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僕の中のもう一人の僕の役目

僕の中の僕自身

僕の中で、よく起きることなのですが、自分の中で意見が分かれることが、たたあります。こうしたいと思うのに、いやいや、こうするべきではないのかと別の自分が言い出して、よく対立するのです。お菓子を食べたいと思っても、我慢するべきではというは頻繁に対立します。#話が小さすぎて見えてこない

これは、きっと僕は僕自身に期待しているし、僕自身が僕に助言をしてくれているのです。ですが、この意見が分かれる度に、僕は落ち込んでしまうのです。心からこうしたいと思っていることを、それを邪魔しているのも、立ちはだかっているのも自分なんだと、社会の正しさや世間の常識にとらわれてしまい、僕自身が僕に余計なおせっかいをしているのだと思えるからです。

このことは、本来は良いことに繋がるものではないかと思うのです。倫理的なもので言えば、自分の欲望のままに行動するのを止めることができるし、自分の正直な気持ちを確かめるものになって、確かな意志や信念にすることも出来ます。ましてや、自分の選択を正すことだって出来るのです。

しかし、僕が持つもう一人の自分に対しての違和感は、対等であるはずの自分の中の関係が主従関係になってしまっているからでした。

その原因を考えてみると、僕が小さな頃から、両親や周りの大人達から、抑え込まれていたのが大きな要因になっていることだったのです。

僕がこうしたいと思っていても、すぐに、こうするべきではないと大人に否定されました。

テストを頑張れば、お小遣いでゲーム機が買いたい。と伝えても、ゲームは、あなたの身体や心を毒するものだから、ダメだと言われました。

僕が将来、ミュージシャンになりたいから、ギターが欲しいと伝えても、才能がある一部の人しか成功しないから、お前には向いていない。だから、ダメだと言われたのです。

こうして、僕のもう一人の自分がいつしか、両親や大人達の代弁者となってしまい、主従関係が出来てしまったのです。


自分の幸せを第一に考える

人間関係でいえば、強制的に主従関係が生まれてしまったら、不和がうまれて、争いがはじまったり、関係性が悪化する原因となってしまいます。

しかし、その中に思いや愛が含まれていることをお互に理解出来ていたら、どうでしょう。これがやりたいと思った時に、自分のことを本当に思って、それで本当にいいの?それで大丈夫なの?って聞いてくれたら、それは感謝に変わります。

僕も、もう一人の僕自身も、僕自身の幸せを第一に考えて、お互いに手を取り合うことができたら、それは、自分を信頼することが出来るのではないでしょうか。だから、お互いに同じ方向を向けるように、自分の幸せを第一に考えることを約束するのです。

僕は僕自身に約束をしました。初めは上手くいくものではありませんでした。「それは、誰かの意見そのまま影響を受けているよね。」「人と比べ過ぎていない?」「いやいや、全く周りが見えていないよね。」そう、僕自身が納得するまで、自分と自分自身がとことん話し合ったのです。

確かに、こうすることによって、僕の行動は動き出しが随分鈍いものになってしまいました。動き出せない時もありました。しかし、徐々に二人の息が合ってくる感覚をつかむことが出来たみたいになり、自分の納得する形が見えやすくなったようなきがするのです。次第に、僕の中でとらわれていた過去から、自分自身を守ることが出来るようになれたのです。

人は一日に1.2万回から6万回だと言われています。そのうち80%がネガティブなものだと言われています。僕は思うのです。このうち少しでも、自分に寄り添うことが出来れば、本当に自分のことを思えた思考をすることができたら、人生を大きく変えることが出来るのではないかと。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー

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