奥村一郎(メンタルパートナー、活動家、主夫)

夢:活動家を養成する学校をつくる モットー:Life is Action. Life …

奥村一郎(メンタルパートナー、活動家、主夫)

夢:活動家を養成する学校をつくる モットー:Life is Action. Life is Play. ダメダメだっていい。頭が悪くてもいい。気が利かなくたっていい。面白くなくていい。ブサイクだっていい。不器用でいい。引きこもってたっていい。キミがそこに存在してるだけでいい。

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妻と一緒にダイエットスタート

秋口にフラメンコの発表会がある妻の衣装合わせのために、夏頃までに「着たい衣装の選択肢を増やしたい」と妻から「ダイエット隊長」の任命を受けました。 このミッションを完遂するためには、今までの何となくダイエットではいけないと思い、過去の実績を元に「メンタルパートナー的ダイエット理論」をまとめようと決意しました。なにしろ失敗は許されないのです。エライことになってしまう。 まずは「ダイエット憲章」なる屋台骨を箇条書きにしました。こちらに関してはダイエットを進めていく中で紹介してい

    • 「子育てについて今一度」

      中3の時に『3年B組金八先生』を見て教師になろうと教育大学に進学した。教師にはならなかったが、「人を育てる」ということには今でも魅力を感じている。   自分自身の子どもたちを育てていた時に影響を受けたのは、トマス・ゴードンの「親業」という著書だった。この本のお陰で、立派な父でなく、人間らしい父になれたと思う。   おそらく子どもたちも私たち夫婦と一緒にいて肩が凝ることはないと思う。それで十分なのだが、孫のことになると、もうちょっと何かしたいし、あの頃より精神的な余裕もあるし…

      • 「雨 ビチョビチョ」

        夕方から外は雨 赤い靴を履いて散歩をせがむ君   一緒に出掛けよう 雨は危険なほどではない   ハイテンションな君 僕は車が近づいたら…   「止まる」   「止まる」を一緒にしてみる   雨は降り続く 雨を感じる   「雨 ビチョビチョ」   と言いながら シャツをパタパタ 頭をクシャクシャ   雨を概念ではなく 雨を身体で感じる   「雨 ビチョビチョ」 と言いながら 雨で遊んで 真っ暗な公園まで   ひとしきり雨で遊んで 「雨 ビチョビチョ おうち」 雨で遊ぼう 雨で

        • 「ルソーのエミール」

          「創造主の手から出るとき事物はなんでもよくできているのであるが、人間の手にわたるとなんでもだめになってしまう。」十八世紀の啓蒙思想家ルソーの『エミール』の冒頭はこんな言葉で始まる。   僕が大学で教職を目指している頃、『エミール』は教育書の古典で、古臭く、学ぶに足りないとされていた。(だから、原典に当たらなかった)   しかし、この言葉はなかなか奥深い。僕なりに解釈してみよう。   すべての人はそれぞれ強みを持って生まれる。それをそのまま伸ばしてやれば幸せになるが、教育や躾(

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        • メンタルパートナー
          174本
        • わが子を愛するすべての親御さんへ
          12本
        • FMヤマト
          4本
        • あなたに出会えてよかった
          12本
        • 民Say !
          3本
        • 「オカンの話」
          20本

        記事

          「カーテンにくるまって」

          カーテンにくるまって君はいる いないいないバーかな?   うーん いきんでる ウンチかな?   カーテンがひるがえって 満面の笑みでバー しっかりウンチもしてる   いつも幸せにしてくれて ありがとう

          「つかめ」

          生きていれば 良い時も 悪い時もある うまくいく時も うまくいかない時もある 同じようにやっていても なぜかそうなる   悪い時やうまくいかない時が長く続くと 折れそうになる 自分を責めて 死にたくもなる   でも…… 生きていれば また 幸せな時が必ず来る   そして 苦々しいあの時が 今生きている喜びの肥しとなっていることに気づく そんな忌々しい糞団子が礎になるのだ   だからね…… あきらめたらあかんねん 死んだらあかんのよ   未だ見ぬ喜びは 今まで経験したことのない

          「供養」

          私は一郎の名の通り長男です。父の死後、もれなく墓がついてきて、当然、お寺ともお付き合いしています。私が33歳の時に亡くなったので、はじめは一所懸命に法事をしたり、彼岸やお盆の行事をしていました。しかし、どうも檀家制度に馴染めなくて「供養」というものに疑問を感じはじめました。   「供養する」とはどういうことなのか?自分なりに考えてみました。   そして、こう考えるようになりました。先祖代々の墓に父はいません。もちろん仏壇にも彼はいません。父は私の記憶の中にあって、いつでも対話

          「他者の価値観を尊重する」

          この前の記事で価値観の確立について書きました。月日を経て得た価値観は自分の土台です。だから大切にすべきですが、執着してはつまらなくなります。自らの価値観に固執する場と頑固(がんこ)になり、他者の価値観に寄り添えないと狭量(きょうりょう)となります。 自分の芯を持ちながら、他者の価値観に理解を示し、影響を受けた場合は自分の価値観を更新(アップデート)していく柔軟さを常に心がけたいです。そのために必要となるのが対話(ダイアローグ)です。

          「価値観」

          「人間の価値観の確立には50年かかる」と私は考えるようになりました。50年というと一生の大半です。独自の価値観を確立するのにこれほどの時間がかかるのは、親や時代の価値観、自身の経験、影響を受けた思想、また、自我の確立時期やその状態等、様々な要因が関わります。   価値観とは何でしょうか?「自分を自分たらしめる」いわば自分の芯のようなものです。例えば、1965年生まれの私は、学校教育で「男女平等」という価値観を学びましたが、親世代は「男尊女卑」という価値観で生きていました。ここ

          「寿司テロと承認欲求」3/3

          前回、「寿司テロ」のような犯罪ををしてしまう人は、マズローの欲求段階説になぞらえて「承認欲求」の段階を抜けきれず、「自己実現の欲求」の手前で足踏みをしている状態だと書いた。 なぜ「自己実現の欲求」に移行できないのか? それは「ありのままの自分を承認された経験に乏しい」からだと結論付けざるを得ない。寿司テロ現象はそれを物語っているのだろうと僕は考える。 「ありのままの自分」とは何か? それは、泣いている自分であり、媚びない自分であり、助けを求める自分だ。掛け値なしの自分

          「寿司テロと承認欲求」2/3

          「寿司テロ」はなぜ起きるのか?悪ノリがなぜエスカレートしてしまうのか?なぜ彼らはそれほどまでに承認されたいのか?(「いいね」がほしいのか?) ここからは、持論を交えて検証したいと思う。 前回の記事はこちら→「寿司テロと承認欲求」1/3 皆さんはマズローの「欲求段階説」をご存知だろうか?最近はメディアでも「承認欲求」という言葉を使われることが多くなった。この言葉の提唱者だ。 全体像を示しておく。図は、「うつ」の効用 -生まれなおしの哲学-(泉谷閑示著) 2021 - p1

          「寿司テロと承認欲求」1/3

          毎日新聞 2023/2/28 朝刊の「火論」という大治朋子さんのコラムで(「すしテロ」の背景には)という検証記事があった。寿司テロとは、回転ずしの店で客が迷惑行為(犯罪)をして、自らその様子を収めた動画をSNS(ネット交流サービス)上に流すという例のアレだ。 「なぜそんなことをするのか。議論を深める必要がありそうだ」と彼女は言う。僕も同感だ。なぜなら、ここに社会構造的な問題がありそうだからだ。3回に分けて考えていくことにしよう。 彼女は、この検証に「米平和研究所」の報告書

          この椅子

          1.あるモノ作りが好きな人がいて、自らの美意識に基づいてこの椅子を作った。好きが乗じて作品が増えた。周囲の人に「良いモノだから欲しい人に分けてあげたら」と勧められて、バザーに出したところ人気となり、良い値で売れたことに感謝した。だが、実はこの椅子を好きだと言ってくれる人にしか譲りたくはない。 2.あるモノ作りが得意な人がいて、必要に迫られてこの椅子を作った。機能性とデザインが人気となり、「他人の役に立てて、生業(なりわい)となるなら、自らの責任が及ぶ範囲で数を作ろう」と仕事

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          労働と仕事

          年末に掃除機を買い替えました。充電式のハンディークリーナーです。とっても軽くて、吸引力も半端ない。おまけにヘッド部分にライトが付いているので、ホコリが良く見えます。お掃除が楽しくて仕方なーい。あれ? ここでハタと気づきます。僕にとって掃除とは労働(Labor:レイバー)なんですね。賽の河原の石積み(さいのかわらのいしつみ)と同じ。必要なことなんだけど、これを突き詰めても残るものがほとんどない。 なるべく時間短縮したい作業。だから、最新式の掃除機を買ったのに、掃除に同じ時間をかけていたら、意味ないじゃん!なのです。 家事労働にかけている時間をより影響力が長続きする仕事(Work:ワーク)に置き換えていきたい。僕がしたい仕事とは、文章を書いて新たな価値観に気づいてもらうことであったり、チャリティーを企画して、お金儲け以外の歓びがあることに気づくキッカケづくりをしたりすることなんです。 労働も仕事も「働く」という意味合いでは一緒ですが、明確に線引をしておかないと、あくせくしているだけで、一度しかない人生に何も残せないようで…… さぁ、今日も生活の改善「VE(Value Engineering:バリュー・エンジニアリング)を目指しましょう。きっとそこに幸せのヒントがあるはずです。

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          1月17日

          28年前の今日、当時、私たちが住んでいた奈良県香芝市でも大きな揺れを感じました。午前5時46分、僕は生後半年の娘をベビーベットからおろし、抱きかかえて、落ちてくるかもしれないモノから守るのに必死でした。幸い香芝市の震度は4でさして被害はなかったけれど、恐怖を感じた初めての揺れでした。 その一週間後、娘は痙攣発作を起こします。震災の映像を見ていた妻が、娘の異常に慌てふためく状況が当時の育児日記に残されています。泣きながら病院に走ったそうです。当時、僕は香川に出張で、震災の影響で陸路が使えないので、高速艇で帰ってきました。 この時から僕たちの試練が始まりました。原因不明の痙攣発作、免疫異常、ホルモン異常、長期入院、3時間毎の授乳、つまり生後間もない赤ちゃんのような生活を3年間も続けて、妻は倒れてしまいました。 しかし、あの時の地獄のような日々さえも、僕たち夫婦に学びと出会いを、新たな価値観を与えてくれました。それだけ十分だったのに、28歳になった娘は、生存に欠かせない4つのホルモンをお薬によって補充している娘が、赤ちゃんを産んでくれたのです。そして、優しい旦那さんがそれを支えています。 今、妻は、そのキセキの子、結衣(ゆい)を抱いて眠っています。さあ、仕事に行こか!人生は「これでいいのだ!」^^

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          おてらおやつクラブ

          昨日、JR高田駅西側の南河生鮮市場(なんこうせいせんいちば)に買い物に行きました。妻がラムレーズンが好きで、ここの干しぶどうが大ぶりでラム酒に漬けるのに最適だからです。 で……他の食材を物色していたら、正月用に用意した食材の投げ売りなのでしょう。百合根が3個で68円とか、イカ黄金等の珍味が3種盛で398円とか、え!と目を疑いたくなる価格がズラリなのです。 こちらは正月用ではないのでしょうが、これでもか!というほどの量の火烏賊(ヒイカ:小ぶりのイカ)が500円とか売られていたので、昨晩、仕込みました。しばらく、酒の肴には困りません。 そして、考えました。世の中は物価高だとか、値上げラッシュとか、新聞やテレビで騒いでいるけども、安くなってるものもあるし、反面、食品ロスの問題も僕らは抱えています。各地の子ども食堂には飢えを凌ぐために子どもたちが集まっています。 この矛盾ってどういうことなのでしょう? 僕の友だちに上村康弘(かみむらやすひろ)がいます。彼は、おてらおやつクラブの事務職員をしています。 おてらおやつクラブを簡単に説明すると、お寺には各地域の檀家さんからお供物が集まります。今まではこれらを供養した後、廃棄していたのですが、田原本町の安養寺さんがこれらを子どもたちに分配する事業を始めたのです。 食パンくんこと、上村に「その辺の現状をFMヤマトのリスナーさんに伝えて」と僕から言っておくので、取材してやって下さい。お願いします。