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運命の一冊より、今この一冊を手にしたい【塩中ABDレポート2022】

noteはすっかりご無沙汰していました。

この3ヶ月ほど、本を作ったり、古本屋として出店したり、中学校にて授業をしたり、いろんな体験をさせていただき、忙しく過ごしておりました。

特に中学校の授業は、昨年は1授業ごとに記事をまとめていたのが、今回はあっという間に終えてしまっていました。
昨年と比べて全体を見ることで、何か見えそうな気がしてきます。そこで今日は、ここ中学校での授業についてまとめてみようと思います。

2年目になった中学校でのABD授業

昨年に引き続き、中学校の総合学習の授業で、ABDという読書会を行いました。
約半年間、全9回にわたる長期の講座です。今年は1年生から3年生まで、19人が参加してくれました。
(昨年の様子は下の記事を参照ください)

今年は「メディア・リテラシー」のようなサブテーマを掲げず、純粋な読書会としてスタートしました。
それは昨年の経験から、「自分で読みたい本を選び、誰かと一緒に読む」という経験を上回るものはないと思ったからです。

今年も、最初にABDという読書会を知るために、3回ほど私が選んだ本でABDを行いました。その後、生徒一人1冊ずつ、自分で読みたい本を選んでもらい、それをお互いにプレゼンしあって、最終的に選ばれた本でABDを実施する、という形式で全9回の授業を進めました。

授業コマ数や生徒数などは昨年度とほぼ同じなのですが、実は今年の授業は、ちょっぴり苦戦しました。

特に難しさを感じたのが、生徒自身が読みたい本を選ぶ時間です。

昨年は近隣の塩尻市立図書館にご協力いただき、3万冊以上の蔵書を誇る図書館を貸し切って、生徒が自由に本を選ばせていただきました。ところが今年は、日程が一部短くなり、校外に外出する時間が確保できなくなりました。

そこで今年は、「こちらが行けないならば来てもらおう」ということで、会場を中学校の図書館に移し、市立図書館の方には可能な限り本を持ってきていただきました。また私が本屋になった立場も利用して、図書館にはまだ並んでいない新刊を書店から持ってきて、並べました。こうすれば、元々の学校図書館の蔵書と合わせて、そこそこ選択の幅があるはず、と考えたんです。

市立図書館からお借りして並べた本。

しかしながら、昨年の3万冊と比べると、幅が狭まったことは否めません。
昨年とは選ぶ時間も異なるので純粋に比較できませんが、今年は、自分の興味のど真ん中を射抜く本には出会えず、苦戦した生徒もいたように思います。

それでも「全く興味がない本を適当に選んだ」という生徒は、いなかったように思います。

何より今回は、事前に自分の興味を書いてもらう「興味の方向性シート」(私がワークシートとして作ったもの)を大切に扱う生徒が多く、他人に見せたがらない生徒もいました。大人としては何に興味があるのかとっっても気になったけれど(笑)、自分だけの視点を書いたからこそ大切に扱うのだと思い、無理に覗かないように自制しました。

そうして興味の方向性や視点が決まったら、生徒たちは本の種類が少ないなりに、司書や書店員などの周囲の大人に聞きながら、少しでも興味に近い本を探っていました。
自分の視点を言語化して、新たに他人の視点を借りるというのも、重要なことの一つです。

書店から持ってきた本。

読みたい本を選ぶプロセス

大人の方でも、自分が読みたい本にたどり着くのは意外と難しいものです。

なぜかといえば、まず、自分が知りたいことを言語化するのが難しい
そして言語化できたとしても、それがどういう道筋を辿れば答え(=本)に辿り着くのかが見えない、といったことが理由に挙げられます。

私は本を選ぶ際に、以下の3つのプロセスがあります。

①言語化

普段から自分の興味・関心についてどこかに書いたり、表明する習慣がある方は、さほど多くないのではないでしょうか。
しかし、そうした興味・関心は、普段の生活の中で意識される機会が少ないほど忘れられてしまいます。使っていない筋肉が衰えるみたいに、「好きなことについて考える筋肉」もやっぱり、使わなければ衰えます。
そうしていつの間にか、自分の好きなことが思い出せなくなってしまうのです。

だから、本を選ぶときくらいは、人気がある作品を安易に選ぶ前に、是非とも自分の興味を探ってほしいと思います。

中学校の授業では前述の「興味の方向性シート」を作って、言語化をしてもらいました。
この時、完全には文章にならなくても、単語ベースで十分です。「大体こういったこと」という風に、他人に説明できる程度に目星をつけておくことが必要です。

もっといえば、単語にするより重要なのは「興味」について考えることそのものです。自分の興味を詳しくいうとどういうことなのか。どういうニュアンスの言葉が出てくるのか。

自分の内側に思いを巡らせることが、「筋肉」を衰えさせないために必要だと考えています。

②とりあえず本棚の前に立つ

言語化によって具体的な単語が絞れたら、検索にかければきっと目当ての本が見つかります。ただ漠然としたなんとなくの方向性であれば、ここで役に立つのが、本棚です。

本屋や図書館で、なんとなく棚を眺めていると、自分が惹かれる本が単語が目に入ったりします。

これは、棚に本を並べる過程で既に誰かの視点が入っているという点で、他者の視点を借りることでもあります。
しかし、選んでいるのはあくまで自分。
目次を見たり、パラパラとめくって見たりすると、さらに惹かれる本というのに出会えます。

これでもピンとこないなら、3つ目の手段。「人に聞く」です。

③人に聞く

私の場合、SNSやリアルの場面での誰かのオススメ本は、趣味として読む本や、思ってもみなかった潜在的な本に出会う場合に活用しています。

しかしそれは、自分の興味とはあくまで別。

①②がなく、いきなりこのプロセスに行ってしまうと、自分で選んでいるわけではないので、好きなことについて考える筋肉は育ちません。しかも、私の場合、結局読み始めるまで時間がかかることが多い気がします(笑)。

「まず人に聞いてしまう」という方は、一旦「それは他人の意見」と参考に留め、自分の感覚に焦点を合わせることをお勧めします。
ただどんな本であっても、自分はここに惹かれる!という感覚に気をつけながら読めば、きっと「筋肉」が鍛えられるはずです。

逆に、自分が選んだ本だと、読み始めるスピードが命。なるべく自分の興味が冷めないうちに読んだ方が、現実の自分とリンクしていくはずです。鉄は熱いうちに打て、です。

「一冊読んだらおしまい」ではない

気になることがあるたびに言葉をまとめ、
本を手に取り、読み、という作業を繰り返していると、気づくことがあります。

本は一冊読んだらおしまいではない。
多分、次から次に読みたい本が出てくる。

そうした状態は健全だと思います。だって、知り合いことがたくさんあって、好奇心が枯れていないってことだから。

自分たちで選んだ本だと、対話も捗ります。

中学校での授業の話に戻ると、以前私は、本選びの授業に「運命の一冊を探す」というタイトルをつけていました。
誰かのオススメでなく、自分で選ぶその一冊は、運命の一冊に違いない、みたいな気合を込めて(笑)。

しかし今は、そうした気合はさほど重要ではなかったなと思います。
気合を入れなくても、自分の感覚に焦点が合っていれば、読みたい本は目に入るのです。
結局のところ、運命の一冊とは、今読みたい一冊の積み重ねで見つかるものだと思うようになりました。

自分の興味にポイントを合わせる筋肉を衰えさせることなく、日々、自分で本を選ぶ。
そうして後で振り返った時に、ようやく「あ、あの本がターニングポイントだったかも」と思い出してやっと、運命の一冊がわかる気がします。

今年度の授業は終わりを迎えましたが、生徒たちの人生は続きます。そして、もちろん私のも。

今後も自分を知ること、言葉にすること、学ぶことを、本と対話を通じて深めていくような、そんな活動ができればいいなと思います。

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