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living message

友人とのやり取りの中で、ふと思ったことがあるので書いておきたいと思う。

自分の音楽観の中には、死や生、喪失、憂いが深く根付いている。

よく有名なアーティストほど夭折したりするが、やはり表現というものにはそういった本質的な濃い陰の部分があるような気がする。


ここからは自分の好むタイプの作品に対する偏見ではあるが...

作品とは一種の死を閉じ込めた結晶で、とてつもない量の生命エネルギーを加え圧縮して作られている。

その結晶はとても美しく、吸い込まれそうな魅力がある。(同時に少し恐ろしさもある)

そんな黒い宝石を錬成する為にはかなりの気力を持続させなければいけないうえに、殆どが無自覚で、何かが起こってからでないと、どれ程自分が追い込まれていたか気づくことも無い。

近づきすぎて蝕まれ、抑えきれなくなり、閉じ込められ無かった死に捕まる。

才能とは努力と閃きと言ったりもするが、才能には"極度の思い込み"という側面もあると思う。

そもそも同じ事に向き合い続けていると、あるラインからこだわりを抜けて執念や固執に変わっていることが多い。

そうなると視野はひどく狭くなるが、代わりに自己の思い描く世界がより精密にフォーカスされていく。

これの繰り返しである。

しかし、当然気力は無限ではない。

体は分かりやすく食事や睡眠を自ら求めてくれるが、精神はそんなに分かりやすくはない。

そもそも、具体的に休める手段がハッキリとある訳ではなく、人によっても変わってくる。

唯一万人に共通しそうなのものが、アルコールやドラッグ、その他諸々への依存では無いだろうかと思う。
これらは気力を回復させることは無いが、気力を削る様々な要因から一時的に隔離してくれる(ような気になる)。

創作に用いられる気力というエネルギー源は、それほど取り扱いがややこしいうえに、更には莫大な量を消費する。

MPを失っても無理して動き続けると、今度はHPまでが削られ、気が付くとゲームオーバーになっている。


年を重ね、音楽との向き合い方も少しづつ変化していった。

前述したように音楽を含め、自分の好きな作品は死を閉じ込めて作られている。

強い生命力と鋭い視点で削り出されたブラックダイヤモンド、それを作品たらしめているのは、閉じ込められているという前提ありきである。

先人たちを否定する気はさらさらないが、今こそ自分は生きて死を歌おうと思う。

しかし、27歳で死ねなかった凡庸な狂人は、業火のような真っ黒なエネルギーに、時折強く憧れたりもするのである。



追伸:何故かいつも忙しくて申し訳ないが、友人達よまた酒を飲もう。気力を補うことは出来ないかもしれないけれど、話してみると意外な気付きもあったりするとも思う。
老後一人にならないように、出来るだけ長い生きよろしく頼む。


追伸の追伸:お前がまず気をつけろと返ってきそうなので、
はい。くれぐれも気を付けます。
とだけ。

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