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ほのぼの、ほんわか。そんな私の本当の日々【前編】


noteをはじめました。

百花と申します。大体どこにいっても「もも」「ももちゃん」と呼ばれて生きてきました。今回は私の自己紹介をかねて、今までの人生について書いてみようと思います。


◎夫婦って何なの?と考え続けた日々

喧嘩がたえない両親のもとに生まれた私は、別居と同居を繰り返していた両親とともに、拠点を変えながら生活してきた。

物心ついたときには、父親は週末に家にくる人になっていた。両親の喧嘩の声に怯えていた幼い私に、音楽のなったヘッドホンを兄がつけてくれたのをよく覚えている。

喧嘩のたえない両親ではあったが、母が私に愛を注いでくれていたこと、父のことで傷つきながらも家族としての楽しい思い出をつくろうと奮闘してくれていたことは確かな記憶として残っている。

今は、家族全員がそれぞれ拠点を持って自由に生きている。とても不思議で愉快な家族だ。この不思議な家族のことは、またいつか記事にしたい。

喧嘩のたえない両親を見て育った私は、自然と「夫婦って何だろう」「どうしたら夫婦はうまくいくのだろう」と考えるようになった。


◎ 明るい私はいなくなった

別居していた両親が、再び同居をはじめることをきっかけに、私は田舎町から大都会東京へ引っ越した。

田舎で友人とほのぼの生きていた私には無縁だった「偏差値」「受験」の話が飛びかうクラスメイトの会話。「あいつバカだから」「〜学校落ちたんでしょ?」と学力で人を判断する世界をはじめて知った。その空気感に馴染めず、毎日1人で本を読んでいた。孤独の辛さを知った12歳の春だった。

クラスメイトに勉強ができないと思われることに恐怖感を抱いた私は、必死に勉強に向き合う中学生になった。不安定な家庭を、これ以上大変にさせないように。その思いから「いい子」であろうと、必死に勉強をしていたのもあると思う。

私は小学生時代、なかなかに明るい少女だった。クラスの中でお姉さんのような、みんなを引っ張る存在だった。しかし、都会の中学校にきて、明るい私はいなくなってしまった。クラスメイトの視線が怖くなり、顔をあげるのも苦手になり、いつも下を向いていた。

そんな学校生活がとても辛かった。そして、久々に同居をはじめた両親がそんなに簡単にうまくいくはずもなく、喧嘩しては泣いて、おかしくなりそうな母の姿が家にはあった。

学校でも、家でも、私の心は休まらなかった。


◎ 私を支えてくれた音楽

つらい中学時代を支えてくれたのは音楽だった。

私の両親は音楽を通して出会っている。だからこそ、幼い頃からいつも音楽がそばにあった。

小学1年生から中学3年生まで9年間続けていた合唱団。合唱団で歌うことが、私の癒しだった。その癒しのために、毎週土日は2時間以上かけて前に住んでいた田舎町に通っていた。本当の自分になれる場所で歌をうたうことで、辛い平日を乗りきることができていた。


◎ 音楽で広がる世界、私の居場所

私がはじめて自分でCDを買ったアーティストは「YUI」だった。彼女の曲なしに、私の中学時代を語ることはできない。

彼女の歌詞に、歌声に何度も心を救われていた。

中学生の頃にはやっていたSNS「mixi」で、YUIのファンでつくられたコミュニティに入った。これが、音楽で世界を広げる私の第一歩である。

YUIのファンのみなさんが集まるオフ会に参加してみたが、中学生は私だけ。まわりは大人だらけだった。しかし、YUIのファンのみなさんは本当に優しくて、中学生の私も同じように仲間に入れてくれた。

YUIの曲しか歌ってはいけない「YUIしばりのカラオケオフ会」。YUIが大好きな人たちと、YUIの曲を歌い、YUIの魅力を語り合える時間は、心の底から楽しかった。

自分の好きなアーティストのファンと繋がるのが楽しい!

そう思った私は、それから次々と自分の好きなアーティストのファンと繋がりだした。

音楽を通じて出会った仲間は、今では全国あちこちにいる。「音楽で出会った」を超えて大切な友人になった人もいる。

家でも学校でもない、第3の居場所。それが音楽であり、音楽を通して出会った仲間との空間だった。

自分の居場所を自分でつくる。その経験が、私の今の行動力の原点だ。

歌うことで自分を安らげ、音楽で人と繋がることで居場所を作った。

そして、私は高校に入って、新たな好きを見つける。



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