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レース編み職人として、ロシア人女性として

シベリア鉄道に乗ってロシアを周り、いろんな人の話を聞くプロジェクトМесто47。第五回目は、まるで中世の世界から飛び出してきたようなレース編み職人の女性の話です。自らの家庭を家父長制の典型だという彼女は、夫の許可なしで家を空けることはありません。しかし、彼女にとってそれは当たり前のことであり、彼女は幸せな結婚生活を送っていると言います。レースを編み、信仰を持ち、夫のために尽くす。彼女の話からロシア地方都市の保守派の人々のありようが見えてきます。

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アンナ、33歳、レース編み職人

ニジニーノヴゴロドの生まれです。レース編みの仕事をしています。初めてレースに触れたのは11歳の時でした。家の目の前に児童センターがあって、何かを作るのに夢中になっている女の子たちが窓から見えました。その時はレース編みのことは全く知りませんでした。祖母が見てきたらいいと言ったんです。

レースに恋せずにいるなんて不可能です。わたしもすぐに恋に落ちました。
驚くほどの繊細さと空気さながらの軽さ。何世紀にも渡り、最も神秘的な手仕事の一つと考えられてきました。編んでいる時に手元を見ることはありません。糸の動きを目の端で追っているくらいです。時々自分でも驚くんです。どうやってこんなことができるんだろうって。

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レース織みの世界で結果を出すには、第一に忍耐強くあることです。ひたすら愚直に研鑽を積むのです。レース編みは他の裁縫と違い、編んだものをほどいて編み直すことができません。どう織ったかがそのまま結果として目の前に現れます。無制限の忍耐力が求められます。

道具はとても重要です。編み棒には糸を巻きつけるためのへこみがあります。編み方に応じて異なる形の編み棒を使います。私の使用している編み棒はエレガントな腰つきの細長いもので、シンプルで美しい形をしています。編み棒はあらゆる種類の木から作られます。ロシアでは白樺が最もよく使われています。安価で手に入りやすいのが理由ですが、私は好んで使うことはありません。

職人は自分の編み棒に対してそれぞれ好みがあります。編み棒を選ぶときに重要なのは音です。レースを編んでいると編み棒同士がぶつかって音を立てます。私たちはそれを音楽と呼びます。ヴォログダではレース編み職人とオーケストラが共演して音楽を奏でるイベントもあるくらいです。

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歴史上、レース職人の家庭は裕福でした。革命以前、レース職人一人の稼ぎで8人家族が暮らせたと言われています。ニジニーノヴゴロドの市場ではレースが6から15ルーブルで取引されていたという記録が残っています。ちなみに当時、乳牛一頭の値段が2ルーブルだったそうです。

レースは手仕事で作られた高価な芸術作品であり、皇帝や貴族など上流階級の装飾のために作られました。その伝統は今でも残っています。人々は自分の社会的地位を誇示したいがために、レースで自らを装うのです。作品の値段は作業時間によります。私の作業料金は1時間あたり200から300ルーブルです。織り方や作品の大きさによっても値段は変わってきます。平均すると1万から1万5千ルーブル(約2万5千円)くらいが相場だと思います。私が身に着けているレースは自分で作ったもので、値段を付けるなら1万3千ルーブルくらいでしょう。

レース織りの技術は、ピョートル大帝の大改革時代にヨーロッパからもたらされました。レースがふんだんに施されたヨーロッパの衣装が流入してきたのです。18、19世紀のころの地図を開くと、ヨーロッパでレース織りが行われていたのはスペイン、イタリア、フランス、オランダであることが分かります。ロシアにはレース織り工房は少なく、わずか17県で製造と販売が行われていたようです。困難な90年代を経てこの産業は絶滅の危機に瀕していました。

レース職人として避けられないのが、関節、指の炎症、骨軟骨症などです。
これらの症状を避けるため、1日の作業は5時間以内、10から15分ごとに休憩を取り、立ち上がってストレッチする、などの作業場でのルールがあります。まだ若いつもりでいましたが、10年のレース編みで私もいくつかの問題をかかえるようになりました。関節炎の痛みは酷いもので、しかも容易に収まりません。もしそのような症状が出た場合は数日休みを取る必要があります。それでも痛みが消えない場合は物理療法に頼るほかありません。職人生命が絶たれてしまう場合もあります。さらに、レース編み職人は視力が良くないといけません。私の視力は0.01しかなかったので手術を受けました。

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多くの若い女性がレース織りを始めるようになり、レース業界が盛り上がってきています。最新モードを観察していれば、女性のワードローブにドレスが戻ってきているのに気づくはずです。これはとても好ましいことです。女性らしいフォルムが再び求められるようになってきています。きっとみんな疲れてきてるんじゃないでしょうか。女性らしさからの解放みたいなものに。

私の育った環境はとても保守的でした。自然と私自身あまり柔軟でない保守的な考え方の人間になったと思います。それは、家庭でのしつけのレベルをはるかに超え、遺伝子レベルで刻み込まれています。私たちの家系の結びつきは非常に強固なもので、母の家系も父の家系も離婚した人は居ません。唯一死のみが夫婦を分かつのです。ですから結婚生活は45から50年近く続くことになります。一番よい例が私の祖母でしょう。この母方の祖父はアルコールに溺れました。ですが祖母に離婚の考えがよぎったことは一度もなかったそうです。祖母はよく「神様の前ではね。おばあちゃんはおじいちゃんのお世話をする責任があるのよ」と言っていました。

生涯で愛する男性は一人きりであるべきだとずっと教えられてきました。その教えに従って長い間生活してきたわけです。一度、悲しくてみじめな経験をしました。私の初めての男性は責任を取ってくれませんでした。理想的な経験とは言えず、彼との性的な関係は深まることはありませんでした。

彼の家族は私を迎え入れてくれましたが、それも結婚の話が出るまででした。一度彼の母親とお茶をしていた時のことです。彼女が知り合いの娘をこんな風に評していました。「マルシヤは良い娘だねえ。4万ルーブル稼いでるらしいよ」。それを聞いた私は考え込まざるを得ませんでした。彼らの即物的な考え方に嫌悪感を抱いたんです。結局彼の母親からのプレッシャーで私たちは別れました。彼女が今私がどれくらい稼いでいるか知ったらきっと驚くでしょう。

夫とはインターネットで知り合ったんです。彼は11歳年上でした。後で教えてくれましたが、初めて会った時、私が運命の人だと確信するのに10分と必要なかったと言っていました。30過ぎて独り身でいる男は結婚しないと言います。彼は初婚でした。彼はいかに真剣かを私に説明しました。時々彼に聞いてみるんです。「なんであなたはそんなに素敵なのに40歳まで結婚しなかったの?」彼はいたずらっぽく答えます。「きれいな体で君を待ってたんだよ」。

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うちは典型的な家父長制の家庭です。私は妻として家の長たる夫に従属しています。こんなことを言うときつい印象をあたえてしまうかもしれません。ただ私はそのように育てられて、それ以外の世界を知らないのです。外出する時は必ず夫の許可をもらいますし、基本的に外出は二人で一緒に出かけます。今日ここへ来ることはしぶしぶ認めてくれました。仕事のために必要なんだって説明したんです。理由をすべて説明してようやく納得してもらいました。周りは夫のことを、妻を家に閉じ込めてまるで暴君みたいだって言います。

ただ、私はとても幸運でした。結婚生活は幸せでいっぱいです。私の隣にはいつもがっしりとした肩があります。夫は今の世の中では珍しいタイプだと思います。ちゃんと目的意識を持っていて、意志が強く、自立した人です。私たちは信頼と愛情に包まれています。何をやるのも二人です。私たちは不可分の有機体のようなものです。お互いを補完し合っています。私たち家族にとって、日常生活は損なわれていくものではなく、日々強固になっていくものです。要するに、私たちの人生は常に二人で過ごすことで形成されていくものなんです。夫にとっての最大の喜びは、私がそばにいることです。彼はそのことに幸せを感じ、心の平穏を得ます。だから彼は言うんです。「僕の隣に座って、それでレース編みをすればいい」。

現代社会のトレンドの中で、私たちは絶滅危惧の恐竜みたいなものでしょう。家族制度はだいぶ様変わりしたようですし。ただ、女性が仕事のキャリアを追求するとかで、女性らしさから自由になろうとする試みは、結局のところ彼女たちのためになるとは思えません。女性はそのことで損なわれたように感じ、家庭生活はうまくいかないでしょう。

今まで夫と対立したことは一度もありません。喧嘩したままベッドに入ったこともないです。今年の夏に結婚式を計画してるんです。結婚をするときに彼が言ってくれたんです。籍を入れるだけじゃなくて式も挙げようって。もう私の心の準備は出来ています。彼はロシア正教徒として教会で式を挙げることを望んでいます。

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夫は特にクリエイティブな仕事についているわけではありません。大学では心理学を専攻しました。今は換気装置の販売をしています。夫は家での私の手仕事をなんでも褒めてくれます。ナプキンだとかイコンだとか。彼はそういうものを誰にも触らせないんです。以前母がうち遊びに来たときに、仕事場の仲間に見せたいから何か持って行っていいかと言いました。彼は承諾しましたが内心は断りたかったようです。
たまにお客さまがいらした時なんてまるで見学ツアーです。夫は家の中にある私の作ったものを嬉々として解説して周ります。私の縫った下着まで見せて自慢しています。

女性として私はとても幸せです。私にとって夫は両親に次いで大事な人です。家庭で家族に奉仕することこそ私の自己実現なのです。道徳的であること、それは私たち民族が共有する強固な価値観です。ここに差別や偏見の意図はありません。西側で起こっている家族制度の変化の波は、私たちにも迫っています。これは私の好むところではありません。嫌悪感を抱いています。
最近夫と一緒に同性愛を喧伝するような映画を見ました。もう4本目です。「お気に入り」(注:邦題「女王陛下のお気に入り」)という歴史映画です。王様の話だと思ったんです。要するに、その、、、王様のお気に入りの寵姫の話だと。でも違ったんです。それは女王!のお気に入りの女性の話だったんです!目を背けたるような彼女たちの親密な生活が画面に繰り広げられていました。

問題は質の高い映画において、同性愛の心棒者たる登場人物を肯定的に描いていることです。彼らはお互いを思い愛し合います。そのことで歪みが生じます。もちろん遠い昔の話です。ただ、それをあえて取り出して肯定する必要があるんでしょうか。我々ロシア人は正教徒です。私たちの本質的な部分がこれら全てに反対しています。男子は女子と男性は女性と共にある。特定の秩序や守るべき慣習があります。主は男を男として、女を女として創造なさいました。それは人類存続のためです。そのようにひとりひとりがすでに運命づけられているのです。

現在家計を支えているのは私です。夫と出会った時は彼の方が稼いでいました。私たちの住んでいるアパートは彼のもので、車も持っています。当時私にはほとんど収入がありませんでした。慈善活動に参加し、アートセラピーを行っていました。夫は私の興味に沿って、私の進むべき方向を考えてくれました。どうやってお金を稼いだらいいか教えてくれて、自分よりも他人を優先するような私の傾向を諫めてもくれました。彼が仕事を失ってからは、私がより稼ぐようになりました。彼は同じ場所でぐずぐずしているような人ではありません。仕事は探しています。彼は博識だし、先見の明があると思っています。

うちの家庭は古い時代の家父長制の典型のようなものでしょう。私たちはお互いに属し、役割を与えられ、何かを犠牲にしています。夫も自分の自由を犠牲にしています。友達と遊びに行くこともありませんし、主が禁じているように女性となんて言わずもがなです。いつも私と一緒に居てくれます。

今のところ子供はいません。自然に任せるつもりです。すぐにうまくいくこともあれば、そうでないこともあります。でもそんなに深刻になる必要はないと思ってるんです。

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読んでいただいてありがとうございました。新しい記事は毎週、火曜と金曜日に公開予定です。

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