく振られてもいた。そうでなくても、結婚願望そのものが特になかった。でも別に自暴自棄になっていた訳でもない。

そういう絡み合ったゴチャゴチャした気持ちを、その人に話していたかどうかはもう忘れた。

いずれにせよ、時間をかけて、悩みに悩んで、両親に寂しい思いをさせるとわかった上で決めた、人生の大きな決断を「ヤケクソ」呼ばわりされることはとても心外だった。

他人の人生に口を出す権利なんてない

誰かが自分とはまったく異なる別の道に進もうとしたときに、応援でもない、心配でもない、ただ外側から揶揄する人は一定数いる。

一体、何の意味があるのだろう。

他の人の決断にあれこれ物申す人ほど、自らは何も変化を起こさないことのほうが多い。なのに潜在的に今の状況に不安を抱えていたりもする。

相手のやり方を否定的に見ることで、自分の選んだ道が正しいのだと言い聞かせているのかもしれない。

大事にしているものとか、尊重しているものとか、人それぞれ違うんだから、お互いの選択を認め合い、良い意味で違いを面白がれるほうが関係性としては健全だと思う。

からかったり、攻撃したり、するなんて論外だ。

自分軸で生きようとしている人は尊い

他人軸ではなく自分軸で決断することは、とても勇気がいる。決断は行動に繋がっていく。言うのとやるのとは大違いだ。

外野からあーだこーだ意見するだけなんて、誰でもできる。

冒頭のツイートでは、恨み節のようなつぶやきだったにも関わらず、コメントやDMで「共感しました」「その通り!」という声をたくさん掛けてもらった。

似たような経験をした人、多いんだろうな。

また、海外に行ってみたいと考えている方たちから質問や相談もいただいた。

できる範囲で回答させてもらったのだけれど、言葉が届く感覚を得て、わたしはこういう「自分の意志で一歩踏み出したい人たち」を応援したいんだなぁ、ということに改めて気付けた。今後の道標になりそう。

図らずも、4月を迎え、元号が変わった。新しいスタートを切る人も多いはず。

他人の声に惑わされず、突き進もう。わたしもそうするつもり。


最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。