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『クレヨンしんちゃん』とカオス理論とサンゴと現代日本の「エリート」の関係


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注意

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漫画

『クレヨンしんちゃん』
『新クレヨンしんちゃん』
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『銀魂』
『NARUTO』
『ニーチェ先生』

テレビアニメ
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』
『ドラゴンボール超』
 
 

ドラマ
『相棒』 

はじめに

 現代日本の経済を考えますと、競争や産業の中で、求められる個性や優秀さが、ある種のねじれた部分があるようです。
 それは、環境問題における「弱者」のねじれた定義にも繋がります。
 私は、多くの人間にある「弱きを労わり強きを称える」精神が、弱さと強さの組み合わせの中で混乱を招いていると考えます。

 今回は、『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけと、現実のサンゴの共通点、さらに現代日本の「エリート」にあるとみられる問題点を、カオス理論なども踏まえて考慮します。

『クレヨンしんちゃん』の主人公の特徴

 まず、『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけの行動の善し悪しを説明します。
 彼は家事や学業を明らかに真面目にせず、相手に負担をかけたなら謝罪するという精神が欠如しています。逆に自分の方が負担をかけられている、あるいは自分が利益を与えているかのような発言で苛立たせることもあります。
 また、分かりにくいのですが、意外に暴力を振るうことが多くあります。殴る、蹴るのはあまりないか効かないかですが、くすぐる、耳に息を吹きかける、男性の股間に頭突きをする、肛門に指や尖ったものを刺すのは日常茶飯事です。一見暴力的に見えない暴力が多いのです。
 また、風間トオルや母親のみさえを「見栄っ張り」と扱うこともありますが、彼もななこなどの気に入る女性やその関係者の前では見栄を張ります。それが「可愛い」、「憎めない」ぐらいにしか思われないのは、主人公の特権に近いところです。
 しかし、その破天荒な言動や行動が、周りの予想を超えて人助けをしたり傲慢な人間に制裁を知らず知らずしたりすることもあります。
 たとえば父親のひろしの取引を妨害するようで、その取引先の思わぬ感情と馬が合うように意気投合することがしばしばあります。
 傲慢な相手の思わぬ弱点をさらすこともあります。

『クレヨンしんちゃん』にカオスはあるか

 その原因は、『ドラゴンボール』とカオス理論についての以前の記事を踏まえますと、非線形性と「塞翁が馬」の共通した部分、しかしインフレーションの欠如した「日常」があります。

2022年6月28日閲覧

 まず『ドラゴンボール』では、敵に対抗して主人公達が強くなり続けるインフレーションがあります。
 また、強くなっては敵が対抗して強化したり、それまで登場していなかった強敵に目を付けられたりして、「人間万事塞翁が馬」と言うべき、ある影響の善し悪しが逆転することがあります。
 さらに、『ドラゴンボール』の強さは格闘とエネルギー波以外は種類が少なく、しかし時折強さの差異を無視する「攻撃で防げない攻撃」が登場するため、強さのインフレーションを台無しにする、小さな原因が大きく影響する、あるいは大きな原因が小さな影響にとどまることもある「非線形性」があります。
 これを『クレヨンしんちゃん』に適用しますと、ささいに思えること、『ドラゴンボール』や『NARUTO』や『銀魂』では扱うのが微妙な「下品」、「コミカル」な事象が大きな影響を及ぼす非線形性がしんのすけにはあります。
 それが思わぬ逆転として成功を生み出します。
 また、相手に負担をかけているのを逆に捉えるような「論理の逆立ち」に思える言動がしんのすけには多いのですが、それが非線形性と相まって、真面目そうな周りを出し抜いて成功をもたらすこともあります。
 しかし、しんのすけの物語はあまり時間と共に要素が加わらない、インフレーションのない展開であり、またしんのすけのもたらした「非現実的」な影響がのちの社会に再登場することはほとんどなく、「非現実」が「現実」になりしんのすけに大きな影響として跳ね返る、『ドラゴンボール』のような長い目はありません。
 たとえば『ドラゴンボール』の孫悟空は、戦いを楽しむ「不謹慎」なところもありますが、自分が相手を強くしたり、「悪い奴でも強いならまた戦いたい」と見逃したりしてしまい、それが悪い結果をもたらすとセル戦で振り返り、「自分は悪い奴を引きつけると言われた通りだから、死んだままで良い」と責任を感じています。
 その場を盛り上げて「ワクワク」させるのはしんのすけも似ていますが、その結果があとで跳ね返り、責任を取る展開はあまり『クレヨンしんちゃん』にはありません。
 結局、しんのすけが成功し続けて反省をあまりしないような姿勢の人間が現実に少ないのは、実際にはそれが何度も続かないためでしょう。『銀魂』でも競馬について長谷川が似たことを言っています。
 特に妹のひまわりなどは、赤ん坊としてきわめて危険なことをしており、現実に行えばほとんどの場合で大惨事になります。
 ちなみに、セル戦での悟空の対策は「あの世で暮らす」ことで、「あの世には良い達人がいるから戦いを楽しめる」と言っていますが、『ドラゴンボールGT』では敵の行動であの世の悪人が悟空達を生死問わず苦しめ、『ドラゴンボール超』ではあの世の神に特別扱いされる、善人とは言えない強者の破壊神などが悟空のもとに来て、被害を出したり悟空達を強くしたりを繰り返します。
 悟空はあの世でもトラブルを起こしてしまう可能性があり、破壊神に魂ごと消されるのが宇宙の平穏のためではないか、と破壊神ビルスは指摘しています。
 現在の『ドラゴンボール超』は、悟空のもたらす「ワクワク」の代償を議論しているとも言えます。

「日常」から飛び出した先

 日常をほとんど変化させずに長く続く『クレヨンしんちゃん』は、現実の「退屈」に映るかもしれない日常から、非線形性や「塞翁が馬」によって飛び出す瞬間を描くまでは『ドラゴンボール』に通じる「ワクワク」があるかもしれませんが、そのあとの「新しい現実」が代償として恐怖をもたらすところまでは描かず、「インフレーション」は欠けています。
 『怪獣使いと少年』では、ウルトラシリーズの4人の脚本家が現実の日本の社会に不満を持つ中で描く物語を幾つか分類しています。
 金城哲夫さん、佐々木守さん、上原正三さん、市川森一さんはそれぞれ「永遠の」を持つ称号を与えられています。
 そして佐々木守さんは「現体制に異を唱え続けるだけで具体的な社会を示さない」、「永久革命などと称して」と評されています。上原正三さんは「その物語におけるウルトラマンの光は誰かを守るためのものではなく、閉塞した日常を切り裂くためのもので、切り裂いた時点で物語は終わっているのだ」とあります。
 市川森一さんの物語には、あらゆる価値観を幻想だとして、それを逆手に取り独特の茶器を売る活躍する商人がいます。それは『資本論』で表現すれば、使用価値の低いものでも買い手の主観で交換価値を生み出して利益に変換するのでしょう。
 しんのすけの行動もそのようなものであり、経済学からも重要です。
 その逆転は、つまるところ日常から脱出する瞬間だけを切り取れる一話完結の物語では、いささか都合良く成り立ちますが、『ドラゴンボール』ではその結果に向き合っています。
 しんのすけは、そのときどきの場所にいる「周りにないことをして個性で成功する人間」の象徴を継続して体現しているとも言えます。

生物学のサンゴ

 さて、私は生物学と経済学の関連を考えたことがありますが、生物学でしんのすけに似ているのは、サンゴだと考えています。
 それは、「基本的に弱いが、周りの弱点を突く強さを持ち、むしろ出し抜いたことで周りを支えている」ということです。
 しんのすけは運動能力は高いものの腕力などを鍛える様子はあまりなく、勉学もあまりしないので、積み上げた優秀さには欠けます。
 しかしそれが周りを意外な点で出し抜き、傲慢な人間の弱点を知らず知らず突いたり、ひろしの取引先などの展開で重要な人間の感情を良い意味で刺激して成功に導いたりします。
 それが周りを、特にしんのすけに対して真面目そうで様々な恥を隠して見栄を張る風間トオルやみさえやひろしの意表を突きつつも、いつの間にか助けています。
 これに生物学で似ていると私が考えるのは、サンゴです。
 サンゴは環境の変化に弱い動物で、本来ならばそもそも生存競争で生き残るのも難しいそうです。しかし、栄養の少ない(透明度の高い)ために他の生物が活動しにくい海水で、褐虫藻という生物と共生することで少ない栄養を活かして、むしろ周りとの競争の穴を突き大いに繁栄しています。さらに生態系でサンゴが重要なのは、その炭酸カルシウムの殻にどが多種の生物の住処を支えているためです。
 しかし海水の温度などの影響に弱いので、地球温暖化でサンゴが減少すれば他の生物への悪影響も大きいとされます。
 つまりサンゴは、本来の競争では勝ち残りにくい「弱者」でありながら、特殊な戦略で「通常の強者」には得られない利益を得て、むしろそれが他者を助けているのです。
 経済学と生物学は限られた資源を扱う問題が似ているとされますが、サンゴを経済学に置き換えますと、ちょうどしんのすけのような成功する人間に似ています。資源の「量」と「質」の問題かもしれません。

しんのすけが風間を助けない場合

 しかし、しんのすけが無自覚に行なっていること、しかしそれが欠ければ非常に傲慢になることがあります。
 それは「真面目に取り組んだものの、しんのすけに出し抜かれた相手を助ける」ことです。
 風間を特に助けることが多いのですが、それを決めるのはしんのすけの親切ではあります。しかしそれは風間の真面目さが穴もありつつしんのすけの成功を引き立てるところもあるのですから、しんのすけが特殊な手段で風間の予想を超えても、風間を助けるのは必要なことです。
 サンゴにしても、周りの生物と共生関係にあり、弱者だとしても、周りにない成功をしたとしても、周りを助けなければ生態系の役には立ちません。

「エリートのナルシシズム」と「環境」

 しかし現代日本は、その「周りを出し抜く成功者」が、「自分を認めなかった周りをあとで助けたくない」と拒絶して利益を独占している様子があります。
 池上彰さんと佐藤優さんの共著『大世界史』や『希望の資本論』では、現代日本では教育システムの偏りや穴を利用して周りと違う分野に集中して高い成績をあげる「エリート」がおり、それでは大学入試に合格しても「入学歴」だけで「学歴」にならない、周りに誉められることしかしないから怒られるのにも対応出来ない、わずかに教育システムなどの環境が変われば滅びる「エリート」になってしまうとあります。
 また、『大世界史』では、その「エリート」が成功しても周りを助けない、自分個人の利益ばかり考える「エリートのナルシシズム」になるとされます。
 『相棒』で、天下りの規制の抜け道を見つける「頭の良い」官僚が、「天下りを禁止したのはお前達国民が足りない頭で選んだ政治家だ」と言っており、自分個人の利益をあげられる戦略を立てる強者に弱者は逆らえない、という意味合いらしく、それに警察官が言い返しにくかったのか、暴力に走ろうとしています。
 しかしその警察官も、相手と論争になったときに、「勝った方が正しい」というような自分の論理に苦しんでいます。ボクサーが人を殴り殺した容疑をかけたときに、「疑うのがこちらの仕事。そちらの仕事が殴るように」と喧嘩腰になり、ボクサーが「どうせボクシングなんてろくな仕事じゃないと思っているんだろ?見せてやるよ」と言われたものの、結局容疑は正しく、ボクサーを心理的に追い詰めて自殺に追い込みました。表面的な論争に勝ったからこそ仕事に失敗したのです。
 経済学では周りと異なる行いで希少価値を出す例はありますし、それにより盛り上がる物語も多々あります。
 現代日本の「エリート」は、周りと異なる分野に集中する「個性」で成功することはあるかもしれませんが、個性的でない周りの積み上げた成果により成功の利益を向上させている面があるにもかかわらず、「自分の個性を認めなかった、結果を出せなかった周りに助けてもらう資格はない。助けるか決めるのは勝者のこちらだ」という「ナルシシズム」になり、言わば「風間を助けないしんのすけ」になっているのではないか、と考えました。
 むしろ周りにありふれた「強さ」を順調に手に入れられなかった劣等感を持つ人間が、周りの弱点を突くことで溜飲を下げる「エリート」になるのかもしれません。

『ニーチェ先生』を出し抜けるかもしれない新人

 たとえば、コンビニ店員が周りを驚かせる、社会への不満を指摘する言動の多い『ニーチェ先生』には、「人の弱点を突く」強さがありますが、「それだけが強さではない」という観点もあります。
 『ニーチェ先生』は、独特の態度のコンビニ店員の仁井が、「お客様は神様だろうが」と怒鳴る客に「神は死んだ」と黙らせたり、「コミュニケーションが苦手ならどうしてコンビニで勤めているのですか?」と先輩の松駒に親しげに尋ねられて「時給が1000円未満というわけにはいかなかったので。僕も質問したいのですが、松駒さんは何故生きているのですか?」と返したりしています。
 私が推測しますと、コンビニでは利便性を重視すると仁井も認めており、そこでは急いでいる、余裕がないために論理性の乏しい客が多くなり、その論理の欠陥を指摘する能力が彼には高いのでしょう。
 しかし、松駒は「その歳でどうして就職していないんですか?」という新人の質問に答えられず、「この新人は仁井君以上の逸材に化けるかもしれない」という趣旨の恐怖を松駒に抱かせています。仁井がそう尋ねないのは、自分も答えられないためかもしれません。松駒に「僕も松駒さんも答えたくない質問がある」という趣旨で返したようにです。
 松駒は就職が上手くいかず、コンビニに勤めている自分の勤務時間が、周りの社会人と逆転していることに苦しんでいるようですが、仁井もそうでないとは言い切れません。
 つまり仁井の「人の弱点を突く」のは確かに周りに少ない希少価値のある強さであるものの、その強さだけでは順当な就職などの利益は得にくいという視点が、主人公すら苦しめる可能性があります。
 サンゴは自分がいるのと他の環境では弱者であり、しんのすけもまともな就職や立身が難しいとみられます。

弱者の環境問題と強者の感情

 ここからは想像ですが、近代文明が環境を破壊したと言われるのは、サンゴのように本来ならば順当な強さを身につけない弱者が周りを出し抜き、しかし周りを支えるのを、順当な通常の強者の目線で「ずるい」とだけ考えて「この程度の環境の変化に耐えられない方が問題だ」と滅ぼして、他の強者すら滅ぼしてしまう面があるかもしれません。社会や文化でもです。
 そもそも、しんのすけのような積み上げた腕力などに頼らない攻撃は、悟空には「つまらない」、「そりゃねえだろ」、「きたねえぞ」というものかもしれませんし。『ドラゴンボール』には非線形性を持つ攻撃はありますが、悟空やそのライバルのベジータ自身はあまり使いません。

まとめ

 言わば、しんのすけのような人物は、物事の裏を見て物語を盛り上げやすい主人公の視点が、確かに特定の環境でサンゴのような成果は挙げられるものの、周りを出し抜いて利益を得る分周りを助ける必要もあり、環境のささいな変化で滅びる可能性もあります。それは「物事の裏しか見なければ、表が見えなくなる」ということです。

参考にした物語

漫画

臼井儀人,1992-2010(発行期間),『クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
臼井儀人&UYスタジオ,2012-(発行期間,未完),『新クレヨンしんちゃん』,双葉社(出版社)
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)
岸本斉史,1999-2015,『NARUTO』,集英社(出版社)
松駒(原作),ハシモト(漫画),2014-(発行期間,未完),『ニーチェ先生~コンビニに、さとり世代の新人が舞い降りた~』,KADOKAWA(出版社)
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)

テレビアニメ

大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
金田耕司ほか(プロデューサー),葛西治(シリーズディレクター),宮原直樹ほか(総作画監督),松井亜弥ほか(脚本),鳥山明(原作),1996 -1997(放映期間),『ドラゴンボールGT』,フジテレビ系列(放映局)
内山正幸ほか(作画監督),上田芳裕ほか(演出),井上敏樹ほか(脚本),西尾大介ほか(シリーズディレクター),1986-1989,『ドラゴンボール』,フジテレビ系列

 

ドラマ

橋本一ほか(監督),真野勝成ほか(脚本),2000年6月3日-(放映期間,未完),『相棒』,テレビ朝日系列(放送)

 

 

参考文献

池上彰,佐藤優,2015,a『大世界史 現代を生き抜く最強の教科書』,文春新書
池上彰,佐藤優,2015,b,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
カール・マルクス(著),今村仁司ほか(訳),2005,『資本論 第1巻 上』,筑摩書房
カール・マルクス(著),今村仁司ほか(訳),2005,『資本論 第1巻 下』,筑摩書房
マルクス(著),エンゲルス(編),向坂逸郎(訳),1969,『資本論 1』,岩波文庫
マルクス(著),エンゲルス(編),向坂逸郎(訳),1969,『資本論 2』,岩波文庫

本川達雄,2015,『生物多様性』,中公新書

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