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その人は、何故私がTATOOを入れたのかを知りたかったらしい。

スマホの画面に、その人からの質問がプッシュでお知らせされた瞬間、ずっと感じていた違和感が満タンになった。

私の肌を、まだ見せた事のない人。

「話すと長くなるので、今日は疲れたからまた明日にしますね。TATOOはどこで見たんですか?わたし、ブログに載せてましたっけ?」

「あなたの名前で検索したら、インスタが出てきたので」

なるほど。確かにインスタで、水着の写真を公開している。別に、知られたくないと思っていたわけではないので、構わない。公開しているアカウントなんだから、構わない。そう構わないのだ。でも・・・・。



今から15年前の6月の初旬、私は新宿駅西口から少し歩く、高層マンションの一室にいた。
一週間前、関東甲信越地方では、例年より少し早めの梅雨入り宣言が出された。

座っているだけでも、じっとり汗ばむ様な梅雨の湿度の中、
汗をかきたくなくて、早めに家を出てゆっくり歩いたつもりだった。
少しだけクーラーが効きすぎている様に感じる。

初めて訪れたTATOOスタジオ。

冷えたのは、出し過ぎた肢体のせいか。それとも、ただ緊張しているせいなのか。

私を出迎えた彫師は、知的で冷たい印象の人だった。全身TATOOまみれで髭坊主、・・・そんなステレオタイプを思い描いていた私の期待は裏切られた。

シンプルなデザインのスチールデスクの上、トレース台の光がその端正な横顔を照らしてる。

これから彫るらしい、いくつもの和柄の絵が、マスキングテープでデスクの前に貼られ
過去の作品なのか、見事な登り竜も額に収まっていた。

竜神雷神のデザイン画にペンを走らせながら、いかにも片手間、といった様子で、私の要望を聞いていた彼は、ゆっくり顔を上げ、皮肉そうに片側だけの唇を少し持ち上げながら、私に言った。

「ふーん。あんまり深い意味持たせない方がいいよTATOOなんてのは。とくに貴女みたいな良いところのOLさんが初めて入れるんだったらさ。」

切れ長の目と、人を見下すのに丁度良さそうな高い身長、白くきめの細かい肌。冷たい人・・・・。きっと冷たい人。

「あ、いや、そんな深い意味はなくて。ファッションというか、入れたいから入れるだけ。まあ意味がないわけではないけど、そこまで、そういう重い感じじゃないです。」

良いところのOLさん?貴女みたいな? 完全に今バカにしてるよね。別に「良いところ」でもないし、「さん」って・・・・さ。

「それと私別に、OLではないです。」

「へー。何してんの?」大して興味も無さそうに、抑揚の無い口調で彼は言った。

「え。ただのサラリーマン。営業やってます。オフィスになんかいないですし。」 

設計図持って、見積書持って、カタログ持って、毎日何個も現場掛け持ちして、クライアントのおっちゃんと、丸ノコや電ドリの音に負けないくらいの大声で渡り合ってる。
負けず嫌いだから、リピート率も、受注率も、いつも営業所のトップやってる。
でもルーティンワークは苦手。提出書類とかいつも締め切りすぎちゃう。そういう所がさ、査定下げるんだよなあ。勿体ないでしょ。

ああ、いかにもだよ。 社畜ってこういう感じ。

金曜日の夜にはおっさんの聖地新橋で飲んだあと、セフレ呼びつけて錦糸町のラブホでセックスしてる。
ストレス社会。
生ビールとか、焼き肉とか。SMプレイとか。そんなもんにまみれてサラリーマンしてるわけ。OLさん、とは違うのよ。なんかOLさんて、守られてるみたいなイメージ。私?私は誰にも守ってもらってないよ。

「貴女さ、最初の電話、すげーヤバい女って感じだったよ。会ってみたらイメージ違うよな。」

「はあ・・・ありがとうございます。」なぜかお礼を言ってしまった。ありがとうございますとかお世話になりますとか、営業の、癖。ほんと、嫌。

全く知らなかったが、彼は、和彫りでは少々有名な若手彫師の様だった。
少し前に買い漁ったTATOO雑誌の「トライバル」のジャンルに載っていたから電話を入れたはずなんだけどな。

「俺は和彫りだね。ま、トライバルもやるけどさ。へー。そんな事も知らないで来たの?誰からの紹介もなく?貴女すげーね。」

彼はクスクスと冷たく笑った。

子宮のあたりに、ヤモリを入れてくれと頼んだ。デザインはお任せしますと。

椅子の前に立たされ、「脱ぎなよ」と言われた。
彼は、腰骨の辺りに入れた方がカッコいい筈だと推してきた。
私は、やはり子宮に、と、譲らなかった。

少し納得行かないと言った様子だったが、彼は唐突に、下書きもなく、私の下腹にペンの先を滑らせた。
沢山の人の肌を触り慣れているから、それがどんな場所でも、何も感じないのだろう。

ペンの先の感覚が全身を走る。
私だけがその時、冷静ではなかったみたいな気がする。

できあがったそのデザインに、私は何の文句もなかった。そのまま施術台に横になった。

要望を伝えてから、何度か通うものかと思っていたが、たった数時間で、そのTATOOは、私の身体の一部になった。

出来上がったそのTATOOの写真を、一眼レフで取りながら彼は満足げに言った。

「いいじゃん。腰骨が良いと思ったけど…
いいね。ここで。
クレイジーだねあんた。
すげー、クレイジーだよ…。」 

「ありがとうございました。」そう礼を言い、私はドアノブに手をかける。一気に、猛烈な湿度がスタジオに流れ込んでくる。溶けてしまいそうだ。
ドアを閉めたら、もうここに戻ってくることはない。もう、ドアを閉める。その一瞬の隙をついてその彫師は私にこの言葉を投げた。

「完成した頃、見せにくれば・・・・?」

一週間後、傷口の瘡蓋がはがれて、ツルリ、とした、墨色の綺麗なヤモリが、私のお腹に現れた。そして私は彼に抱かれた。



ずっと、子供なんか産まない、と心に誓っていた。絶対に産まない。この血は、こんな血なんかは・・・私の代で根絶やしにしてやる。

それが親に対する恨みを晴らす、一番効果の高い方法だと私は信じ、若くして結婚した夫とは「子供は作らない」と約束していた。

親には、結婚の報告もしなかった。二人だけでハワイで式を挙げた。

夫とはすぐにセックスレスになり、だけれど私はセックス依存症になり、不特定多数の男たちと、ジャンクなセックスを貪る毎日を送っていた。

そんなとき、一人の男性と会った。

学歴ジャンケンばっかりしてる、ピラミッド組織の、つまんない会社。この会社でOLって言われてる子たちは、このご時世でも、営業マンのお嫁さん候補みたいな子ばっかり。

組織変革?だかなんだか知らないけど、数年前から女性の営業を増やす事にしたんだってさ。それで私が入ったって訳。中途で。実際は、経費削減て事だよね。こんなお給料で営業って笑う。

やりがいはあるんだよ。この仕事、好き。でもこの組織ってなんなの。変な会社。

そんな会社に、可愛い顔をした彼が中途で入社してきた。

「すぐに辞めて、あんな奴いたなって言われないように頑張ります。」って、そんな新人挨拶ある?正直この子大丈夫?って思った。

顔が可愛いから「王子」って仇名がついて、早速みんなから可愛がられて。

「中途同志、よろしくお願いします」って話しかけたら、照れてた。


ある日、展示会で休憩が一緒になって、お互い、「子供は要らないって思ってる」・・・って話で盛り上がった。

ほどなくして私たちは関係を持った。遊びのつもりが、愛してしまった。7年という月日が経っていた。

「あなたの子供を産みたい」と私は言った。彼は、首を縦に振らなかった。

彼と同じ瞳をした男の子がもしいたなら・・・他に何も要らないと思った。

もう二度と会えなくていいから、子供を産みたいと思った。

それは叶わない願いだった。


だから私は子宮の辺りにTATOOを入れる事にした。

年齢的にもそろそろリミットを考える時期だった。

ずっと子供は産まないと決めていたのに、欲しいと思ったその人の子供は、産めないのだった。

それなら、いっそ、もう本当に、誰の子供も産むまい。この子宮が、彼の子供をこんなに欲しがっている事実を、今ここで、永遠に消えないように、刻もう。

もっと年を取って、お婆ちゃんになって、やっぱり子供が欲しかった、と思う夜は、このTATOOを撫でよう。そうすればきっと大丈夫。私はちゃんと生きていられるはず。

ヤモリは「宮守」と描くらしい。子宮を守ってくれるかな。私の子宮。彼を愛したこの子宮を、ヤモリは守ってくれるかな。

TATOO雑誌を舐めるように何冊も読んで、私はあるスタジオに、施術の予約を入れた。

ちょうどその日、関東では梅雨入り宣言がされた。

一週間後の6月3日、私は新宿の高層マンションのTATOOスタジオのドアの前に立っていた。


彼と最後にあってからどのくらい経ったかな。TATOOを入れた事を彼は知らない。


今、裸で横になる私のお腹を、4歳の娘が小さな手でくすぐる。自分でくすぐっているくせして、どっちがくすぐっているのか分からないくらい大爆笑している。

あれから15年経った。

ヤモリは、子を宿した私のお腹の上で、どんどん大きく広がって、模様が割れた。そして、また小さくなって、今も私のお腹の上にちょこんと居座っている。

「ヤモリちゃん、可愛いー!」 4歳の娘が、私のお臍に指を突っ込みながら笑っている。

「なぜ入れたの?」なんて聞こうとも思わないだろう。生まれた時から当たり前に見てきた母のお腹。

理由なんて、もう、無い。

今のこのTATOOに、存在する理由なんか、全然ない。

「オシャレでしょーお母さん!」 そう。ただのオシャレ。ただの、ファッション。 今日もお母さんはいい歳こいてビキニを着て、ドヤ顔でこのクールなTATOOを見せびらかしてる。




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