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最高の自分を目指そう

今日は学びのお話しではありません。ただただ、僕の今の想いをお話ししようと思います。

雨が降るたびに思い出すことがあります。

僕は子供の頃、ときどき母親にこれでもかっていうくらいこっぴどく𠮟られていました。いつもいい子供であろうとしていた、僕なりに何でもかんでも我慢していたのです。

しかし、なんだか急に頭の中がぐちゃぐちゃになってしまうのです。そして、僕は傘もささずに家を飛び出し、公園で遊びまわるのです。だから、ずぶぬれになって帰ってくると、母親にこれでもかっていうくらい叱られるのです。

その時の気持ちや状況を僕は意外と事細かく覚えているのです。他にも、楽しい思い出や嬉しかった出来事は全然思い出せないのに、何故か辛い思いや、苦しかった出来事は、僕の中で鮮明に蘇ってくるのです。これを友人に話した時には、びっくりされます。よくそんなことまで覚えているのだと。

僕は、歳を重ねるたびに、この記憶が薄れていくことを願っていた。しかしながら、どうにも記億からは消えそうもない。雨が降るたびに、鮮明になってくる。あの母親の怒った顔や、びしょびしょになって、気持ち悪くなった服の感触が。

そんなことで、人生というものが上手くいかないのかと思われるかもしれないが、過去に囚われているものは、たいていそんなものではないかと思います。囚われる過去の出来事に大きさは必要ないものだから。

そして、僕にとって、この記憶はのどに刺さった魚の骨のようにずっと僕を苦しめるものなんだろうとずっと思っていた。

過去は変えられないから、いつまでも重くのしかかってきて、ぼくの足かせになるものなんだと。

でも、最近分かったことがあるのです。歳を重ねるだけじゃダメなんだと、歳を重ねるんじゃなくて、素晴らしい体験やワクワクする出来事、自分にとって好きなことをどんどん積み重ねていくことで、あの経験やい思いがあったからこそ、他人の言いなりになっていた過去、自分をみじめだと思う過去から抜け出し、よりよい人生にしたいという強い思いに変えることができるんだと。

あの時の記憶が鮮明に蘇ってくるのは、僕に前を向けと、自分の好きなことをしなさいと言う、子供の頃の僕からの強力なメッセージになっているのだったということ。今度は良い事の記憶を忘れないようにと。

いいことも、悪いことも、最悪なことも、全ては僕という人間の一部なんだ。そのどれかを、無理やり消そうとするから、過去に囚われる。そのどれかを否定することによって、そんなことで苦しむのっていうことで多くを失ってしまうのいです。

その過去を僕はようやく抱きしめることができたのです。これまで、たくさん苦しんだからこそ、その苦しんだ原因が何だったのかを僕は知ることが出来たから。

それは、ぼくにしか伝えられないことだと思うのです。周りと比べれば、僕は心理学の専門家でもなければ、すごいことを成し遂げた成功者でもない。ただ、学ぶことが好きなだけなんだ。

そして何より、奇跡のような人生を歩んだ人の話は確かに勇気が貰えるかもしれません。しかしながらこんなにもちっぽけでこんなにも苦しんだ僕の話は身近に感じて貰え、多くの人が自分事として捉えることが出来るのではないかと。

そのことを書くことで、多くの人の手助けになれることを僕は信じている。

それは、人を感心させるためではなく、自分を感心させて自分の限界を広げるためでもあるのです。自分の可能性を信じることができるから、自分に挑戦することが出来るのです。どんなに小さくてもいどんなに井の中の蛙でもいい、毎日ぼくが今思う、最高の自分を目指していこう。

そうやって向上したいと意識すれば、朝目覚めたときから、世界にはたくさんの学びに満ちていることに気が付くのです。それは、毎日、成長するということへの意志の表れだということだから。人生の方向性はそれでいいと思う。

ここでいう、最高の自分というのは、多くを手にしていることではないということ。才能やお金、地位や成果ではないのです。それは、表面的でしかない。

もっと、自分の中の内側にあるもの。それは、感謝や優しさ幸せを感じるための心だということ。それは、つまり、僕が心からいつも願っていたポジティブな自分であることだということなのです。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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