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心が疲れるのは

問題を問題としていたのは

何が自分に問題が降りかかってくる。予期しないことだろうがそうでなかろうが原因は自分にあるのです。

これを聞くとそんなことはないはずだと思うのかもしれません。それは仰る通りです。トラブルは予期しないものなんですから。

しかし、出来事を問題にするかしないかの判断は自分自身が認識しているのに他ならないのです。

ある時、僕はトラブルばかりでした。買い物に行けばおつりを間違えられたり、ネットでプレゼントを注文したら配達員さんのミスで希望日に届かなかったり。小さなトラブルが連続して起きたのです。

僕はその度にイライラしたり、怒ったりしましてクレームを付けたりしました。

そんな時に友人と飲食店にいきました。注文したものとは、違うものがテーブルに運ばれてきたのです。「頼んでないです」と、僕が言いました。すると店員さんはすいませんの一言だけ言い、料理を下げていきました。そうしていると、また頼んでいないものがテーブルに置かれました。2回も同じ間違えをしたのです。僕は、ありえないと怒こったのです。

ところが、友人は僕にこう言ったのです。「何をそんなに怒るの?ただ、間違っただけなのに。せっかく食事に来たのに。そんなに怒らないで。」僕は、はっとしまいした。

問題にしていたのは、まさに僕自身だったのです。店員さんはただ間違ってしまっただけです。それを問題と捉えてしまい、クレームをつけ問題にしていたのは、ほかならぬ僕だったからです。


心が疲れていたから

当時を振り返ると、僕はビジネスを成功させたい。自分の人生を充実させたいと力が入り過ぎていたと思います。そのため情報を得る為にアンテナをいつも張り続けていました。

それは、すぐに反応してすぐに判断することが、ビジネスにおいても人生においても正しいと思っていたからです。ちょっとした空き時間もスマホを触っては情報を集めていました。

だから、ちょっとしたことでも、過敏に反応してしまっていたのだと思います。そのことで、きっと心も常に反応し続けていたのだと思います。

そして、このことを続けていたために心が疲れてしまっていたのでした。当時、何かに集中できなかったことも、何故か不安にとらわれていたのも、意味もなくモヤモヤしストレスを感じていたのも心が疲れていたからだと思います。

心の疲れが、自分の気持ちを見えにくくさせます。自分の気持ちがみえないと、物事をちゃんと理解できなくなります。だから、僕はたいした問題でないことも問題だと捉え、問題として判断し、問題にしていたのです。


心を疲れさせないために

このことを仏教の教えの本から学びました。その学びがきっかけで、僕はもう一度、自分の人生を見直すきっかけになりました。

ビジネスの成功とは自分にとってのビジネスの成功とは何か。人生の充実とは、具体的にどういったことなのか。

自分の気持ちを深く理解しようとし、ちゃんと向き合い考えたのです。全てとはいかないまでも、ある程度自分を理解することができると、これまで余計な情報を集めていたことに気が付きました。

何でもかんでも手を付けて反応していたんだなと思い直せたのです。自分を理解することで、自分に必要なものが見えて、自分に必要な情報だけに集中することができるようになってきました。

そうすることで、仕事の成果も上がり、人生が充実しているように感じられました。そうすることで、いつの間にか、僕の周りではトラブルが減っていったのでした。

現代はあらゆる情報が溢れています。そこで、色んな情報を手にするあまり、自分にとっては余計なものまで、情報を手にして反応してしまうのです。

例えば、芸能人のスキャンダルに反応してしまい。怒りにまかせネットであれこれいって、変な論争に巻き込まれて疲弊してしまう。そもそも、芸能人の人生は自分の人生とは、関係がないものです。そこで、自分の時間や心のエネルギーを費やしてしまうのは、もったいないと思います。その時間とエネルギーを自分に使うことが出来れば、人生が好転するのは間違いないことだと感じます。

それは、日常生活のなかにも言えることです。僕のように問題にしなくていいことを問題にしてしまう。そして何よりそのことで心を疲れさせてしまう。その原因は自分にあることだと理解する。

そして何か自分の中でモヤモヤした気持ちがあるときは、自分の内側に目を向けて耳を傾けてあげることが大切なのです。



最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー



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