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『好き』は相手を知るためのきっかけにすぎない、のかも。

『好き』という共通点があったとしても、それだけでは『好み』までもが一致しているとはいえない。

『好き』が同じ人は案外見つかる。それはきっと『好き』という二文字が持つ幅が広いからなのかもしれない。

『好み』が同じ人はというと、そんな容易ではない。表面的には現れていない、人それぞれの奥底で大事にされている感性、それが好みだと私は思っている。これは個人的な意見。

だから『好き』の向かう先が同じだったとしても、たどり着く先が同じとは限らない。好きが同じ、だから好みも合うという方程式は成り立たないのではないか。私たち気が合いますね、好きが一緒だからといってその言葉を口に出すのは早すぎる。


ひとりの時間が好き、韓国ドラマが好き、漫画が好き。世の中には数え切れないほどの『好き』が溢れている。

この場合における『好き』は便利な言葉だ。とりわけ初めましてや知り合ったばかりの相手との会話では頻繁にでてくる。もはや聞かないことはないのではないか、そうとさえ思うほどに。

この夏みつけた私にとっての好きが詰まったカフェ

先日、とある知り合ったばかりの相手とお互いの趣味を話していた。

趣味は何ですか、そんなありきたりな質問。私はテンプレートのように「カフェ巡りが好きです」と言葉を返した。嘘はついていない、もちろんカフェ巡りは大好きだ。

すると相手から「私も好きです、気が合いますね。」そう言葉が返ってきた。気が合いますね、その言葉に何かしらの疑問を抱えながら会話は続く。

「せっかくですしおすすめのカフェを教え合いっこしたいです、ちなみに私が好きなところはここです。行かれたことありますか?」その言葉とともに個人的には初めましてなカフェの名前が添えられていた。

どんなところだろう、そんな興味でGoogleの検索にコピペした店名を貼りつけEnterをぽんっと押す。するとそこにはインスタ映えを狙った可愛い女の子やカップルのおしゃれな写真が溢れかえっていた。

その瞬間、私の脳内ではこの人とは好みは合わないんだろうなという黄色札が上がった。相手の好みを否定するわけではない、ただ私とは好きの種類がちょっと違ったというだけ。「素敵ですね、可愛いカフェを教えてくれてありがとうございます。」そう返事をして話題を掘り下げることもなく、会話のラリーは自然に終わりを告げた。

同じカフェ巡りが好きという共通点、でもその奥を探ってみるといくつもの分かれ道が存在する。どんなカフェが好きなのか、カフェ巡りの何が好きなのか、どんな楽しみ方なのか、一人なのか誰かとなのか、切り口は探せば探すほどでてくる。

私も好きです、気が合いますね。その言葉に抱いた違和感の理由が少し見えた気がした。


好きという二文字、その種類も持つ意味も人それぞれ違うんだろう。

同じ「好き」という共通点を見つけるのは、出会いの始まりに過ぎない。その次にくる「どんなところが好きなの」という問いからやっと相手を知ることができる。相手を知りたいから『好き』の次を探ろうとする。

『好き』の向かう先がたとえ同じだったとしても、その次にくる分かれ道でどれを選ぶのかが同じとは限らない。

その分かれ道に差しかかったとき、自分と同じ方向を同じ気持ちで選ぶ人はこの世界にいるのだろうか。まったく同じ人はいないにしても、近しい何かを抱く人はきっといると私は信じてやまない。

そんな人に出会いたいから、今日も私は自分の『好き』を写真や言葉で表現しようとしているのかもしれない。まずは自分の好きの種類を知ってもらう必要があるから、ね。


趣味について以前書いたnoteもよかったら。





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