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家継ぐ人々 ロシア ミレニアル世代の幸せの在り方

シベリア鉄道に乗ってロシアを周り、いろいろな人の話を聞くプロジェクトМесто47前回から三回に渡り「家継ぐ人々」と題して、家をめぐる様ざまな人々の話をご紹介しています。今回の主人公であるアレクセイは、ロシアの地方都市カザンに住むごく普通の青年です。祖父母の代からの家を引き継ぎ、Airbnbで貸し出すためにこつこつと修理をしています。そんな彼は「幸せ」になるために日々試行錯誤を繰り返し、その不器用とも言える姿には、日本の若者にも通じるような普遍的な苦しみが垣間見えます。
「幸せ」とは何か、彼は日々問い続けます。

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アレクセイ

もともとこの家は建売住宅として建てられ、1896年にこの家を購入したのがマニロビッチ博士という魚類学者でした。興味深いことに、彼は小学校以外で体系的な教育を受けていません。それでも実践的な活動内容が評価され、科学界に確固たる地位を築きました。彼はトムスク大学を退職後にカザンに移住してこの家を購入し、1912年に亡くなりました。その後1934年までのこの家に関する記録はすっぽり抜けています。分かっているのは、その期間にソビエト政府によって建物が国有化され、農業銀行のタタール支店の管理下に入ったということです。私の曾祖父はその銀行のマネジャーに任命され、このアパートが支給されました。1934年のことです。それ以来この家に私の家族が4代続けて住んできました。曾祖父、祖父母、父と母、そして私です。

ここには最近まで祖母が住んでいましたが昨年の10月に亡くなりました。今家の修理をしていて、Airbnbで旅行者に貸し出すことを考えています。この家が建てられた当時は美しい室内装飾が施されていました。立派な柱があり、タイル張りのストーブが備え付けられていたのです。でも、曾祖父がセントラルヒーティングを導入した時にストーブは撤去さました。場所の問題もあったんだと思います。戦時中は常に多くの人が住んでいたので、少しでも場所を広く取りたかったのでしょう。その後を継いだ両親は昔ながらのインテリアに全く興味がなく、壁紙や段ボールで覆ってしまう始末でした。もちろん柱には絨毯がかかっていて、まさにソビエトスタイルです。

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70年代は動物にとっても厳しい時代でした。カザン動物園の動物たちの多くは病気にかかり、さらに飼育員に虐待されたりしていました。そんな状況を見かねて、祖母と父は子供のヒョウとピューマ2匹、子ライオンを自宅に引き取ることにしました。ライオンは父のことを飼い主であると認識していたようで、噛みついたりすることはありませんでした。彼らが1歳なるまでこの家で育てたそうです。その後、ピューマは動物園へ、ヒョウとラインはサーカスにもらわれていきました。

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やりがいを感じて、且つ生計も立てられるような生き方を長い間探しています。2005年にパリ大学の教授がドキュメンタリー映画の撮影のためにこの家を訪ねてきました。インタビューを受けた時に聞かれたんです。「君は今幸せ?」って。変な質問だと思いました。そんなことそれまで聞かれたことがなかったので。だからこう答えたんです。「まあ、たぶん。ただ、何を基準に幸せかどうか答えていいのか分からないですけど」って。

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幸せとは何かみたいな話をすることはほとんどありません。多くの人にとっては、どうやって生計を立てるかが第一なので。どうすれば生き残れるかって?とりあえず大学に行くことでしょう。そうすれば少なくとも清掃員にはならなくてすむし。でも大学を卒業しても、まるで真っ暗闇の中です。自分が今どこに居て、何をすべきか全く見当もつきません。教会で聖職者として働いてもみました。でもそこに真理は見つかりませんでした。ある時に、一つの仮説にたどり着いたんです。懺悔とか罪の告白みたいなものによって人は幸せになることはできないと。それはある種の隷属状態だと僕は思っています。

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エンジニア系の学科で大学院生として在籍しつつ、研究助手として働いたこともあります。結局それも幸せではなく精神的な苦しみと経済的なひっ迫をもたらしただけでした。自分でビジネスを起こしてもみました。レーザー切断加工から始まり、ワイン箱の販売、最終的に扱うものは照明に変わっていました。数年必死で働きました。でも充足感は全く得られませんでした。母は私が定職についていないという事実を受け入れています。最初はいろいろとプレッシャーをかけてきていましたが、なんとか納得してもらいました

何かを長い間探し続けるというのは、精神的につらいものです。だから、あきらめて妥協する人たちのことは理解できるんです。それは誰かのために働くことを私のように憎むということです。他の道はありません。何かを見つけるのか、苦しむことに甘んじるのか。そのどちらかです。ただ、私はもっと別の形で苦しみたいんです。

ロシア文学や芸術は常に恐怖を含有しています。それがロシア民族のコアにあるのです。苦しみを是とすることは、常にこの国で政治利用されてきました。

幸せはいくつかの領域から成っていると思います。愛情、親しい人との関係、仕事などです。もしすべての領域のバランスがとれていれば、きっとあなたは幸せな人でしょう。幸せな人は、良いことを考えている人です。過度に心配したり悪いことを考えたりはしません。それは現実逃避とは違います。幸せな人はどんなことからでも努力すれば何かを学べると考えています。

私は自分で実際に経験すること以外に、物事を認識することは不可能だと思っています。そして、ある一線を超えると理解できない世界があることに気が付きました。だからそこでぐずぐずしていてもしょうがないと思ったんです。自分が影響を与えられる範囲に集中した方がいいんじゃないかと。その方が幸せに生きられるんじゃないか。今はそんな風に思っています。

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