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呪文を唱える

呪文という言葉を調べてみると、面白いことが分かりました。そのまま引用させて頂くと、神秘的や呪術的な効果をもつと信じられていることば。 たいてい定型化されており、これを唱えることによって幸運、幸福を招いたり、災禍を防ぐことができると考えられている。 ときには敵に病気や死などの不幸を与えるために使われる。と書かれていました。

それを見たときに、僕らは、普段から無意識に呪文のような効果がある言葉を使っているのかもしれないと思いました。それは、どういうものなのかを、今日は、もっと具体的に考えていきたいと思います。

名前の由来

企業の社名の由来を辿っていくのは面白いものです。企業の社名には、付けられた時の、創業者の精神や理念、志し、目指すべき目標といったものが込められているからです。

ドコモは、Do Communications over the Mobile networkの頭文字をつづったもので、意味は移動通信網で実現する積極的で豊かなコミュニケーションだそうです。

日清食品は日々清らかに豊かな味を作るという、創業者の願いからつけられています。

サントリーは、創業者の鳥井新次郎の姓と、会社の原点である「赤玉ポートワイン」の商品イメージである太陽を組み合わせたものです。僕は、この鳥井新次郎さんが、赤玉ポートワインを作った時の話は、凄く印象に残っていて、失敗の数は数知れず、挑戦と諦めない気持ちに心を打たれました。

そして、僕ら自身の名前も調べてみると、両親や祖父母が必死に考えてくれたものであり、こうあって欲しいと願いを込めて、必死に考えてくれただということが理解できます。

ちなみに、僕のアカウント名のメルシーも、僕自身、感謝を忘れないために、日々、感謝の気持ちを込めて行動していくという意味を込めて、メルシーと言わせて頂いています。

こうして名前の由来を調べて感じるのが、社名とは、電話対応する時も、会社の印鑑を押す時も、仕事をする上で、多く触れることが出来るために、初心に戻れ、志を共感できる気がします。

僕らの名前だって、人生で毎日毎日触れていることができるのが、自分の名前です。その意味をいちいち感じないということがほとんどかもしれませんが、無意識な部分には訴えかけられてはいる気もします。

つまり名前というのは、意味性を持たせ、その意味を強く感じられると、繰り返し発せられるので、呪文のようなもので、自分の無意識な部分といった深い部分まで浸透させることが出来るものなのです。

座右の銘を決めてみる

名前でなくても、座右の銘を決めてみるだけで、呪文になると思います。

ぼくの座右の銘は「だからこそできること」

この言葉には何度も救われました。僕は、何でもかんでも、自分にはもう出来ることがないとすぐに諦めていたからでした。

若くして決意した夢や目標も、一度、挫折をしただけで諦めてしまいました。それで、臆病癖がついてしまったのか、色んなことから逃げ出すようになったのです。

やる前から、これは無理。少し失敗すれば、やっぱり無理だった。これだと思い実行していることも、もう自分にできることがないと言い訳ばかりを並べては、簡単に諦めてしまうのでした。

そんな時に、この言葉に出会いました。この言葉を呪文のように唱えると、今の自分に出来ることを、自ら探そうとするのです。

忙しい毎日で、自分のやりたいことが出来ないと嘆いていたときも、「だからこそできること」これを言うと、そうだ!一日10分でもいいからやってみようと考え、やりたいことをするようになりました。それすら、出来ないと焦っているときも、「だからこそできること」一日の中で無駄な時間がないかを探し、時間の使い方を考えたり、タスクを整理するようになれるのでした。

なにか、自分の中で、支えてくれる言葉を座右の銘と定めることで、自分とその言葉の距離を縮めてくれるものになり、いつも自分のそばで見守ってくれている存在になってくれるのです。

神様が微笑むのは

そして、呪文とはかけ離れますが、日本人が大事にしてきた信念や思いがあります。それは「神様」です。僕たちの中で、生まれるまえから心の中に根付いている気がします。

僕は、いつももどこかで神様がみているような気がしています。それだけで、理性ははたらくものだし、自分を律することが出来ます。

そして、お正月には、当然のように神様に一年の安全を願い初詣に行きます。何か人生で大事な時、出産や人生を左右するような大事な試験は、神様にお願いしに行きます。また、商売繁盛や交通安全、豊作祈願といったように、成功や安全と安心といった想いも神様にお願いするものです。

自分自身がどうありたいかという決意をして、それをその神様にお願いすることで、心はより強くなり、運さえも味方につけてしまうのではないかと思うのです。神様と心の在り方については、まだまだ勉強中ですが、今はそう思えるのです。

神様を信じているなんていったら、変な風に思われるかもしれません。もっと、現実を見なさいと言われるかもしれません。しかし、歴史をさかのぼると、神様を信じて信仰することで、その力を得ていたのは事実なのです。

それは、どれだけ神様を信じるということは、どれだけ自分を信じられるのかに繋がっているものだと思うのです。

呪文も同じで、どれだけ理解して信じることが出来る人。

そんな人に神様は微笑んでくれるのではないかと思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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