私は一郎の名の通り長男です。父の死後、もれなく墓がついてきて、当然、お寺ともお付き合いしています。私が33歳の時に亡くなったので、はじめは一所懸命に法事をしたり、彼岸やお盆の行事をしていました。しかし、どうも檀家制度に馴染めなくて「供養」というものに疑問を感じはじめました。
 
「供養する」とはどういうことなのか?自分なりに考えてみました。
 
そして、こう考えるようになりました。先祖代々の墓に父はいません。もちろん仏壇にも彼はいません。父は私の記憶の中にあって、いつでも対話ができます。
 
あと数年で父の享年に達する私は、父がおそらく感じていただろう苦しみや焦り、子どもが独立したり、孫ができた喜びも分かち合うことができます。
 
そして、私が死んだ時に父も母も死ぬのです。いつか私も死ぬのだと肝に銘じつつ、記憶の中の彼らと接し、妻や子どもたち、孫との何気ない今を楽しむ。これが私の「供養」です。

※写真は2023年に妻と泊まった伊良湖オーシャンリゾートから臨む朝焼け

I have a dream. 私の「夢」は、日本に活動家を養成する学校をつくることです。 私の「モットー」は、Life is Art. Life is Play. -生活をアートできるようになれば既に幸せ-