見出し画像

【走馬灯の謎】病気は、見せるのが正解? 見せないのが正解?

タイトル通りです。
昨日、知人と会い、改めて考えさせられた事があります。

病気を見せると言うか、病気による辛さ…病気で苦しんでいる姿…
それらを全て含めて、この記事では『病気』と呼ぶ事にして、それは、
他の者に見せるのが正解なのか、それとも隠しておくべきなのか…?

実際に病人/障害者であるわたしですら、未だにその答えは判らないので、
お医者さんなどの専門家に訊いたとしても、正解など得られないでしょう。

画像1

昨日、知人がちょこっとだけ寄って、会いに来てくれました。
わたしが発言出来る前に、『辛そう……大丈夫?』と訊かれました。

その時、走馬灯が………色んな物や事が、脳内を瞬時に駆け巡りました。
(余談ですが、走馬灯は、死ぬ前で無くとも見えると、わたしは思います。)

新しいお薬の『ジプラシドン』で、体の力は戻った(用事が出来る)ものの、
顔や目は、まだ死んだままと言うか、無表情な気がしております…。

『無表情』は元々、わたしの病気の症状の一つでもあるのですが、
ココ最近の断薬期間以来、笑顔になれた記憶が無くて……。

オマケに、顔が剥がれ落ちそうになるほど、顔が重たいのです。
顔がカチカチなのです。 それほど、顔の筋肉が動きません。

ジプラシドンにしてから、今度はお薬の副作用にまで悩まされております。

正直、恥ずかしい事は公開したくないのですが、それでは闘病ブログとは
呼べない上に、同じ病気を患っている人達の参考にもなりません。

だから言うぞっ!!
勇気を出して、言うぞっ!!

ジプラシドンになってから、特にお腹周りの調子が悪いのです…。
OPP(お腹ピーピー)と便秘が混合するという、人生初のケースです!
さすがに細かい内容は省きますが、お腹が1日中ゴロゴロしているのと、
ずっと腹痛があるのが辛い日々です……特に夜になると、もっと痛みます。

2日間だけでしたが、腰痛もありました。
副作用で、1日中しんどくて眠たいのも、3日ほど続きました。

そんな中で、知人が会いに来てくれたのですから、わたしの顔は、
よほどゲッソリしていたのでしょう……まだ断薬もやめたばかりですし…。

画像2

そこで、本題であるタイトルに戻ります。
病気は、見せるのが正解なの? 見せないのが正解なの…?

こうして、自分のリアルな症状や体験などをオープンにする事は、
同じ病気や障害を持つ人達の役には、何かしら立つとは思います。

でも、そうじゃない人達には……?
会いに来てくれた知人(健常者)のように、『辛そう……大丈夫?』と、
多大なる心配や迷惑を掛けてしまうのでは……?

わたしは、今では誰にでも病気のコトをオープンにしておりますが、
以前はそうではありませんでした。

誰にも言いたくなかった。
誰にも言えなかった。

それでも…オープンにしている今のわたしでも、孤独は拭えないのだから、
オープンに出来ていなかった頃のわたしは、もっとさらに孤独でした。

その『言えなかった』頃のわたしが体験した事も、走馬灯に出ました。
わたしは当時、親戚には、まだ病気のコトは話しておりませんでした。

でも、何故か親戚は知っていた。
多分、ママがコッソリと話したのでしょう。

その時、親戚の知人と、初めてお会いしました。
少しだけ、その人と会話をしました。

その時、その人が、わたしに言った事があります。

『メリカちゃんって、病気を全然 感じさせないね! 明るいね!』

………わたしは……その時、一瞬だけ時間が止まりました。
それと同時に、何故か、少しうれしくも感じて、泣き出しました。
その時は、まだ、自分の涙の理由が解っておりませんでした。
でも、今なら解る………。

その人は、わたしのコトも、わたしの人生も、何も知らない………。
だけども、病気の中にすっかり埋もれてしまっている、元のわたしの
健康な部分を、その人は、ほんの数分だけで、発見してくれた………。


『わたし』は、まだ『生きて』いるんだ………。


長く、苦しく、辛い闘病生活の中で、全然知らない人なんかが、
『わたし』を見つけてくれた………。

そんな気がした……。

その人に、そう言われた時も、わたしの中で、走馬灯がありました。
昨日、知人が会いに来てくれて、『辛そう……大丈夫?』と訊いてくれた
時と同じような、あの永遠にも感じられるような、わずか1秒の走馬灯…。

わたしは今でも、その人の言葉を忘れておりません。
その時のコトを想い出すだけで、うれし涙が溢れ出て来ます。
今も、ぶっちゃけ鼻水をタラしまくりながら、記事を作成しております!!

画像3

……そんな中で、わたしのNote友でもあり、闘病仲間でもあり、
もしかしたらソウルメイトなのではないかとも思える『単に私さん』が、
気になるタイトルの記事を公開されました。 コチラです:

辛そうには見えない人ほど、大きな悲しみを抱えているのかもしれない…
わたしも自分の経験上、強くそう思うトコロがあり、とても心惹かれる
タイトルでした。

わたしは、その記事のタイトルを見た時、また同じ走馬灯を感じました。
先程も書きましたが、わたしは、死ぬ直前で無くとも、人は走馬灯を
見たり、感じたりするモノだと思って…いや、信じております。

わたし自身が、そうだから。
共感覚の力の助けもあるのかもしれませんが、そう信じざるを得ません。

わたしが思うには、『走馬灯』の正体とは、人様の一番の『弱点』です。
そのわずかな一瞬の間にだけ、今までの人生の中で自分自身が浴びた、
全ての感情や記憶がモロに溢れ出す、とても儚くて、尊くて、切なくて、
美しくて、優しくて、激しい瞬間なのだと思います。

だからこそ、一瞬で終わるけれども、永遠のようにも感じます。
その『弱点』を突かれている僅かな間にこそ、人は真に脆いのでしょう。

『メリカちゃんって、全然 病気を感じさせないね! 明るいね!』と
言われた時、思わず涙したわたしみたいに…。

…不思議なのですが、その『走馬灯』を感じる度、
いつも、不思議と心が安らいでいる自分が、そこに居ります。

走馬灯の先にあるのは、恐らく『優しさ』や『安らぎ』なのでしょう。

画像4

……う~ん、走馬灯の答えは、今日ようやく得たような気がしますが、
肝心の『病気を見せるのは正解? 見せないのが正解?』の答えは、
手に入らないままですね……。

また今度、挑戦してみます…。

もし宜しければ応援と金銭的サポートをお願い致します。 闘病エッセイ漫画を描く為の材料費にしたり、 生きて行く為に大切に使う事を誓います。