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2024年 日本画展【Gallery hana輪】出品作品解説

2024年、9月11日~15日まで大阪にあるギャラリーのhana輪様にて、日本画展が開催されています
大阪での展覧会はコロナ第一波の際に1度だけ参加しました
ただ、会場を見に行くのは今回の展覧会が初めてになるので非常に楽しみです
15日の最終日に在廊予定ですよろしくお願いします
その日以外は在廊が難しいので、ここに解説を残しておきます

▼安松の各種SNSリンクまとめ▼


新岩絵具時代

『それでも懐く』

捨てうさぎだったこ
ある日、高校から帰ったらさんざん犬が遊んだタオルのような毛並みのこのこがいた
地元で捨てられていたこを保護した人が、うちに届けてきたそうだ
薄暗い場所に放置されて、爪は伸び歯も伸びていた
それが原因で最後は餌をうまく食べられずに亡くなってしまったと聞いた

少しの間だけれど、狭くくらい檻から出て庭で遊べて楽しんでくれただろうか、苦しい時間を延ばしただけだっただろうか

田舎の日陰に放置されるこのこのことを考えていたら、マムシグサが浮かんだので添えた。ヘビも猫もいただろう、心細く苦しい夜をいくつを越えたのか
人間のことなんか許さなくていいのに、人懐こくやんちゃだったかわいいこを見るたび歪んだ気持ちを抱えた

『まだ、いる』

このこのお墓に咲いたきれいな花
部屋からよく見える

私が絵を描く原動力はここにある
「私がころした」小学生の私はそうとしか受け取れず、今もなお自分を許さない
「死ぬまでずっと罪に、このこに向き合う」そう決めた特別なこ

▼詳細▼


『もたらすもの』

まだうまく向き合えない
目をそらしたくてこのこだけくっきり描けなかった

スノードロップが小さな子うさぎが跳ねるように見え、同じ画面に入れることにした。本当はそうしたかった。安易に幸せが増えると動いた結果が最悪の事態になった。

先ほどのパンダウサギの子をセットで描くが、同じ画面には入れないようにしているこ
パンダウサギの死因は私1人ではできなかった
でもこの白うさぎは悪くない、ただそうなるように私が仕向けたのだ

▼詳細▼


『どこへ行っても』

逃げ場はない

先ほどの白うさぎと同じ子

素敵な庭のある公園、浜松ガーデンパークを散歩していた日のこと
花が一斉に自分を見ているような錯覚に陥った

地面が続き、植物が生きてる姿を見ると罪悪感が体にじわりと広がる


自作絵具へ

カラフルな既製品の新岩絵具を使うのは、それはそれで楽しかった
でも、相変わらずきれいすぎて、どこから来た原料なのか分からなくて、絵の佇まいに納得がいかなかった

岩絵具が岩からできてるなら、自分の過ごした場所の小石でも砕いて絵具にしよう、そうやり始めた時代の作品から1点

『土地の香り』

弟が地元の川沿いの蛍を眺めるイベントで出会い、拾ってきた猫
ホタルブクロを添えた

実家の石や土、少量の骨で描いた作品
実家の絵の具は、見栄えとしては地味だが私にはよく馴染む色になった
見知った色、香り、このこが敷地で転がるものだから、絵具と同じ香りをさせていることもあった

本当はこの時代の作品をもっと皆様にお見せしたかったのだが、同時期に開催していた展示に回してしまった、別の機会にまた是非見てほしい。

紙から作るシリーズ

実家の石や土で岩絵具を作った私は、もっと実家の素材を用いた制作をしようと思った。ちょうどこの頃台風で被災し、土地も削れたのですべてがつぶれてしまう前に急いでやりたいことをやった。

『繋ぎとめるもの  行先』
『繋ぎとめるもの  手でつつめる』
『繋ぎとめるもの 穏やかな音』

お守りのような、いつかなんかあったときにすぐ持ち出せるサイズのうちのこたち。画材も全部実家の植物、土、石だ。災害が来たり、いつか山が切り開かれても、うちのこたちはここにいる。大切な存在も場所もここにある。

▼一部骨を使用しているが詳細はこちら▼

ポートフォリオ

こちらの展覧会にはポートフォリオも置いてある
かなり昔の作品から、依頼品まで載っていますので、お時間がありましたらご覧ください。

ご案内

罪悪感にまみれ、大切なこたちを失い続けた自分だからできるのかな、という受注制作もしております
自分のためにしか描いてこなかったけれど、培ったものが役立つのなら腕をふるわせていただきたいと思います

ご遺骨を用いた絵だけでなく、廃材や土などを用いて絵を描いたりもできます
気持ちの折り合いのつけ方として合いそうな方はご検討ください


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