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ほんわか、ほのぼの。そんな私の本当の日々 【後編】

自己紹介がてら今までの人生について書くか、と思ったら3部構成にまでなってしまいました。ここまで見にきてくださりありがとうございます。

最後まで見届けていただけると嬉しいです。

まだお読みでない方は、よろしければ前編中編も合わせて読んでいただけたらと思います。


◎ あたりまえが難しい

無事に第1志望の大学に受かった私は、18歳で家を出て、ひとり暮らしを始めた。家の中で喧嘩が起きることのない自由な空間。自分の城で過ごす日々にわくわくしていた。

受験勉強をしている時から入ると決めていたよさこいサークルに入会。気の合うサークルの仲間もできた。女子大だったこともあり、学科では女子特有の集団行動の空気に馴染めず、基本はひとり行動だった。

それでも、新しい環境で過ごしていく日々は新鮮で、楽しかった。

しかし、心にいつも抱えていたのは遠距離恋愛のこと。家に帰れば、ひとりきりの真っ暗な部屋で泣いて、過呼吸発作を起こす毎日。

日記に自分の気持ちを吐き出すことで、私の心は保たれていた。

そんな毎日を過ごしていると、気づいたら大学に行けなくなっていた。

夜は眠れない、朝は起きれない。眠くて眠くて仕方ない。お風呂に毎日入ることがとてつもなく難しかった。起きて着替えて家を出る。あたりまえのことが、どうしてもできなくて単位を落としたこともあった。

なんとか授業に行けたとしても、恐ろしい眠気に襲われて起きていられることができなかった。寝てしまった……その罪悪感が、さらに自分を苦しめた。

当時はわからなかったが、軽いうつ症状だったようだ。

なんとか家を出て大学に行っても人と話さず、家に帰ってきては夜通し泣いて過ごす。そんな毎日だった。

そんな日々のなかでも楽しかったのが、よさこいサークルで過ごす時間。そして、好きなアーティストのライブに行っている時間だった。

サークルの友人はとても素敵な人たちばかりだった。アツくてまっすぐでまじめな人たち。でも、私は自分が本当に辛い時にその友人たちに頼ることができなかった。

過呼吸を起こして泣いている、その瞬間に誰かにSOSを出すことはできなかった。後日会ったときに「〜なことがあってさ、泣いてたわあ」と軽く話すくらい。母にも、自分の恋愛のことを話したことはなかった。大学に行けていないことも言っていなかったのだ。

誰にも話せない私の本音は、どんどん日記に書きこまれていった。気づいたら私の日記は黒魔術ノートのようになっていた。


◎ 決意、解放されていく私

さすがにこれ以上続けていたら、私の心は限界を迎えてしまう。そう思った私は、当時の彼に別れを告げた。

別れを選んでから数ヶ月後、私はひとりぐらしの家で倒れ、救急車を呼ぶ騒ぎになった。心も体もついに限界だったのだろう。

その時はじめて母に、恋愛で苦しんでいたこと、学校に行けていなかったことを電話で話した。

このことをきっかけに、母に話せることが増えた。

それから、少しずつ私の心はほぐれていき、2年生になってからは大学に行けるようになってきた。

◎ 恩師との出会い、学ぶ楽しさを再認識

2年生になってから、よさこいサークルの活動が特に忙しくなった。よさこいについては濃い思い出ばかりで、アツい記憶がたくさんあるのでまた別の記事にしようと思う。

よさこいサークルは2年の冬で引退だった。

3年からは、アルバイトやインターンシップをしながら勉学に励む日々。 

インターンシップはこども産業に関するもので、1年かけてさまざまな遊びの施設をめぐり、実習を経て構想を練り、こどもの遊び場を企画した。このインターンのこともいつか書きたい。

大学では、そろそろゼミを決めなければならない時期になっていた。

以前、TV番組で見たレズビアンのカップルさんの生き様をとても魅力的に感じていた私は「ジェンダー論」の授業をとった。その授業は、無意識に幼い頃から「女性」を押し付けられてきたことを気づかせてくれるものだった。

そして、私が幼い頃からずっと考えてきた「夫婦ってなんだろう」「夫婦はどうしたらうまくいくんだろう」その疑問へのヒントが溢れていた。

この分野を勉強したい、この教授のゼミに入りたい!そう思った私は、無事にジェンダー研究をしている教授のゼミに所属。

夫婦問題や女性の生き方、性について学ぶ日々は本当に楽しくて、いつしかいつしか女性の悩みに携わる仕事や、夫婦問題・恋愛に携わる仕事に興味を持つようになった。もっと年齢を重ねて、人間力を高められたら、仲人士(結婚アドバイザー)の仕事がしたいと、人生の目標生まれたのもこの頃だ。

両親のように、不安を抱えたまま結婚し、苦しむ人を減らしたい。幸せな夫婦を増やしたい。そんな思いが、この仕事への興味に繋がった。

◎ 異色の道を選んだ私

大学を卒業した私が選んだ仕事は、セラピストだった。

興味のある婚活業界に進むことも考えたが、人間として成長してからもう少し先の未来で関わりたいという思いがあり、違う道を選ぶことに。

セラピストは、お客さまのボディケアをする施術者だ。

私が通っていた大学では、大手企業に就職する子や銀行員になる子ばかり。セラピストの仕事は、かなり珍しい選択だった。

私は、よさこいやサークル内での楽曲制作、インターンシップの活動など積極的にさまざまな経験を積んできたため、とても活発で明るく、メンタルの強い人と思われることもある。

しかし、一人反省会を始め、ぐるぐる悩み続けてしまうような真反対の繊細さも私の中にある。

私の心にある真反対の気質をどう伝えればよいのか、どの職業を選べばこの真反対の気質をどちらも活かすことができるのか。就活をしながら答えを探していた。

そして、辿り着いたのがセラピストだった。

私は自分の強み、好きなこととして「人の話を聴くこと」をよくあげていた。友人たちが駆け込み寺として、私に悩みを話してくれることが嬉しかったし、聴くことを使命のように感じていた。

1対1で人と向き合う仕事がしたい。職業に限らず、この働き方が自分には合っている気がした。

そして、対話を通して人の悩みに寄り添うことが、自分のしたいことなのではないかと思った。

自分のHSSの側面的に、0から1をつくる、刺激的でチームでアツくなるような仕事にひかれることもある。もちろんそのような仕事にも、とても興味がある。

しかし、私が選んだセラピストという仕事は、1対1でお客さまを癒す仕事。とことんお客さまの悩みに寄り添う仕事だ。それは体も心も。そして、日々さまざまなお客さんと出会うことができる、とても刺激的な仕事である。

◎ セラピストとしての毎日

体の疲労は大変ではあるが、セラピストとして働く毎日は楽しい。

毎日さまざまなお客さまと出会い、さまざまな人生のお話を聞くことができる。

セラピストとして働いていて、これは特別だ!と感じたことが、オフな姿のお客さんと関わることができることだ。

大企業の社長さん、主婦さん、子育てを頑張るママパパ、運動を頑張る高校生……お店には本当にいろんなお客さまが来る。

仕事の顔ではないリラックスした姿のみなさんと、日常の話、人生の話ができる仕事は、なかなかないのではないかなと思う。素敵なお客さまのお話を聞くことが、セラピストとして1番楽しく感じることだ。

◎ セラピスト兼ライターとして生きる

セラピストとしては、一度転職をし、今は2つ目の会社で働いている。

1社目の会社を辞めてからは、有休消化期間にライティングをはじめとしたWebスキルの勉強をした。

日記に気持ちを吐き出すことで心を安定させてきた私は、気づいたら自分の気持ちを文章にすることが好きになっていた。

前職時代、このテーマで書いてみたい!とふと応募したエッセイがWebサイトにまさかの採用。このことをきっかに、ライターとしていつか仕事をしてみたい、ライティングの勉強をしてみたいという気持ちが生まれた。

現在は、セラピストとして働きながら、ライターとしても活動している。

大学で学んできたジェンダーや夫婦、恋愛についての記事を中心に執筆しており、素敵なクライアントさんとも出会うことができた。

◎ かっこいいが1番嬉しい

私は童顔で、長年髪型はボブ。好きな色はピンクで、お花が好きだ。

それもあって、女の子らしいとよく言われてきた。

集団の中で強く自己主張をするタイプでもない。また、幼い頃から修羅場をみて育っているからか、やたら落ち着いていると言われやすい。

大体どこに行っても「落ち着いている」「ほのぼの」「穏やか」という言葉が私に向けられる。

そんな私は、実際には「よさこい」に熱く燃え、興味のあることには即決断、即行動、1人行動を全く苦に思わない人間である。

ジェンダーを勉強していたこともあり、性に関することを淡々と語ることもある。好奇心旺盛で、やりたいこと、やってみたいことが溢れている日々だ。

私に対して「ほのぼの」なイメージを持っているまわりの人は、そんな私をみたら驚くだろう。

しかし、自分の興味に従い、行動し、熱くなる。そんな一面もまた私である。

以前、大学時代を共に過ごした親友にこんな言葉をかけられたことがある。

「百花は、コスモス畑の真ん中に太い鉄骨が立ってる感じ」と。

就職活動に向けた他己分析では「不言実行。かっこいい。」という言葉を私に贈ってくれた人もいた。

この2つの言葉は、生きていく上で大切に大切に心に刻んでいる。

私にとって「かっこいい」という言葉は何よりも嬉しい言葉だ。見た目だけでなく、私の心、私の生き方に触れてくれたような気がするからだ。

今、24歳の私。正社員を辞めて、セラピストとライターの2つの職業を軸に、日々を過ごしている。

正社員を辞めて、ライターの世界に足を踏み入れてから「フリーランス」という生き方をしている人々にたくさん出会った。

働き方、生き方の種類、組み立て方は無数にあって、自由なものであっていいのだということを改めて知った。ライターの世界には「かっこいい」人がたくさんいる。

自分軸で、自分の目標や夢、幸せに向かって生きている。そんな素敵な人たちが、たくさんいるのである。

今の自分の生き方に納得し、今の自分が好きで、小さな幸せを拾いあげながら生きる。私も、そんな人間でありたい。

24歳の私は、人生を1日に例えると、まだ朝らしい。

朝に嫌なことがあっても、寝るときに笑えていたら幸せな日だったと言える気がする。逆に、朝にすごくいいことがあっても、泣いて帰ってくる日もあるだろう。

まだまだ私の人生は、どうなるか全然わからない。

どうなるかわからないからこそ、どうにでもなる気がする。

いつか私が終わりを迎えるとき「かっこいい人」だったと言われるような人間でありたい。

おおらかに、逞しく生きていきたい。

まだまだ朝。なんでもできる、どうにでもなる。もっと自由になって、自分軸で、この人生の続きを歩んでいこうと思う。


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