私の作品の核にいるうさぎの話1
私が絵を描き続けたいと思ったきっかけや、生い立ち、作品の核になるうさぎが描かれた作品の解説をしてみようかと思う。
というのも、だんだん自分の作品が展示に出しても社会的に無価値ではないんだと思えてきたから。小骨がのどに刺さったような不快感を、かさぶたをめくるような痛みを、人間のエゴも、浪漫も来場者に感じてもらえたから。
自分の生きた跡をネットにまとめてみようかなと、思った次第。
絵にはかつて飼っていたペットたちが描かれているのだけど、まずは中心を話さないと分かりづらいので、一番重い話からしていく。
注意事項
私の作品の内容は知らなければよかったともいわれることがあります。
大事なものを亡くしたり、人の繊細な部分を抉る内容でもあります。
察した人はここで自衛してください。
小学生の頃飼っていたうさぎ
ペットを大事な家族の一員と表現してあるのはよく見かける。
本当にそれだけだろうか?あまりに大きな部分をペットが占めてないだろうか?
私は家族の一員以上のものをペット達に見出している。
あのこたちは救いだ。
ごくごく普通の家族の中の一部の私。怒ると暴れる父、よく聞く母の泣く声、認知症が進んできた祖母、よく喧嘩した弟、小学1年生のとき家族に加わったうさぎ2匹、私。
どこの家庭もそんなもんだろう。それ以上に恐ろしいところも、もっと温かい家庭もいろいろある。
それぞれの家庭は少しずつ歪んでるし、感情にみんな振り回されてる。
ペットを介した家族との関わりは穏やかで楽しいものだった。家族みんな笑顔だしうさぎはかわいい。
うさぎたちを前に誰も怖くならない、平和だ。
かみさまだ
最初に描いた君
正しくは絵をある程度描けるようになった私が描いたうちのこなんだけど。
全然形にならなかった。
とある出来事でこのこは死んだ。
ある日家から帰るとこの子は死んでいた。赤い塊が口元と体の近くにある。
全部私のせいだ。
私の罪
小学6年生の私は毒草図鑑を片手に野山で遊び、時に安全だと判断した実を食べ、生き物地球紀行という生物の生態を紹介する番組を見ては自由帳にその姿を描いたりする、好奇心旺盛で自然が好きな子どもだった。
勿論その好奇心はうちのこ、うさぎにも向いており、飼育方法や食べられる植物、かかる病気、生態を調べたりもしていた。
小学4年生の時のこと。
ある日、小学校のうさぎが増えすぎたからと、引き取り手を募集していた。
小学2年生のとき、このパンダウサギと一緒に来たうさぎが病気で死に、ケージが余っているから飼えるよねと、1匹お迎えした。
このこはオスだった。
幼い私は好奇心に負けた。
オスとメスがいれば子どもができることを知っていた。
ただ先住のパンダウサギは当時6歳のあまり若くないうさぎだ。
高齢で出産すると母体への負担が大きく死ぬことがあるということも知っていた。
それでもかわいいこの子たちの子どもが生まれる、見たい
そして一家でお出かけしにいくある日、家を出る直前に2匹の籠の鍵を開けておいた。
お出かけから帰ると2匹は家の中を走っていた。
父は怒っていた。だれだ!!鍵は閉めてなかったのか!
これは喜ばれることではなかった、家族にはやったことは隠さないと
怒られる
そして時間は経ち、ある日学校から帰った時の光景につながる。
ただいまと玄関から上がると母がうさぎの籠の前で泣いていた。
パンダウサギは死に。口元には生まれたての子ども。体の隣にも子どもが1匹。
誰も動かない。
生まれたての赤ちゃんは母が死ねば生きれるわけがない。
私が3匹殺した
誰にも言えない罪を背負った
懺悔
そう私の作品は罪悪感が原動力となっている。
この誰にも言えない罪を、取り返しのつかないことをどうしていいのかわからなかった。
ただ、昔から絵は好きだったから、せめて絵の中で大切な存在を生かせたらなんて思った。そして自分のしたことを忘れてはならないと。
こんなのただのエゴで、そして幼い私が自分にかけた呪いだ。
このこの絵を描いて生きないと、贖罪をしないと。
幸い親が私は絵が好きだからと、美術系の高校への進学を許してくれた。高校の頃は毎日楽しく絵の技術を学んだ。ある程度のものは描けるようになったのに、いざあの日に向かい合うと手は形にならないものを描いていた。(上部の赤い絵『はじまり』)
時は流れ大学の最後の年、別のうさぎたちや看取った生き物を描き、絵を描くことに慣れを重ね、リベンジしたのがこちら
土の中の大事なこのこは私が殺した
うさぎに執着する私を雑草の根として描いた
殺しておいてこのうさぎから養分、絵を描く原動力をもらっている
ずっと言えなかったことを言ってしまった(絵を展覧会に出し発表した)ので、もう私は罪人であることを公にした。
もう、他人の目なんかどうでもよくなった。
作品紹介
うちのパンダウサギの作品を紹介していく
パンダウサギと自分の三つ編みと蔦を描いた。自滅願望と執着心、さみしさの表れだ。
こんなに大事なうさぎなのにショックなこと以外の記憶が薄くなってきている。このこのことを思い出せない自分はダメだ。罰してほしい。一緒にいたい。居れないなら土に還りたい、そして養分になってその草をうさぎに食べられたらいいのに。そんなぐちゃぐちゃな若々しい気持ち。
周りの蔦はよく廃墟の家を覆ってるアレ。この植物は吸盤みたいな部分があって建物に張り付いてる。家の死体にくっついてることに自分の心情を重ねたもの。
これは自分の髪の方がうさぎを取り込んでるさま。
自分がこのこを題材にしていることの葛藤。絵を描き続けたいが、描くためにはお金がいる。稼ぐためには発表もしなければならない。これは懺悔なんだろうか。この子をただただ食べ物にしていないだろうか。
なら私はこの子を描かない方がよっぽど懺悔になるのではないか。
ちなみにこれは美容室兼ギャラリーでの個展用に描いたもの
おおむね上の作品らと同じテーマ
だが、この子を養分にして私は生きさせてもらっている、生きる目的、自分の価値、などとこのこの絵を描くとこに対し前向きになってきた。それが三つ編みの先が広がっていることに表れた。
三つ編みは木が枯れて白骨化したような状態と織り交ぜて描いている。死んだものは変化しないので、自分の芯にあるものは変わることはないものの表現
苔やサルノコシカケ科の菌はこのこを分解して生きているので色数豊かに描いた。(また、記憶が薄れることの表れ)
画面左が小学1年生の時にお迎えしたうさぎ2匹、左が小学校から引き取ったオスうさぎ
展示の際は決して画面をくっつけない。くっつけたことで起きた出来事だったから。
左側は死んでいることを表すモチーフになっている(先立ったうさぎ、蓮の葉のようなキンレンカ、鐘のようなバイモ)
タイトルは謝ると誤る両方をかけている
あの子を埋めた年の春突然生えてきたシャクヤク
あれから毎年花をつけている
そこにいる、あの子は続いている
知らなければノウゼンカヅラとうさぎが2匹いるだけ
真ん中の絵はノウゼンカヅラに紛れて鍵をもつ私の手がある
鍵を見つけたら上に視線を動かすと鎖をの部分をつかんでいる
うさぎのケージの鍵を抜かなければこんなことにはならなかった
メスのパンダうさぎの方にはノウゼンカヅラがいくつか落ちているが、それに紛れて赤ちゃんうさぎが横たわっている(見切れているオレンジ色の塊)
実家の自室から見える景色
植物が咲き乱れている
畑の隅にあの子を埋めた
19年経った
もう虫や植物、菌に分解されてどんな姿になったのかわからない
でもあの子を食べて育った生物たちは繁殖している
あの子のかけらに気づけば囲まれていた
罪は許されるものでも、許すものでもなく、一生背負うものだ
罪人に逃げ場はない、希釈された君がいる世界で生きている
余談
この絵を描く2年前くらいにアートグルーという定着材に出合ったため岩絵具を扱うようになった。
岩絵具はそもそも鉱物だ。ならその辺の土でも絵具になるということだよな、と小石を粉砕し自作の岩絵の具を扱い始めたのがこの年。この作品には地元の海岸で採取した化石を使った。約40万年前の貝だ。それが目の前に崖として存在していた。
赤い色の石も昔の生物の堆積物と知った。
死んだらみんな土の中という安心感。いつかあの子のかけらの隣にたたずめたならいいのにと、殺しておきながら大好きなので一緒にいたいのだ。
そんな浪漫を土や石に感じながら今日も絵具を作っている。
こちら第2弾
オスのふわふわのうさぎに向き合う回です
私の作品の核にいるうさぎの話2|安松 (note.com)
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