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出来ないを出来るに変えていく

出来ないことは出来ない

大前提として、出来ないと思うことは出来ません。やれないと思っているのに、やれるようになれるはずはありません。それに、一度に多くのことはなかなか出来ないもであるし、いきなり高すぎる目標を達成することは、相当難しいものです。

しかし、時として僕らは、一度に多くを望み、高い目標を掲げては、何も出来ないと悩み、動けずに嘆いてしまっているものです。

僕自身もそうした中でもがいていました。それは、とても酷いものでした。

気が付けば、僕は波止場の先で座り込み、どう死のうかをずっと考えていました。その時の記憶は、凄く曖昧で、どうやって、その海まで辿り着いたのか。海まで行けば、何とか死ねるかもしれないと思ったのではないかと、今は勝手に推測しているくらいです。

結局、僕は死にきれずに、家に帰ったのも、事実です。

でも、会社には戻りませんでした。戻ってしまえば、また僕は、なりふり構わず、全てを捧げてしまうからです。いとも簡単に戻ってしまいそうな僕でした。だから、厳重に家族に止められたのでした。

あの地獄のように、追い込まれた過酷な職場に勤めて、3年が過ぎようとしたころ、僕は電卓が打てなくなるくらい、精神がおかしくなっていました。お店のレジの計算を、何度やっても売上げと現金が合わせることができませんでした。単純な足し算引き算が出来なくなっていました。何度も同じ計算を夜中繰り返していました。それくらい、思考もおかしくなっていました。

そんな自分に嫌気がさして、僕は海に向かったのでした。
もう、僕は、生きる価値もないと思ったからです。

家で、じっとして、この世の終わりのような顔をして、どんよりしている僕に家族から、気分も変わるからと買い物に行こうと誘われて、行き着いた先は精神科でした。そこで、僕は、重度のうつ病と診断され、大きな病院に連れていかれたのでした。

身体検査が行われ、荷物を全て取り上げられて、トイレしかない鉄格子付きの病室に案内されました。そのとき、僕は、自分が何を悪いことをしたのかと、激高しました。ですが、どうしようもないと悟ったとき、ただただ、悲しくて、一晩中泣きました。隣からは、同じような境遇の人が叫び声をあげていました。それが、たまらなく怖くて、恐ろしくて、眠れなかったのでした。

しばらくは、喪失感と後悔を何度も味わっては、何もしない日々を過ごしました。

再び、生きようとしたときに、僕はいきなり、うつ病を治そうとしていました。その時から、自分の不甲斐さや無力感に、これでもかっていうくらい襲われました。僕は何も出来なかったのです。自分で何かやれることがありませんでした。

その時に、偶然仲良くなって、僕の話を親身になって聴いてくれた方がいました。その方が言ってくれたことは、「何よりも先ず、前を向いて歩けるよいうになりなさい。」でした。

そうだったんです。何をするにしても、僕はいつも下を向いていたのです。だから、僕は前を向くことを目標に掲げたのでした。その時に、もう数年ぶりくらいに空を意識しました。見上げたら、綺麗な雲が浮かんでいるのに感動したのでした。

ずっと、僕はあれが出来ない。これが出来ない。そうやって、何も出来ないように感じては、自分を追い込んでいたことに気が付きました。それから、前を向いて歩くことを出来る出来ないを繰り返しながら、出来るようになったのです。こんな僕であっても、ひとつ出来ることあると思えたのです。

その時から、ひとつ出来ることを見つけては、またひとつ目標にして、ひとつ出来るようになる。それを繰り返して行くうちに、僕は心を、ようやく取り戻すことが出来るようになりました。

確かに、時間はかかりました。しかし、出来ないことをずっと目標に掲げて、何も出来ずにもがいているときよりも、前に進めていたような気がします。

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