見出し画像

刹那

虚しさの象徴のような、痩せたショッピングモール、レジスタンスたちの離脱症状や、くたびれた帰宅途中、同期されていく結末も、やがて、現実に耐えかねずに、度重なるエゴを突きつけられ、大破していくのだ、と海の藻屑になってしまった末路や、数多の記録を描き続ける画家たちの傷痕や、犠牲的な観念や、商品化された過ち、あらゆる偏見が、傷つける都会の病んだ人々が、備蓄するだけの過ちや、誤りばかりの消費的で、幼稚な絵空事や、統合されるほどに、屈折していくだけの、統計やら、やさぐれた一生に織り込まれていく言葉、かじかんで、ハンドルも握られない手、そこかしこに反映する孤独をすり替える商売が流行るような、暗い世、自覚するほどに、履き違えた意味が、君の獲物に変わる頃、肥大化する面影が、重たくなり、くたびれた意思が、自分すらも信じられなくなり、無くしてばかりの心情や、浄化されていく罪ばかりの世界や、幼気な諍いの最中、定めもなく、彷徨う値が、得体の知れない何かを産み落とし、訪れた意味が、君たちの純粋な世界を破壊し、蔓延る悪意が、あいまいな理想を謳いながら、端的な愛により、磔にされ、身動きもとられなくなってしまった君は、絶えず突き刺さる憎しみの供儀として、ただ、傷つく身体を、傍観するしかないような、諦めの最中、最たる意味も損なわれ、ただ、損壊していくだけの四肢の感覚が無くなり、度重なる痛みは、絶えず迫る苦しみを麻痺させ、ただ、ぼんやりと続けられる、憎しみによる攻撃を、受け入れるための、器として、あらゆる痛みに屈従し、受け取る憎しみすら、愛に変換し、かさばるだけの、退屈なエゴを消費し続けるために、延々と続けられるだけの、幼稚な取り組みの、神に変化させられた過ちをも、超越するためだけに、この生命とは、引き延ばされている痛みの住居たる自己や自我を、補完するための答えすらも、あいまいなままである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?