カレル・チャペックで旅をする

海外旅行ができないので──と言っても、平時でもそれほど行かないけど──ペーパートラベルをしている。正確に言うと、カレル・チャペックの旅エッセイを読んでいる。『カレル・チャペック旅行記コレクション 北欧の旅』。チェコ出身のチャペックにとって、より北の大地はどんな風に見えたのだろう。

なにせ北国である。自分の出身だって日本では北のほうに位置するけれど、北欧は「北」のレベルが違う。海と氷と寒さと白夜。カレル・チャペックはノルウェーを船で移動しながら、こんなことを書いている。

(…)ノルウェー人医師がもう一人、ただしハンメルフェルトの家に帰るのだ。その人は綺麗な赤ん坊連れの若い男やもめで、北のほうで桃のような娘を花嫁に貰うことになっている。北での開業はきびしく、若い医者は患者を往診するのに、トナカイの橇(そり)でフィンマルクに行くか、海峡を自分のモーターボートで渡るか、だという。極地の夜、海が荒れた後でガソリンが切れるのは、相当に不快なことだ、と言っている。

不快どころの騒ぎではないと思うが……。いろんな世界があるもんだな、と感じながら読み進める。

そしてノルウェーのボーイスカウトの一団、長い足をした悪たれどもで、船首でキャンプ騒ぎをしている。しかし、これらの人たちは昨日より数が減っている。多分途中で甲板から落ちたのだろう。ロフォーテンではもはや連中はすべて失せていた。

落ちた後どうなったんですかね。このへんの口調、「カレル・チャペック」を感じる。

日本では、その語感の良さからか紅茶ブランドの名前と化している。ミツバチの愛らしいイラストが印象的なパッケージで、女性同士のちょっとした贈り物として人気。カレル・チャペックとどんな関係にあるのかは知らない。

本人は、ヨーロッパの小国チェコに生まれ、エッセイや小説を書くほかジャーナリストとしても活躍した。ナチスに対抗し、全体主義を嫌った。1890年生まれ、1938年没。20世紀ヨーロッパの戦争をその目で見た人だ。どう考えても、可愛いミツバチさんからは程遠い。

ユーモアに溢れるエッセイと、長いものに巻かれない不屈の精神、そして数多くの文筆作品。東ヨーロッパは、西の国々に比べて不遇を強いられた歴史が長いが、そこから時々気骨ある人々が生まれるのがおもしろい。面白がるのも不謹慎かもしれないけれど、東欧は西欧とは異なる魅力に溢れている。カレル・チャペックその人の文章のように。

彼がデンマークのコペンハーゲンについて書いたエッセイも、その魅力が伝わってくる巧みな文章だ。

あまりにも大きな、あまりにも利発な頭を持った農民の子供──それがデンマークである。想像してほしい、人口百万の首都が、わずか三百万の国民という体の上に載っかっているのだ。きれいで、きちんと保存され、活発で広々とした、王様の都市。百年ほど前には、まだコペンハーゲンの町は夜になると錠で閉鎖され、デンマークの王様は、町のそれぞれの門の鍵を受け取って自分のナイトテーブルに納めた、という。今日ではもう町の門はなくなり、コペンハーゲンは”北のパリ”と呼ばれている。

昔の王様は、そんな統治が可能だったんですね……。町の鍵を預かってから眠りに就く王様、それ自体がまるでカレルチャペックの書くおとぎ話みたいだ。これは「コペンハーゲン」と題されたエッセイの冒頭だけれど、文の始めから歴史も混じえた町の解説をしていて「うまいな」と思う。デンマークの知識が少し増えた。

カレル・チャペックを通じて、北欧が少しだけ身近になる。こんな風に、人生はちょっとずつ変わっていく。無数の「一冊」が、たくさんの小さなきっかけと共に人生を変える。

#人生を変えた一冊

引用:カレル・チャペック『カレル・チャペック旅行記コレクション 北欧の旅』飯島周訳、2019、ちくま文庫、pp.159,159~162,32.

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。