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僕らの価値は
社会に思うこと
社会に出て思うことがあります。なかなか自分の価値を見いだしにくいものだなと。
それは、仕事が出来る人が偉いと言われ価値があるように思われているから。そして、仕事が出来ない人は価値がないと扱われてしまう。
現代においては多少なりとも和らいできてはいるものの、歴史を振り返れば、仕事をしている亭主が偉い。養われている人は意見すらも言えなかった時代もあったくらいなのです。
僕は価値がない?
その風潮が今でも残っているのでしょうか?僕には分かりませんが、僕自身、自分の価値を感じることが出来ませんでした。
僕が初めて就職した先は、何十年という歴史があるレストランでした。料理の世界は実力の世界だと思われるかもしれないけど、とても閉鎖的で古い習慣にとらわれているきがします。
僕は仕事が出来なかった。いや、仕事を教えてもらえませんでした。一緒にはいった年上の同僚ばかり仕事を習い、僕は入社した当初は調理場にさえ入ることが許されませんでした。
そして、僕はまるで価値がないように扱われたのです。毎日が暴力や無視といったいじめの嵐でした。
今日、僕が言いたいのは、恨みつらみを書きたいわけでもありません。むしろ、そのおかげで強くなったくらいです。ただ、仕事ができるから、価値がある。仕事ができないから価値がない。そういった考えを持つ必要がないということです。
みんなそれぞれの役割をもっていて、みんな大切で価値があるのです。
ひとつ会社の中でも役割があって、社長は社長の役割、部長は部長の役割、社員は社員の役割。ただ、それだけです。確かに収入の違いはあるかもしれませんが、それは責任の大きさであって、価値の大きさではないのです。
雑用しかしていないから、価値がない。それは、違う。その仕事を誰もしなかったら、会社は成り立ちません。
社会も同じです。みんなそれぞれにかけがえのない価値があるのです。お医者さんだって、国会議員だって、コンビニの店員さんやお店の販売員だって、役割が違うだけで、みんな価値があるのです。
僕は毎日いじめられていくうちに、自分には価値がないと信じてしまいました。価値がないと思いこんでしまったから、生きづらかったし、とても悩んだし苦しかった。
だから、みなさんにはこんな思いをして欲しくありません。どんな仕事であろうとどんな立場であろうと、ちゃんと役にたっている、社会貢献している。みんなそれぞれ価値を感じていいものなのです。
自分の価値を認識しよう
もし、今でも自分には価値がないと感じてしまっているのなら、昨日食べたものを思い出してみてください。昨日買ったものを思い出してみてください。
僕は昨日、ごぼう天うどんでした。ごぼうやうどんやダシはスーパーで販売しています。レジをする人、仕入をする人、商品を並べる人、店長さんや駐車場を整備してくれる警備員さん。それにそのスーパーを管理する本部のスタッフや社長さん。その家族も含めて。そういった人たちの生活を、僕がそのスーパーで買い物することによって支えているのです。
更に言うと、ごぼうを育てている農家さん。うどんを作っている方々。それらを運ぶ、運搬業者の方。農家を支える組合の方。その家族まで。人数にしたら、数えきれないくらいの人々の生活を少なからず支えているのです。大きさの問題ではありません。
そして、そんな方々の苦労や努力の上で、僕たちの生活は支えられています。それがどんな仕事であろうと、多くの人の生活を支えているのです。
いや、仕事をしていなくても仕事をしていなくても関係ありません。あなたが生きているだけで、多くの人々の生活を支え、社会な中で大きな役割をしているのです。そして、支えられているのです。
それだけで、価値を感じられるものだし、感謝も生まれるものなのです。社会とは、そういう素晴らしいものであるし、かけがえのないものなのです。
そのことを感じて生きていけると、人も自分もすべてのものを尊重することができ、大切にできるものだと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー
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