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21. 大上は下これあるを知る(だいじょうはしもこれあるをしる)


老子が推す真のリーダーは、「何にもしない人」


老子は常々、本当のリーダーについて、政治的なことをせず、ただ存在しているだけの人だと言っています。

実際、その何もしないとは、遊んでいるという事ではなく、下の人間に命令したり、自分に引き付けようと作為したりしないという事です。

二番手として、下の人間に恵を与えるリーダーで、下の人間は親しみを感じたり、それを褒めたたえたり、感謝したりします。

実際私たちはこのリーダーが一番優れたリーダーだと思っている事が多いと思いますが、老子的にはこれが二番手なんですね。

三番手として、厳しく指導したり、罰を与えたりするリーダー。

それは短期的には有効かもしれませんが、長期的には下の人間に恐怖を与えることで、成長を遅らせたり、萎縮させることとなってしまいます。

最後に一番ダメなリーダーは自信がないリーダーです。

しかし、何にもしないリーダーが真のリーダーだと言っても、ほとんどの人がそれはできない事と思います。私ももし自分がリーダーになったら、何もせずにはいられない事と思います。

実は老子が常々言っている「無為自然」とは本当に難しいことなのです。普通の人間の本能では、簡単に無為自然になれないのです。どうしても欲望に走り、作為的で不自然になってしまうのです。


老子のおかげで理解できた「最高の父」


そして今日の「大上は下これあるを知る」、これを読んでふと思い出したのが、自分の父でした。

父はいつも機嫌がよく、ユーモラスで明るい人でした。私もそんな父に怒られた記憶はほぼなく、自由に何でもさせてもらっていました。

ただ家にあまりおらず、また私に何も言って来ないので、すっかり私に関心を持ってくれていないと思っていました。

そんな両親にはよく離婚話が出ていました。というか、母がかなりヒステリックで、母が一方的に父に怒りをぶつけていたように思います。

そしてそんな中で父の不在が増してくると、私の人生においても、父の存在は薄いものになっていきました。

嫌いではないけど好きでもない。そんな父が亡くなって早20年経ちました。


母が牛耳っていた我が家。実は父が真のリーダーだった


ところが今日の「大上は下これあるを知る」を読んで、あの頃の父の言動がまさにこれではないかと思い始めたのです。

まず、父は必ず給料は母に「全部好きなように使いな」と毎回、毎回全部を渡していました。(私の子供の頃、まだ当時は現金支給だった)。母はそれをわが物顔で使っていました。

そしてある日、母が指に大きな宝石の指輪をしていました。そして父に「これ、買った」と言って指輪を見せていました。多分数十万円はするものだと思います。

そしてその指輪を見るや否や、父はなんと、「良かったなぁ(o^―^o)」と言って母の頭を撫でていたのです。それは子供の頭を撫でる親のようでした。

またある時は、お酒に酔って父に「バカ野郎、くそジジイ」と荒れて八つ当たりをしている母に、「そうかそうか、わかったよ。今日は早く寝ろ」とまたもや母の頭を優しく撫でていたのです。

そんなことは当たり前の日常でしたし、当時子供だった私はその意味をあまり理解できていなかったのですが、自分が今大人になって当時の親と同年代になってみると、あれれ?実は父は妻にとんでもなく優しい夫だったのでは?と気づき始めたのです。

そう言われてみれば、いつも父はどんなに母が荒れていても絶対に母に手を上げていませんでした。

常に情緒不安定な母の認知の歪みをいつもしっかり受け止め、家を崩壊させずにバランスをとっていてくれたのは、実は何もしていないようなフリをしていた父の方だったのです。

そう、実は我が家はいつでも朗らかで楽しい父親の人柄によって支えられてきたのです。


今なら言える「お父さん、ありがとう」


そしてそんなわがままで気が強く、情緒不安定な母のために一生懸命生きた父に、今なら言える心からの「ありがとう」。そしてもし父が生きていたら、温泉旅行や食事に連れて行ってあげたいと、あれこれと思い浮かぶのです。

そして、「親孝行したいときに親はなし」を本当に今この年になるとジワジワと感じ、もっと父に優しくすれば良かったと、悔恨の念が溢れ出します。


それは本当に切なすぎるけど、自分が生きている間に老子を学べたことで、これに気づけたことはせめてもの救いとなり、残りの人生を少しでも後悔のない選択をできればと、改めて思うのです。






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