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日常は贈り物だらけ

自分では気が付かなかった送りもの

これまでの僕では気が付かなかったことでした。普段から、こんなにも大きな贈り物を貰っていたなんて思いもしなかったからでした。

プレゼントを貰ったときには、本来なら自分のことをちゃんと思ってくれたことに気づくことが出来るものです。お土産を貰った時は、中身が何であれ、自分のことを考えてくれたことが嬉しいものです。

誰もがそうですが、何かプレゼントする時やお土産を買う時は、必ずといって渡す相手のことを考えるものだからです。

そう考えいくと、相手のことを思っているものであれば、言葉を掛けられたら嬉しいものであるから贈り物であると思います。褒め言葉や労いの言葉は、思いやり優しさが含まれているものです。相手のことを見て、気遣っていないと出てくる言葉ではないからです。

ただ、こうした贈り物をもらったにも関わらず、素直に嬉しいと表現できなかったり、相手の裏の心理を読もうとしたりして、感謝の気持ちを忘れてしまうことが多いような気がします。

それでは、ますます自分の中で本当に大切なことが見えなくなってしまうものだと思います。そう思うと、本当に大切にしたいと思っていても、雑に扱ってしまったり、いい加減な気持ちで接してしまうのです。

それは、自分で自分の幸せを手放しているようなものではないかと思います。

今日という一日を、家族が全員が笑顔で過ごすことが出来ること。これだって、当り前のことではないことが分かります。僕は自分の弱さのせいで家族を失ってしまった経験があります。その時に感じた孤独感は本当に苦しいものでした。だからなのか、余計に今、こうして家族が揃って過ごすことが出来ることが有難いものに感じるのです。

もしも、そんな経験をしなければ、こんなことを感じることも考えることもなかったのかと思うと、苦しかったけれど、あの時の経験も大事な贈り物だったのではないかと考えられます。

大切なものを失ったり、大きな挫折をしたり、人生が転落してしまったり、過ちを犯してしまったり。こうした経験は、試練や困難として捉えてしまうものですが、後々の人生の中で大きな贈り物と捉えることが出来るものです。

もうひとつ、僕らにとって見えにくい贈り物だと言えることがあります。自分の人生で起きることは、大抵の場合、自分の選択によるものなのですが、目の前に広がっている当たり前の光景が守られているのは決して、自分だけの力ではないはずです。

家族みんなで夕食を共に出来るといった日常の中の喜びも、自分だけが頑張ったから出来るものではありません。家族それぞれが、今日という一日を頑張ったから出来るものであるし、頑張っていたって、急な残業や仕事の関係上、それに塾といったもので出来ないこともあります。

親子関係においても、子供に対して、昨日と同じ日常を届けるために、どれだけ両親は必死になっているのか。どんな子であっても、両親に心配かけないようにと、どれだけ必死になって踏ん張っているのか。親になって初めて理解出来たものです。それに、夕食自体も考えてみれば、生産者の方々や販売店の方々といった多くの人の努力によって、目の前のテーブルに食事が並んでいるものです。

目の前に広がっている光景は全てにおいて、自分だけではなく誰かの努力によって生み出された贈り物だと言えるのです。

そう考えてみると、僕らの日常は贈り物だらけで人生は成り立っているのだと感謝の気持ちが自然と生まれてきます。

僕らの人生は、物の捉え方次第で、良くも悪くも大きく変わっていくいものです。ですので、日常は贈り物だらけという捉え方が出来るのは、非常に自分を幸せに導いてくれるものだということでした。

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最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日も自分をご機嫌に。
メルシー

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