超越
全てのつながりを経て、育った私たちの記録、粗暴な論理や、ゆりかごを揺らす優しい風、無惨に破壊された面影との一定の距離、分断により生まれた憎悪の質量や、悠遠に潜む不規則な面影や、迎合されるだけの毎日、涜神を繰り返す被害妄想が暴走し、多くの繋がりを切り離し、主体性も無いから、誰かに利用され、流動する事も出来ずに、その場で塞ぎ込み、溜まり続ける憎しみの道具になり、偶像崇拝を続けては、拙い思いが、応用する真理や、大義なんかを謳い、短絡的な暴力装置としての傲慢さを肥大させ、誤った思想を加工しては、今に理性も損ない、あらがうほどに食い込む卑賤さや、悔悟に至らせるために、促されたコマーシャルや情報を信用しては、監視下に置かれ、恒常的な普遍性が孕む敵愾心のようなものに賛同しては、自らのルサンチマンを肥大化させ、いつか、自らが、怪物になるまでの距離を測る自分との、怠惰な和解を目論む自らとの乖離や、懐疑的なほどに、鋭くなって行く犀利な頭や、拘束されるだけの毎日に、補足されるものなどにより、全てが、途端に見えにくくなってしまい、拙い保身により、更新されるものが、今に障壁に変わり、関わるほどに、わずらわしくなってしまう日々を裁断しては、蔓延る罪の意識や、妬むだけの君や、コミカルな終焉や、粛清を続ける馬鹿げた世界との隔たり、平行線や、平静を保つための嘘や、停戦や、抵抗勢力や、迎合するだけの思考停止した人々や、卑屈な利用者の群れや、報いや、無法者や、無感情な私や轍、あらゆる偏見に寄り添う民や、退廃的な高揚感や、有する価値により、引き裂かれた二人、そのような単純な事柄により、簡単に壊れてしまう関係の曖昧さや、あやふやさに、嫌気がさしたから、もう、勝手気ままに喚き散らし、誰かに届く頃には、滞りなく、自らが敷衍させるものにより、世界は、単純に謳われる愛を放棄し、真実に移行しては、誰にも捕まえられ無いようになる。