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ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』から得た知見

「底辺」託児所が「緊縮」託児所に

 2010年、ブロークン・ブリテンと呼ばれたイギリスで、著者はヴォランティア保育士をしていた。働いていたのは貧しくてカオスな「底辺託児所」で、子どもたちの親の多くは労働者階級ですらない。一生、生活保護をもらって暮らす「アンダークラス」民である。ドラッグやアルコール漬けだったり子どもを虐待していたり、ホームレスだったり刑務所に送られたりといった人たちだ。
 ろくでなしの親たちはそれぞれ違う信条やバックグラウンドを持っていたが、もうちょっとみんな大人だったと著者はいう。みんなが仲良しだったわけでも、話が合ったわけでもないが、さほど感情を剥き出しにすることはなかった。
 だが、その年に政権を握った保守党が緊縮財政政策に舵を切り、下層の人々を引き上げるための制度や施設への投資は大幅にカットされた。福祉、教育、医療への財政支出が急速に削減された影響がリアルに庶民の生活に出始めたのが翌年のことだった。
 いったんここを離れていた著者が戻ってきたのは2015年。 
 5年前には底辺層の子どもたちを無料でガンガン預かっていた託児所は、緊縮政策の煽りを受けて週3日、午前中のみしか運営できなくなっていた。底辺時代には3か月に一度、新品の玩具や本を買いそろえていたのに、その予算がなくなり、玩具や本はどれもこれも色褪せて、折れ曲がり、薄汚れて変形している。
 そして、「底辺」はまだ幸福だったことを著者は知る。「緊縮」になるまでは、よっぽど躍動感があって楽しかったのだ。貧しかったし、ずっとカオスな場所だった。モラルも何も崩壊してアナキーな国になった「ブロークン・ブリテン」を体現していた。けれども、そこには、現在のような分裂はなかった。
 緊縮により分裂、分断が進んだ結果、託児所で何が起こったか。肌の色や国籍や文化とは関係なく貧困者の拠り所となっていた場所で、緊縮時代には、互いが互いを不必要なまでに憎悪し合うようになったのである。

分断された社会で「人心のデフレ」が進む

 親たちはお迎えの時間にすれ違っても目さえ合わせず、自身の常識で受け入れられない保育士を言葉ではなく目で排除する。
そう、人間は一言も言葉を発さなくとも、目で他人を排除することができるのだ。
  なぜこんなに「カサカサ」するようになってしまったのか。緊縮政策によって人の心も縮小し、底辺以下の人々が、どんどん減っていくシェアを取り合わなければ生きられないようになっている。「人心のデフレ」と著者は言う。

「……託児所をフードバンクにしやがって」

ところが、「緊縮託児所」は託児所ですらなくなってしまう。
 緊縮政策により、生活保護受給者がまともに仕事を探していないと見られると、制裁措置が連発されるようになった。生活保護の給付を一定期間止められるために日々の食事ができなくなる人が増えた結果、フードバンクが国中に必要になり、保育所がつぶされてしまった。
貧困地域の託児所がフードバンクに変わる。それは英国社会の流れをそのまま体現していたのだ。

政治が変わると社会の最下層はどうなるか

 底辺託児所時代にはアナキーで邪悪で手が付けられなかった貧民街の子どもたちが、フードバンクの時代にはみんなお腹を空かせている。
政治が変わると社会がどう変わるかは、最も低い場所を見るとよくわかる。最下層の子どもたちに未来を与えるための託児所は、彼らを生かしておくための食料庫に変わってしまった。これが「緊縮財政」の縮図である。

近未来の日本の姿

 本書では、「底辺託児所」が「緊縮託児所」に、そして「フードバンク」に形を変えていくにつれ、社会の分断が進んでいく様子が描かれている。
 「緊縮」時代には、生活保護を受けているはずの子がカッコいいスケートボードを持っているのを見て陰口をたたき、目で排除する親たちが何人もいた。
 いまの日本がまさにそうだ。生活保護というものに中・下流階層が向ける目の厳しさ。周りでも「生保なのにイヌ飼ってる」「生保なのにきれいな家に住んでる」「生保なのに1日中エアコンが回ってる」という話がしょっちゅう聞こえてくる。
 互いを監視し、自分と同じ、あるいは下にいるとみなす相手を厳しく叩く日本社会。これが進むと「目で排除する」ようになるのか。それとも、そうなっているのにわたしが気づいていないだけなのか。
 いや、もっとおそろしい社会になる可能性もある。無認可保育所がどんどんフードバンクになり、生保すら受けられない人たちがそこに殺到するのも、時間の問題かもしれないのだ。
 「女性の活躍」によって少子化を解消させようと、保育園の大量設置が進む日本。だが子どもは、世帯収入で「中の上」以上の人だけが持てる社会になりつつある。
 最下層の人々が産む子どもも、人間としての権利を持つ。尊厳をへし折られてフードバンクに並び、食料をわしづかみにすることのない大人。そのように育てることが、日本にできるだろうか。

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