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女性向け作品と、元々知る物語との政治学、経済学、倫理などの関連を考察する

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注意


 これらの物語の重要な展開を明かします。 


漫画
『聖女の魔力は万能です』
『聖女の魔力は万能です~もう一人の聖女』
『らーめん才遊記』
『らーめん再遊記』
『左ききのエレン』(少年ジャンププラス)
『異世界薬局』
 
テレビアニメ
『聖女の魔力は万能です』
 
小説
 
『勇者の母親ですが、魔王軍の幹部になりました。』(web)
 
テレビドラマ
『カムカムエヴリバディ』
『おかえりモネ』
『とと姉ちゃん』
『エール』
『おちょやん』
『A LIFE』
『ドクターX』
『青天を衝け』
 
特撮テレビドラマ
 
『ウルトラマンティガ』
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンメビウス』
『ウルトラマントリガー』
『ウルトラマンデッカー』
 
特撮映画
『ULTRAMAN』(2004)
『シン・ゴジラ』
 
実写映画
『ターミネーター4』
 
 
 

はじめに

2022年12月26日閲覧 
 以前の記事で、私がタブーのように扱って、取り上げなかった作品を4種類説明しました。
 ハードな作品、女性向け作品、ライトノベル、自分に評価などを送ってくださった方の作品などです。
 そこで、言わば消費者と生産者の境界を探るきっかけとして、『空想科学読本』や『シン・ウルトラマン』や小林泰三作品も挙げました。
 今回は、日部星花さん以外の、女性向け作品を幾つか、私の知る物語との関連がないか考察します。
 私は女性の視点で考えるといった書き方は出来ませんし、フェミニズムなどにも詳しくありませんが、ここでは、ナショナリズムやパターナリズム、環境問題などへの私なりの意見を、女性向け作品で説明します。
 
 
 
 
 


『聖女の魔力は万能です』と『ウルトラマンメビウス』


 
 まず、ライトノベルを原作とした漫画及びアニメ『聖女の魔力は万能です』を、私の知る中で、ジャンルを超えると似た要素で対応させやすい『ウルトラマンメビウス』との組み合わせで説明します。
 『聖女の魔力は万能です』(以下『聖女の魔力』)は、私の知るファンタジー漫画として、きわめて悪人の少ない、なおかつ戦う物語であることが、特撮の中で『メビウス』を連想させます。ここでは、漫画版及びアニメ版を題材にします。ライトノベルでは既に当てはまらない展開があるかもしれませんが、ご了承ください。
 『聖女の魔力』は、ファンタジーの異世界に主人公の女性のセイが、魔物対策のために「聖女」として召喚される、いわゆる「異世界召喚」作品です。特徴的なのは、そこで予想外に主人公ともう1人の少女のアイラが召喚され、王子の勘違いでアイラだけ聖女と扱われて邪険にされたこと、その後王子とは別の人間と支え合い本物の聖女であることが分かって来ること、しかしアイラは悪役にならないことです。
 本作では、魔物との激しい戦いや過酷な負傷は描かれるものの、戦争や犯罪は描写が見当たらず、ほとんど「善人」の集まる展開です。
 その中で、「珍しく周りや読者を不快にさせる人間も、冷静に考えるとジャンル外の常識を言っているに過ぎない」、「人以外の存在を共通の敵として団結している」点が、私の知る限り、ウルトラシリーズの中の『メビウス』に似ています。
 
 
 

カイルとリュウは「ジャンルを台無しにしている」だけ


 
 『聖女の魔力』で、珍しく悪い態度で描かれる王子のカイルは、アイラを聖女と勘違いしてセイを放置した過ちを、外面的には認めずに「その女は偽物だろう」といった見当違いを続けていますが、アニメ版では「自分だけがわがままな悪者として扱われて、庇護されたアイラに悪評が立たないようにするため」という配慮がみられます。
 そもそもカイルは、「召喚して迷惑をかけているし、状況の飲み込めない子供であるアイラを危険にさらしたくない」という彼なりの配慮で、アイラを依存させてしまう、肝心の聖女としての仕事をさせないなどの空回りになっています。
 スピンオフの漫画版でも、カイルはそれなりに補う描写があります。
 これに似ているのが、『メビウス』のリュウです。
 昭和ウルトラシリーズで、何人ものウルトラマンが地球や人類を守って来た歴史が重視され、20年以上空けて敵がやって来た世界を描く平成の続編『ウルトラマンメビウス』では、「人間はウルトラマンに頼って良いのか」という疑問が繰り返し描かれます。
 防衛チーム「GUYS」のリュウは、ウルトラマンに頼ることを良しとせず、最初に自分達が敗北して壊滅し、現れたウルトラマンメビウスが怪獣を倒したものの、ビルを盾にするなどの未熟な戦法に「バカヤロー」と言いつつ、自分の無力さも嘆いていました。
 そのあとも、死んだ元隊長のセリザワが青いウルトラマンに乗っ取られた、素人ばかりの新人のチームを組むなどの衝突を繰り返し、リュウは対立が激しくなりますが、それでも誰かを守りたい、ウルトラマンも助けたいといった姿勢はみられます。
 たとえば、自分達が限界まで戦い抜くまではウルトラマンに入らせない、怪獣「サラマンドラ」がウルトラマンでなければ倒せない疑いを補佐官が言うと「そんなこと言うな」と部下でありながら叫ぶなどです。
 考えてみますと、「異世界に現代日本の一般人を召喚して戦いや治療に参加させる」というファンタジーの「パターン」も、「宇宙人が人間や地球を守るための戦いの主体となる」ウルトラシリーズの「パターン」も、現代日本の一般社会や他のジャンルから見れば異様です。カイルの「異世界に召喚した人間を守る」のも、リュウが「ウルトラマンの戦いへの参加を否定する」のも、冷静になれば「ジャンル外では常識」であり、だからこそ反論がこじれてしまうのでしょう。
 普段はウルトラマンや、戦いを楽しむファンタジーの消費者の目線で考えるために、その問題が浮かびにくいと言えます。
 『勇者の母親ですが、魔王軍の幹部になりました。』では、「勇者として息子を召喚されたのを許さない母親」の視点での戦いへの批判がありますが、召喚した側の人間の1人は「考えたこともなかったが、言われてみればそうだ」とみなしています。そういった視点で悪役のようになってしまったのがカイルなのでしょう。
 また、人間がウルトラマンに頼らずに身を守り抜いた(倒すとは限らない)例も、昭和や平成のシリーズにあり、リュウの主張もあながち間違ってはいません。
 カイルやリュウのような主張は、「それを言ってしまえば、ジャンルが成立しない」という視点で批判されるため、論理が複雑です。
 

「敵の方が環境を破壊する」


 

2022年12月24日
 
 もう1つの共通点は、「人間の敵の方が生態系や環境を破壊している」、「人でない存在にほとんど哀れみがみられない」という視点です。
 人間による環境破壊はしばしば、様々な場で指摘されますが、ファンタジーや特撮では、架空の生物が登場するため、果たして人間だけが環境を破壊するか、疑わしくなります。
 たとえば、『ウルトラマンデッカー』では環境破壊で怪獣が目覚める展開もあり、前作『ウルトラマントリガー』にほとんどなかった怪獣への哀れみの視点があります。しかし、火を噴く怪獣などもいます。人間の焼畑農業などが環境破壊の原点の1つともしばしば現実に言われますが、現実にまずいない火炎の能力を持つ生物も、環境を破壊しないのか、というより本当に野生動物なのかも疑わしいのです。『デッカー』で、主人公の人間のカナタに「眼が怒っていた。まるで(人間型宇宙人の)アサカゲ博士のように」とためらわせたスピニーが森林で火を使うのは、果たして環境破壊の被害者だけなのか、加害者にならないのか、という疑問があります。
 その意味で、『メビウス』では怪獣を人間やウルトラマンの共通の敵とみなすことがほとんどで、野性の地球怪獣であるはずのバードンすら「毒で環境を破壊する」という説明があります。人間がウルトラマンに頼らずに身を守るために、火星の鉱石を使うなどの宇宙開発が積極的に進められ、人間による環境破壊にはほとんど言及されていません。
 つまり、火や毒などで、むしろ人間以外の架空の生物の方が環境を破壊しているので、人間は環境や生態系のためにも戦っているという図式になっています。
 『聖女の魔力』でも、スライムが生態系を破壊するという説明があります。決して人間だけの都合で敵と戦っているわけではなさそうですが、何故そのような不自然な生物が生まれるのかの説明は、漫画版には見当たりません。
 サラマンダーも火を噴きますし、この作品世界では、人間による環境破壊にはほとんど言及せず、むしろ魔物に破壊される側という認識があるようです。
 どこかのnoteとnovelup+に、環境を破壊するスライムについて書いていたクリエイターがいたような気がしますが。


「人でない存在」と会話するか、哀れむか


 ちなみに、『メビウス』の主人公で、人間社会に無知なところのある宇宙人のメビウス=ミライは、人間や宇宙人とは分かり合おうという優しさが強く、敵意を向けられても助けようとするため、青いウルトラマンやメイツ星人を「干渉するな、介入するな」と不快にさせるところもあるようです。しかし、彼には言葉の通じない怪獣への哀れみが見当たらず、倒して当たり前だとみなしているようです。会話する怪獣「ボガール」が怪獣すら捕食し(つまり他の怪獣を仲間とみなさない)、怪獣を目覚めさせて被害を出すときに、ミライは「このままでは、お前の大好きな命、たくさん死ぬ」と呼びかけられたことがあります。
 一方セイは強い魔物が「大切な人」を襲おうとしたときに「やめて」と呼びかけた瞬間に、とっさの魔法で倒したようです。
 怪獣あるいは魔物との間に、「人」が相互通行の会話を出来ないので倒さざるを得ない構図がぎりぎりで保たれています。
 たとえば『ULTRAMAN』(2004)では、人間を吸収あるいは惨殺する、会話する怪物「ザ・ワン」が、吸収した人間に成りすまして、自分にとって厄介な人間を油断させるなどしたため、巨人「ザ・ネクスト」となった真木は「俺はお前を許さない」と激しく憤っています。
『異世界薬局』漫画版では、強い魔法を持ちながら、基本的に神術や医学知識で治療するだけの薬師の主人公が、伝染病を広めて劇薬による人体実験もしかねない「悪霊」に初めて会ったときに、「こいつだけは治せない」と戦いを決意しました。
 このような苛烈さが、『メビウス』でも『聖女の魔力』でも避けられています。
 

無自覚な主人公


 
 
 ちなみに、『メビウス』ではそれまでの昭和シリーズと異なり、途中でミライの正体が知られたのですが、昭和シリーズで、正体を知られた、あるいは感づかれた可能性のある作品もあり、それは後代の防衛チームや一般人に隠されたようです。
 『聖女の魔力』でも、聖女の魔力が題名のように規格外であることを、歴代の召喚した過去の国家が隠したらしい示唆があります。
 そういった規格外の能力を、自慢はしないが隠す姿勢もあまりない曖昧さが、『メビウス』と『聖女の魔力』の主人公に共通します。「無自覚」という系統の物語かもしれません。
 ジャンルにこだわらず、対応関係は見出せるようです。
 
 
 
 

3つの「女性こそ気持ちを分かっていない」図式


 
 
 
 続いて、連続テレビ小説における「人の気持ち」の「お互い様」の問題を扱います。
 私が連続テレビ小説「朝ドラ」を幾つか観て、「女性が男性に、気持ちを分かってほしいと求めるが、男性がお互い様、あるいは君こそ人の気持ちを分かっていないという趣旨の反論をする」という構図に気付きました。
 『エール』では、戦前の作曲家の夫と歌手の妻が共働きでしたが、妊娠しても仕事を続けようとして、周りに反対されます。
 歌手の女性としての「仕事を続けたい」感情に、おそらく独身の先輩の女性歌手が「プロは子供が倒れても歌う。あなたにそれが出来る?」と言われるなどで苦しみが重なります。
 しかし、夫は「作曲家として言わせてもらう。声量が出ないのは致命的だ。その声ではお客さんを不安にさせるし失礼だ」と指摘して、張り飛ばされたものの、そこで妻が仕事を中断する決意をしました。
 『おちょやん』では、父親の借金や賭博で人間関係や芝居などの仕事の状況が悪くなる女性の主人公が、のちに結婚する男性に「まだ引きずっているのか」と言われて、「あんたにうちの何が分かんねん!」と叫びましたが、「お前に俺の気持ちが分かるのか。お前に俺の気持ちも、俺にお前の気持ちも分からん。簡単に人の気持ちが分からないからお前は分かろうとして芝居をするのだろう」と反論し、女性は軽く小突いて、泣き笑いをしました。
 『おかえりモネ』では、気象予報士を目指すモネに、医師の菅波が試験の指導をしたものの、なかなか覚えられないモネに「何でこんなことが分からないんですか?」と言って、「出来ない人の気持ちが先生には分からないんですよ。挫折したこととかなさそう」とモネに言われました。「負けたことがある方が強いとか、傷付いた方が共感性が高いとかには一理あると思いますが、それを怠惰の言い訳にする人が僕は許せません」と反論し、モネは「分かりました。やります」と返しました。
 
 これらは、全て「女性が、相手や周りが自分の気持ちを分かってくれないと怒るのに対して、男性が、君こそ周りや僕の気持ちを分かっていない、お互い様だと返す」のが共通しています。
 しかしこれらは、「気持ちが分からないのはお互い様だ」という一般化は出来ない、実はかなり特殊な条件が重なっています。
 3つとも、「1.私的な場所で、公的な話に移る」、「2.感情より論理を優先すべき仕事がある」、「3.それなりに好意や恋愛感情を持つ相手との会話である」ために成り立つ「お互い様」なのです。
 『エール』は「夫婦が共有する音楽の仕事の話題をする」、「音楽という感情に関わる場だが、客にも感情があるのだから生産する側の事情で質の低い仕事をしてはいけないという論理がある」、「既に夫婦なので厳しいことをある程度言える」のです。これは「妊娠したまま仕事をすると技能が落ちる」という事実寄りの推測に、「お客さんが不安になる」という意見寄りの推測が混ざります。
 『おちょやん』では、「まだ夫婦ではないが、男女共に芝居の仕事を目指している」、「芝居をしたいという感情が、自分が誰かの感情を分かっていない自覚に繋がる」、「男性にも女性にも、完全に嫌ってはいない相手の感情を害した自覚があるのでお互い様という論理が成り立つ」のです。
 『おかえりモネ』は「試験勉強という場で、公ではないがそれに向かうので、感情的になりつつも、そんな場合ではないという配慮がされる」、「予報士、医師という、芸術や文化や感情より科学や理論や人命や安全に関わる仕事をしたい意思がある」、「お互いに完全に嫌い合ってはいない」のです。
 これらの条件がそろわなければ、「女性だって分かっていない」という論理は成立しにくいのでしょう。
 
 

「どちらが悪者かはっきりしないとき」


 
2022年12月24日
 
 
 また、「どちらが悪者かはっきりしない」ために成り立っています。
 たとえば、『メビウス』で、怪獣を食べたい、そのためなら人間を死なせるボガールの気持ち、「食欲」や「飢え」を分かれとメビウスや人間に要求するのは横暴です。あくまで「気持ちが分からないのはお互い様」は、どちらが悪いか断定出来ないときにしか使えないのです。「気持ちを分かれ」は、善悪がはっきりしているとき、「お互い様」は、はっきりしないときにしか使えません。
 連続テレビ小説で、これが成り立たない男女の論争がありました。
 『とと姉ちゃん』の、常子と赤羽社長の会話です。
 家庭向け雑誌『あなたの暮し』を作る編集者の常子は、高度成長期で安いものの粗悪な家電を作るメーカーが多い中で、様々な商品試験をして、メーカーや新聞からの批判がされ、商品試験を公開するように要求され、口論になります。
 特に粗悪な家電を安く売るアカバネの社長の赤羽は、陰で「戦後から成長して、日本人は豊かになった。金持ちになることが幸せなんだ」と言っていました。
 常子は「志をもって家電を作ってほしい」と主張すると、「我々は安く作る志がある。何が悪い」と赤羽が反論しました。
 『とと姉ちゃん』の赤羽社長の場合は、「家庭と仕事の混在した家電メーカーとメディアの論争だが、最初から仕事の話である」、「主人公の方から、仕事には志が必要だという感情の話をしている」、「恋愛感情など一切ない主人公と社長の会話である」ため、「両者が相手の方を悪人だと思うまま譲らない展開」なのです。
 赤羽が「日本を豊かにしたい、安くたくさん売りたい」といった「志」を持っていても、それが安全を重視する常子の「志」とずれたまま、「分からないのはお互い様だ」という主張では解決しないまま平行線になります。
 

「替えのきかない有能」


 
2022年12月24日
 
 
 
 私は男女の共働きについてはなかなか意見が固まらないので、『エール』の議論は難しいところですし、芝居の知識も曖昧ですから『おちょやん』の論争も難儀です。
 ただ、父親という家庭の問題で行き詰っている人間に、仕事の話を混ぜるのはどうか、という気はします。
 ただ、『おかえりモネ』の菅波は、『左ききのエレン』で言う「替えのきかない有能」になっているところがあり、それで「分からない方が劣っている、怠惰なだけ」と決めつけることで対立を深めています。
 それは男女の「女性は感情的で男性は論理的」といった定型より、「替えのきくかきかないか」、「能力が低いか」という『左ききのエレン』の視点が重要だと考えています。
 女性でも『ドクターX』の大門や『らーめん才遊記』初期の汐見ゆとり、『ウルトラマンティガ』のイルマや『ウルトラマンネクサス』の凪、『シン・ゴジラ』の尾頭のように、説明出来ない優秀さで周りと対立する例はあります。
 男性でも『ウルトラマンガイア』の石室、『メビウス』のサコミズ、『らーめん才遊記』の芹沢のように、分かりやすく指導して、自分より能力の低い部下や依頼人に分かる説明や、自分より高い部下との意思疎通を仲介出来る人間はいます。
 「替えのきかない有能」である菅波は、「分からないのは怠惰だ、出来ない人の気持ちが僕には分からないと言うが、そちらだって僕の気持ちを分かっていないではないか、お互い様だ」といった、事実や推測や意見の入り混じった反論をして、論理的になったつもりなのでしょう。
 
 

「弱者の味方」のつもりの無自覚な強者

 

 
2022年12月24日
 
 
 また、常子は、「私達の雑誌で家電の売れ行きが決まるのは恐ろしいことよね」と振り返っていますが、結局は消費者という「弱者」のためにメーカー批判を強めたようです。
 しかし、常子は「社員の母親」になるという姿勢もあるらしく、自分が企業の上司や、メディアの人間として強者になっている自覚が少ないところがみられました。
 『A LIFE』で、弱い立場の患者を守るつもりの医師の沖田に、若い医師の井川は徐々に賛同していますが、別の医師に「井川先生は沖田派でしょう?」と言われています。
 弱者の味方のつもりの主人公達も、まとまることで徐々に強者になって周りを威圧してしまっているという議論があるようです。
 『青天を衝け』の、幕末の貧しい百姓から出世した栄一も、そのように言われたことがあります。「商人が上に従うばかりで、徳川の世と何も変わりませぬな」と。
 常子にはその自覚を持ち切れなかったようです。自分の判断で、メーカーの中にもいるであろう、消費者とは別の弱者を傷付ける可能性などにです。
 自分達だけが「弱者の味方」と考えている限り、相手を悪人だとみなす、「気持ちの分からない」平行線の会話は解決しないかもしれません。
 
 
 

『ターミネーター4』と『カムカムエヴリバディ』のナショナリズムとパターナリズム


 

 
2022年12月24日
 
 また、連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(『カムカム』)の中で、過酷なアクションやホラーを描く『ターミネーター4』を連想させるところがありました。
 『カムカム』は、戦時中の過酷なところから、三代の女性が、英語のラジオ放送を通じて、料理、音楽、芝居にそれぞれ取り組んで行きます。
 一方『ターミネーター』シリーズは、機械の反乱で壊滅した未来からやって来る機械の刺客「ターミネーター」との戦いが基本ですが、『4』は未来そのものを描き、従来のシリーズより過酷な環境があります。しかし、そこで未来の知識を受け継ぐジョン・コナーが、ラジオ放送で「これを聞いている君は抵抗軍の一員だ」と人類の団結を図ります。
 一見対極のジャンルである『カムカム』と『ターミネーター4』が、実は「戦争による被害で、英語のラジオで団結する」という共通点を持ちます。
 『ターミネーター4』は、基本的に翻訳で観る視聴者が多いでしょうから分かりにくいのですが、劇中世界では翻訳装置を開発しにくく、(戦争中で物資の余裕がなく、敵に機械を奪われる危険性もあります)ジョンはおそらく自分の知る英語で話さざるを得なかったでしょう。すると、悪意なく、「これを聞いている君は抵抗軍の一員だ」と、英語の通じる人間ばかり団結させてしまう偏りが生じます。また、ラジオの話せる人間の周りばかり優遇してしまいます。
 その結果、英語とラジオが生き残るための基礎教養のようになり、そうなれない人間との分断が起きます。しかし、それは悪意ない英語ナショナリズムと、「抵抗軍に入る方が幸せなのだ」というパターナリズムがあります。
 これに右翼や左翼といった立場はないでしょう。単なる常識の壁と橋なのです。
 『カムカム』でも、英語のラジオ放送で戦後日本の教育を進めようとする穏やかな男性が、「私は英語が出来ません」という女性に「そんなことはありません。人はみんな英語の子供です」と呼びかけています。
 「日本人は今多くが英語を話せない」事実に、「努力すれば英語を話せるかもしれない、それで幸せになるかもしれない」という推測、「なるべきだ、なってほしい」という意見が重なり、英語を善意で日本人に指導して行くわけです。
 これにより、ラジオを共有する日本人同士ならば、他の違いは受け入れる多様性を持ち、英語による団結が起きます。
 しかしそれは、「英語ナショナリズム」、「日本人が子供だとみなすパターナリズム」があります。パターナリズムは「弱いパターナリズム」、子供や老人を守るために自由を奪うのは法律的に必要だとされますが、国民を子供とみなせば「強いパターナリズム」になります。
 そういったナショナリズムとパターナリズムを悪意なく英語とラジオで生み出すリスクは、『ターミネーター4』にも『カムカム』にもあります。
 ただ、『ターミネーター4』は「人類全体を団結させて、人間でない存在と戦う、命がけの職業」であるのに対して、『カムカム』は「人間同士の商業による飲食、音楽、芝居などの穏やかな競争は描かれる」という差異が無視出来ませんが。
 
 

『カムカム』の使用価値と交換価値


 

2022年12月24日
 
 
 また、芝居をする孫のひなたに対して、恋人の五十嵐は、使用価値と交換価値から対をなしている、経済の概念があります。
 主人公のひなたのアドリブが観客をひきつけるのに対して、五十嵐はさらにアドリブで補う技術が評価されていたようです。
 しかしその五十嵐は時代劇に参加するときに、いわゆる「マンネリ」、「同じ芸」を批判して、「たいして実績もあげていないのに偉そうなことを言うな」と、同じ上司に批判されていたようです。
 そして、酔っ払い人気の時代劇俳優に「同じ芸ばかりよくやっていられるな」という趣旨の批判をして、周りの女優まで見下したため、処分されました。
 そのときに、ひなたに「ひなたの真っ直ぐさが、俺にはまぶし過ぎる」と別れを切り出しています。
 これはおそらく、ひなたの方はアドリブでひきつける交換価値、五十嵐の方はその場を成り立たせる技術の使用価値が高かったのでしょう。そして五十嵐は、技術や理論では「マンネリ」の時代劇が高い交換価値をもたらすことを認められなかったのだとみられます。
 使用価値ではなく交換価値を生み出す行いを、「真っ直ぐさ」といった抽象的な表現がされる例はみられます。
 いわゆる「心技体」で言えば、交換価値は「心」、使用価値は「技」かもしれません。
 女性の働きは使用価値より交換価値、男性はそれを使用価値で補えるというのが『カムカム』の描写のようですが、ウルトラシリーズや『らーめん才遊記』シリーズには、そのような性別との相関は薄いと言えます。
 探知する勘や事実の判断能力の高い人間が、それを周りに伝えられない「替えのきかない有能」は、さきほどイルマ、凪、汐見ゆとり、大門、尾頭などを挙げましたが、これは使用価値が高くとも交換価値が低いという意味にもなります。女性でも、使用価値が高く交換価値の低い労働をすることはあります。男性が逆になることもあります。
 
 
 
 

まとめ


 『聖女の魔力は万能です』、連続テレビ小説などの女性向け作品も、環境問題、意思疎通、無自覚な能力、「替えのきかない有能」、ナショナリズム、パターナリズム、使用価値と交換価値などの政治や経済の観点で、『ウルトラマンメビウス』や『ターミネーター4』と繋げて説明出来るようです。
 

参考にした物語


 
漫画
 
藤小豆,橘由華,珠梨やすゆき,2018-(未完),『聖女の魔力は万能です』,KADOKAWA
亜尾あぐ,橘由華,珠梨やすゆき,2021-(未完),『聖女の魔力は万能です〜もう一人の聖女』,KADOKAWA
久部緑郎(作),河合単(画),2010-2014(発行期間),『らーめん才遊記』,小学館(出版社)
久部緑郎(原作),河合単(作画),2020-(未完),『らーめん再遊記』,小学館
かっぴー(原作),nifuni(漫画),2017-(未完),『左ききのエレン』,集英社
高山理図(原作),高野聖(作画),2016-(未完),『異世界薬局』,KADOKAWA
 
 
テレビアニメ
 
橘由華(原作),井畑翔太(監督),渡航(シリーズ構成),2021,『聖女の魔力は万能です』,BS11ほか(放映局)
 
小説
 
『勇者の母親ですが、魔王軍の幹部になりました。』
 
https://ncode.syosetu.com/n6437fp/
 
2022年12月24日閲覧
 
 
 
 
 
テレビドラマ
 
 
藤本有紀ほか(作),安達もじりほか(演出),2021-2022,『カムカムエヴリバディ』,NHK系列
安達奈緒子ほか(作),一木正恵ほか(演出),2021,『おかえりモネ』,NHK系列
八津弘幸ほか(作),棚川善郎ほか(演出),2020-2021,『おちょやん』,NHK系列
林宏司(原作),清水友佳子ほか(作),吉田照幸ほか(演出),2020,『エール』,NHK系列
西田征史(作),益子原誠(プロデューサー), 2016,『とと姉ちゃん』,NHK総合(放映局)
瀬戸口克陽ほか(プロデュース),平川雄一朗ほか(演出),橋部敦子ほか(脚本),2017,『A LIFE』,TBS系列
田村直己ほか(監督),中園ミホほか(脚本),2012,『ドクターX』,テレビ朝日系列
大森美香(脚本),黒崎博(演出),2021,『青天を衝け』,NHK系列
 
特撮テレビドラマ
 
村石宏實ほか(監督),長谷川圭一(脚本),1996 -1997,『ウルトラマンティガ』,TBS系列(放映局)
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),ハヤシナオキほか(脚本),2021-2022,『ウルトラマントリガー』,テレビ東京系列(放映局)
辻本貴則(監督),中野貴雄(脚本),2022-(未完),『ウルトラマンデッカー』,テレビ東京系列(放映局)
 
特撮映画
 
小中和哉(監督),長谷川圭一(脚本),2004,『ULTRAMAN』,松竹(配給)
庵野秀明(総監督・脚本),2016,『シン・ゴジラ』,東宝(提供)
 
 
実写映画
 
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)

参考文献




春香クリスティーン,2015,『ナショナリズムをとことん考えてみたら』,PHP新書

鈴木貞美,2009,『自由の壁』,集英社新書

萱野稔人,2011,『ナショナリズムは悪なのか 新・現代思想講義』,NHK出版新書

大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ

那須耕介(編著),橋本努(編著),2020,『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』,勁草書房

沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版

長谷部恭男ほか/編集委員,2007,『岩波講座憲法2 人権論の新展開』,岩波書店

池上彰,佐藤優,2015,b,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版

カール・マルクス(著),今村仁司ほか(訳),2005,『資本論 第1巻 上』,筑摩書房

カール・マルクス(著),今村仁司ほか(訳),2005,『資本論 第1巻 下』,筑摩書房

斎藤幸平,2020,『人新世の「資本論」』,集英社新書

斎藤幸平,2021,『NHK 100分de名著 カール・マルクス『資本論』』,NHK出版

佐藤優,2014,『いま生きる「資本論」』,新潮社

細江達郎,2012,『知っておきたい最新犯罪心理学』,ナツメ社,p.148

的場昭弘,2008,『超訳 『資本論』』,祥伝社

マルクス(著),エンゲルス(編),向坂逸郎(訳),1969,『資本論 1』,岩波文庫

マルクス(著),エンゲルス(編),向坂逸郎(訳),1969,『資本論 2』,岩波文庫

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