Miya-z

音楽的表現を中心とした何でも屋。 司会やナレーション等、声を使ったお仕事も行っておりま…

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音楽的表現を中心とした何でも屋。 司会やナレーション等、声を使ったお仕事も行っております。 慧 a.k.a. Miya-z / S.L.N.M / memento森 / ALL ITEM 10 TIMES / サラケダス / 新日本ミクスチャースクール

最近の記事

love shit

汚い物を多く見てきた。 自身がそれに染まっている部分も沢山あると思う。 しかし、時として自分に纏わりついたその"穢れ"は知識や経験として武器や防具にもなった。 何より驚いたのはそうなってから、より美しさを俯瞰出来るようになった気がする事。 思い返すだけで顔を歪ませてしまうような恥の連鎖の中で、それでも生きていく素晴らしさ。 死に損ないの肉を引き摺り歩く道の途中で、まだ新たな出会いや発見がある嬉しさ。 影を知らない人は本当の光を描けない様に、汚れ、ほつれ、破け、ボロボロにな

    • 黄泉比良坂 君を自転車の後ろに乗せてゆっくりゆっくり下ってく

      長い冬が終わり日中半袖を着るようになったので、タイピングの練習も兼ねて、また更新しようかなと思う。 尚、私にとっての冬はヒートテックの上に厚手のパーカー等を着ている期間なので暦とか詫びとか寂びとかは無い。 混沌は常態化すればそれは秩序なのではないかとか、恥じらいのある痴女はそれはもう勝気な淑女ではないかとか、若者のオジさん化は元気の前借の対義なのか、もしくは律義な故に早めに返済しているのか、等と考えている内にもうすぐ今年も半分終わる。 ホラーなんかより時間の流れの方がよっ

      • 狂白文

        ミステリアスで高尚な存在で居たければ露出を減らすのが一番の近道ではないか。 特に表現に携わっている者ならば作品以外に於いて、人目に触れたり、所謂"素の状態"を露出する機会を限定すればする程、神格化されやすいように思う。 しかし、文明の進歩と共に未開の地が無くなるように、ネットワークという、3.5次元の質量を持たない世界が広まるにつれて、人間の内面も容易に詳らかになってしまうようになった。 手の届かないモノへの憧れから、自分の近くの存在に対する親近感が人気の指標へと移り変

        • タイーホ

          たぶん自分でサッと見えるものでは無いから、お尻の穴を見られるのが恥ずかしいという側面はあると思う。 排泄にまつわる器官というだけでも相当なタブーを感じているうえに、いざ見せるとなった時に、すぐに状態が確認できない。 手のひらであれば「ちょっと手見せて。」といわれた時に"今日は乾燥して荒れているから嫌だな"とか、逆に"今日はさらさらで状態が良いな"とか状態を把握できる。 しかし、お菊ちゃんは手鏡でも使わない限り自分で状態を視認できない。 そのくせ相手からは丸見えである。

        love shit

          REre

          先日新しいグループを始めたと報告したS.L.N.M(と書いてサルノメと読む) めでたく1st ep. 『猿ノ目』をリリースしたわけだが、そこから新たな遊びを発信している。 #REviewと冠し、ep.に収録されている「疑音」という曲のパラデータを公開している。 パラデータとは重なり合って1曲になっている、それぞれのボーカル、ビート、ベース、ウワモノがバラバラにしたものである。 これによりremixの素材として使いやすくなっている。 実は、殆どの方が使っているであろう

          透き通った花束を

          朝、久々に轢かれた猫の死体を見た。 手を合わせたものの、大きい幹線道路だったうえに、仕事に急いでいた為そのままにしてしまった。 駐車場に停めてある車のドアを閉めた途端、いたたまれない気持ちに襲われ顔がゆがむ。 何の冗談かと思うかもしれないが、今日は仕事の関係で屠畜場に向かう事になっていた。 そこに訪れるのは今回が二回目で、以前行った時に、初めて生きている状態から加工され肉になる牛を見た。 これはなるほど、どうやって肉が我々の口元に届いているのかを目の当たりにすると、

          透き通った花束を

          いじめについて

          最近、いじめの話題が盛り上がっているのを見かけた。 "最近"というか、ある程度の波を持ちながら、昔からずっと、繰り返し問題になっている。 1.経験自分もいじめられていた経験がある。 それをいじめと呼んで良いのかどうか、今でも迷う。 内容がどうこうというわけではない。 いじめられていたという気持ちが"イキっているのではないか"と怖くなるのである。 冗談や、少しお遊びが行き過ぎただけなのかもしれない。 それを自身が過度な被害者意識で「いじめられていた」と言い切ることが、と

          いじめについて

          猿の目-from monkey eye-

          新しい音楽を始めた。 S.L.N.M サルノメ という名である。 素晴らしい音楽人たちで集まり、"制作"という形で絆を深め、時代に嘆くだけでなく、何か次の一手は無いだろうかと錬成していった。 嘘である。 非常事態宣言下、閑散とした街を横切り、薄暗い部屋に集まる。 どうかしてる世界に辟易としながら、持て余した時間と体力とほんの少しの知恵で遊べるだけ遊んだ。 どうせ遊ぶならと、才能の(歪な)塊みたいな悪友を呼んで、冗談としか思えない楽曲の上で、やけくそ且つそれでいてち

          猿の目-from monkey eye-

          had better

          優しい脅しが苦手である。 いたたまれない気持ちになり、逃げ出したくなる。 「そっか~。まあでも〇〇しておいた方があなたの為にはなると思うけどねぇ。」 「まあそれで良いんじゃない?俺なら絶対こっちを選ぶけど。」 「うんうん。まあもう少し経験積んだら分かるようになるよ。」 自分の意見が相手とマッチングしなかった際に吐かれる、思いやりの皮を被った優しい脅し。 子供の頃は、「絶対違う!!アホー!!アホー!!この、わからず屋ー!!」と自分の意見が通らなかった際にこねていたダ

          had better

          note再開のお知らせ

          約1年ちかく放置しておりましたが、ここ最近言葉数が増えてきたので、この場で、再び好き勝手に文字遊びしようかなと思い立ちました。 再開というほど大それたものではありませんし、ひょっとしたら、またすぐに飽きてパタリと更新しなくなったりするかもしれませんが。 そもそも、ふわふわと流浪している(気分で平日は、ほぼちゃんと毎日巨石を積み上げ王の墓の建設に従事している)のでバーチャルも現実もふらっと現れたりいなくなったりしても良いじゃない。と、そんな事を思っています。 単純に気温あ

          note再開のお知らせ

          living message

          友人とのやり取りの中で、ふと思ったことがあるので書いておきたいと思う。 自分の音楽観の中には、死や生、喪失、憂いが深く根付いている。 よく有名なアーティストほど夭折したりするが、やはり表現というものにはそういった本質的な濃い陰の部分があるような気がする。 ここからは自分の好むタイプの作品に対する偏見ではあるが... 作品とは一種の死を閉じ込めた結晶で、とてつもない量の生命エネルギーを加え圧縮して作られている。 その結晶はとても美しく、吸い込まれそうな魅力がある。(同

          living message

          フリーググール

          たまにどうでもいい事が気になったりする。 そうやって調べると一旦溜飲が下がるのだが、いかんせんどうでもいい事。すぐに忘れて同じ様な事を何度もググっていたりする。 フリースタイルは昨今のブームで周知の方も多いと思うがほぼ即興でラップをする事。 中には、トップオブザヘッド...読んで字のごとく、頭に浮かんだ完全即興のプレイスタイルも存在する。 フリーググールとは 察してその絶望的なネーミングセンスにゾッとしている方も多いとは思うが、 即興でふと頭に思い浮かんだどうでもい

          フリーググール

          験なき 物を思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし

          人は何故酒を飲むのか。 あるいは各種ドラッグに手を出すのか。 自分は気持ちを高揚させる為、あらゆる不遇を忘却する為、もしくは緊張感を取り除く為に、といった場面が多い。 恐ろしい程に寛容な人々のおかげで、まだ酒を飲むことを許されているが、私は典型的な酒で失敗する人間である。 神戸で酩酊し、大阪に行って飲みなおそうとしたところ、間違って寝台車に乗り込んでしまい、そのまま静岡の「富士」まで行ってしまったり、 台湾ツアーの前日に、「明日早朝集合やから早めに抜けるわ。」と言い

          験なき 物を思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし

          ある協力にまつわる幾つかの思い出話

          気圧と共に少し重くなっていたkeyを押し込む。 珍しく依頼を受けたので、是非とも!と思い書かせて頂く事にした。 このコロナ禍で、多くのエンターテイメント業界が打撃を受けている中、ご多分に漏れず、自分が出演していたライブハウスもクラウドファンディング等を始め、長期戦の様相を呈している。 memento森だけに止まらず、多種多様な形で世話になり、更には酒癖の悪い自分を、いつも動物界最強の母性で受け入れてくれる 神戸Event-hall RAT https://camp-fi

          ある協力にまつわる幾つかの思い出話

          Who are you?

          コロナ禍に呑み込まれてからというもの頻繁にnoteを更新するようになった。 本来はライブという活動を中心に自己表現を行っていたが、そうもいかなくなり、その間に何かできないかと思いたち、こういったブログまがいな更新を続けるに至ったのである。 そうこうしている内に、継続は大事だけれども、それ以上に -満足感を越える速度で発表し続ける- という事こそ大事なのではないかと考えるようになっていった。 私は自分の文体があまり好きではない。 特段文章が上手いとも思わないうえに、誤用も

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          ずぶ濡れの天才たちへ

          いよいよ梅雨が始まった。 こうやって記録に残せるのは良い。 季節は変わり始めこそワクワクしたり、切なくなったりするものの、結局気づけば"為っている"事が多いので、なんだか刹那にしおりを挟んだようで良い。 雨の日は好きな日と嫌いな日がある。 もっと言えば好きな雨と嫌いな雨がある。 勿論それは、phとか温度といった雨そのものではなく、シュチュエーション。 予定の無い昼過ぎ、起き抜けの雨なんかは好きだったりするし 一人の帰り道、駅前の雨は何となく嫌い しかし、気圧の関係

          ずぶ濡れの天才たちへ