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「ほんとう」

7月からクンダリーニヨガというヨガをはじめた。先生はマレーシアに住んでいて、zoomで週に1回オンラインレッスンを受けている。

耳慣れないヨガの名前を知るきっかけになったのは、note。

ある日偶然おすすめの記事として上がってきた、「英語も運動も苦手の中年女性、海外でトレーニングを受ける話」。書いたのはエイミーさんという方。名前から、向こうの方?と思ったけど、どうやら日本人の女性みたい。(この名前がつくプロセスにもドラマがある)住んでいるのはマレーシア… 自分が生きている日常の世界と近そうで遠そうな気もするし、だけど、どこか遠そうで近そうな気もする。そんな不思議な世界から発信されているそれは、一度読み始めたら(結構長いマガジンなのだけど)その手を止めることができなくなってしまう、なんだか分からないけど「ものすごいもの」だった。なんだこれは。読みながら、泣きながら、「なんか、出会ってしまった!」と思った。

そして、今、エイミーさんのヨガのレッスンをはじめて4ヶ月目くらいになる。クンダリーニヨガのある日常が開かれて、私は嬉しい。あの日、あの記事を私におすすめしてくれたnote、ありがとう🧘‍♀️

そして、そのエイミーさんが、小説を書いたらしい。そして、それが出版されるらしい。えっ。想像の斜め上をいく展開。だけど、なんだろう、すごくワクワクする。生徒さんの間に呼びかけられた読書会に、私はドキドキしたけれど、参加してみたい、と意思表示をした。

エイミーさんの小説「ジミー」は、高校生のマイと転校してきたクラスメイトのジミーを軸に、日常が描かれていく。淡々と繰り返す日常。淡々と繰り返されるはずだった、日常。少しのひっかかり。それはノイズ?それとも福音?淡々と繰り返されていると思っていた日常が、実は全然淡々とではなかったと思い至る時、世界は姿を変え、くるりと反転する。主人公のマイはその時、何を考え、何を想い、どうするのか。

noteのマガジンがそうであったように、あっという間に一読した。エイミーさんの文章は、心のひだの中を炙り出すように描かれる。自分ならなかなか言葉にできない空気感を言葉の後ろにある気持ちを細かく拾い上げていく。

それはきっと、普段私が無意識に「なかったもの」にしてしまうような、小さな小さなこと。

しかし、どんなに小さなことでも、なかったことにされた事象は「ここにいる、気づいて」と声をあげる。まるで、小さな子どものように。そしてどんな小さなものも、積もれば即ち山となる。そうしてできた山はいつしか「私」を圧迫するようになる。

ありのままに生きる4歳を見て暮らしながら、自分が今までどれだけ大きな山をつくりながら生きてきたのかを思い知った。今は、感情の絡まった糸を解くような作業をしていると日々、感じる。

その苦さに覚えがあるからこそ、マイの苦しみも閉塞感も、言葉と行動を通して、切実な鋭度をもって胸に迫ってくる。

ある音楽プロデューサーの方が、「音楽は聞いた人の生活の中で機能する。それが大事なこと。」と言っていた。

エイミーさんの文章って、そういうものを持ち合わせた音楽みたいだな、と思う。読んだ人のこころに、生活の中に、機能していく、文章。

苦悩、孤独、悲しみ。しあわせ、喜び、感動、ユーモア。感情の色を包み隠さずに、細やかに写しとる。

大丈夫。

ジミーを読んでいると、遠くから、いつものヨガの時間のようにエイミーさんの声が聞こえてくる気がする。

「ジミー」って、気づきの物語。

◆エイミーさんのnote👇



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