見出し画像

不登校は家庭の問題?


不登校児童生徒は年々増え続けています
いったい子どもたちに、何が起きているのでしょうか?
何が子どもたちに影響を及ぼしているのでしょうか?
家庭の変化して、
子どもの生活環境が変化してきているのでしょうか?

このように増え続けている原因には、
多くの要因があるでしょう
どのように考えても、
「ある家庭の、ある家庭による、ある家庭の問題」
とは思えません

子どもの集団の中の変化し、子どもたち同士がお互いに影響を及ぼしているのでしょうか?
では、その集団はどこで形成されるのでしょうか?
「家庭の中で子ども集団は形成される」
ことはありません
集団が影響を及ぼすなら、集団は主に学校に存在します

少子化が影響し、大切に育てられることにより、
切磋琢磨し逞しく育てられていないのでしょうか?
それならば、「子どもが弱くなった」
このように考える人もいるかも知れません
でも「大切に育てられて弱くなる」こと
以前の子どもたちは
「大切に育てられていない」のか?
そんな疑問が湧いてきます

これらの点について考えてみましょう


子どもたちに何が起きているのか?

発達障害など発達に関わる特質は、
個々のパーソナリティとして挙げられます

確かに、ADHDや高機能自閉症などの発達障害とみられる
子どもも増えてきています
しかし、そのような子ども自身の課題や問題によって
不登校が増えているということではありません

子どもの変化や子どもに問題があると捉えるのではなく、
不登校が増えている原因は外的な要因が影響していると
見るべきでしょう


何が子どもたちに影響を及ぼしているのか?

子どもは、日々の生活の中で様々な要素に触れながら成長しています
五感のすべてで感じ、影響を受けながら生きています
その影響の受け方は、子どもによって当然変わってきます

ここでもパーソナリティが影響の受け方を決定していきます
何に影響され、影響されないのか、子どもによって異なります
現在は、スマートフォンなどによる情報も大きな要因です
社会は情報に溢れています

大人は、子どもにとってよくない影響だと判断すれば
近づけないようにします

しかし、その悪影響が直接不登校に関わっているのでしょうか
普段、子どもにとって正しい影響を与えると考えられる環境にも
落とし穴があるのではないか
そのような気がします


家庭環境の変化

多様な家庭環境の中で生活をする子ども
確かに、親のかかわり方で子どもへの影響は大きいと
言わざるを得ません

子どもへの虐待も社会的な大問題です
虐待は不登校の要因に成り得るでしょう
しかし、特別な状況ではない限り、
家庭環境がすぐに不登校の原因になり得る
ということはないでしょう


大切に育てられて子どもが弱くなった?

少子化による子どもの減少は、学校の子どもの人数や学級数を見れば一目瞭然です
いかに激減しているか、一番分かるのが学校です

あなたの地域でもそうではありませんか?
近くで子どもの声が聞こえなくなった
町に子どもの姿が見えなくなった
登校下校時以外に子どもの姿が見えない
自転車で楽しそうに遊びに向かう姿が見えない

2000年代に入り、子どもたちの減少は顕著に感じられます

「大切に育てられている」
でも、子どもの数に関わらず、
大切に育てられていますよね

中学校のクラブ活動でも、克己心が大切である
辛抱や逞しさを身につけさせられる

こうおっしゃる方もいます

反対に
「大切にされて愛情豊かに育てられてこそ」
子どもは、自分を大切に思い、周りを大切に思う
力強い子どもに育つのではないでしょうか


ある家庭の、ある家庭による、ある家庭の問題?

不登校とは、子どもが学校に行けない状態を指します
学校がなければ「不登校はない」というのは言い過ぎでしょうか
仮に、子どもが1000人居て、その子どもたちが一斉に学校に入学し
「朝教室に到着し着席し学習をする」
これは当然のことのように思われてきました
義務教育ですから親も子どもを学校に通わせる義務を負っています
親の都合で学校に行かせないのは論外ですが
1000人の子どもが同じように通い生活することの方が
何となく無理があるようにも思えてきます

このように書くと「子どもの問題?」と
捉えられるかも知れません
子どもの行く先である「学校」に無理があるのではないか?
とも考えられるのではないでしょうか?

日本の学校は、学制が布かれて知識の伝達に
非常に効率のよい仕組みでした


子どもと学校

子どもにとって学校とは?
大人が仕事をするときにも、「働きやすい職場とそうでない職場」があるでしょう
こう考えたら分かりやすいのではないでしょうか

働きづらい職場は、やはり効率が上がっていかない
何か問題がある

「みんなが楽しい、苦にならない」
これなら、毎朝起きるときも、寝るときも、
仕事へ行くときも、足が進みますよね

子どもが学校へ行くことも
同じなんですよね


子どもが行く学校

今、学校が子どもにとってストレスフルであることは
容易に想像がつきます
不登校が増えていることからも、
子どもたちの何らかのサインであると考えることができます

かつて、OESDのPISA調査で、日本の子どもたちの学力低下が問題となったことがありました
当時は「ゆとり教育」といって、それまでの詰め込み式の学習ではなく、
もっとじっくり時間をかけて、子どもたちが自ら考える学習を取り入れていた時期がありました
教科書の内容も知識を詰め込むのではなく、子どもたちが自身で獲得していく学習内容になっていました
この教育が低学力を生んだのか?というと、そんなことはないのです
「考える力」をつけて行く教育ですが、まだ結果が出ない時期に、
原因は「ゆとり教育」にあるのではないかとの反省により
学力向上の取り組みが全国学力テストの実施と同時に、
都道府県の小学校中学校のテスト結果からのランク付けが始まりました
「ゆとり教育」のころは、不登校も少なかったのですが、
そこから急激に増えていくことになりました

教育委員会等の指導の下、各学校の序列も付いていき、
地域や保護者に結果を知らせていくことになっていきました
学校が、都道府県が、学力向上を旗印に競い合わされることになっていきました
授業の時間を確保することに加えて、余裕のない中へ学力向上の取り組みが
どんどん時間を圧迫することになります

子どもは、子ども集団の中で育っていきます
職場と同じように、子どもが居やすい集団が子どもを育てます
よい集団が子どもを育てていくのです
「よい集団をつくる」ことが、学習を含めて
学校や教師の努めです
一人ひとりの子どもの居場所があり、笑顔が溢れ
子どもの顔が輝いて見える、そんな集団がある学校

そうでなければ、学校ではないでしょう


「サケが森を育てる」
アラスカに、こんなことわざがあります
サケは、卵を産みにふるさとの川に戻ってきます
そして、役目を終えたサケは死んでしまいます
死んだ多くのサケが養分となって、森の様々な動植物を育てていくのです

何が「子どもを育てる」のでしょうか
「サケ」の役割をするのは、何でしょうか

大人は、しっかり考えなければならないのではないか
そう思わずにはいられません

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?