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=人の痛みの感じ方について=

すみません。
九月から娘の小学校が始まって、
書きたいことと書けることの内容が変わってきて日々、
書く内容のテーマが変わっててすみません。

さて、今回は娘ちゃんのことをちょろりとお話したいと思います。
ざくっと説明すると、
娘は発語が二歳まで一切ありませんでした、
あ、あうあう、などの言葉はありましたが・・・
ママと言ってくれたのは二歳。
めちゃくちゃうれしかったのを覚えています。

その時は言葉がほかの子よりちょっとゆっくりさんなんだろうなあ、
そんな焦らずとも!と、
はじめてのこだったので、サンプル数もなく、
そのまま受け入れていました。

ですが3歳の三歳児検診のときに見事にひっかかりました。
3歳というと癇癪がマックスひどいときで、
一度火が付くと吐くまで泣かないと落ち着かない、
泣くボリュームも激しく、
周りからはこの子大丈夫?
てか親も大丈夫?とみられていました。
や、みられていたと被害妄想だったのかもしれません。。。
ほかの人から言われないよう、かぶせるように娘を叱っていた時期もあります。(かわいそうなことをしたなと思う場面は多々)

今でもそのときの経験が辛すぎてフラッシュバックするのは、
近所のイオンで私と娘二人でいたときのことでした。
いつものごとく娘の癇癪が発動したので
お店の外に出て、誰にも不快に思われないだろうという
ひとけのない外に出たのに、
そこに一組の老夫婦が現れました。

娘は外へ出てもなかなか癇癪がおさまらず、
うわーーーー!って感情を爆発させていました。
(今、思えばその時は感情を言葉にうまくできずもがいて苦しんでいたんだと思います。)
そんな娘と私とすれ違う瞬間
めちゃくちゃ大声で
「うるさい!黙れ!!!!」と
そのおじいさんに怒鳴りつけられました。
この人にわたしたちのなにがわかるんだ。なんでこんな全く見ず知らずのひとに、しかも迷惑かからないであろうひとけのない場所に移動したのに。

お店の中でもない外の公共の場所から外れた場所だったのに。

悔しくて悔しくて、本当に口から血が出そうなほど
言い返したかったですが、
言い返せず、娘とその場ですみませんとポツリ言い、
二人で泣きました。
当然、お店の外とはいえ、
不快と思う人がいれば不快なんでしょう。

でも、娘がこうなった経緯、知ってほしい。
二人ともこうしたくてこうしたいわけじゃないと
やりきれない気持ちで泣きながら
二人で手をつなぎ歩いたことを今でも
昨日のように思いだします。
それほど悔しく悲しい思い出でした。

そこで最近思うのは、

「痛みに対しては2パターンの人間がいる」
ということ。

一つ目は自分が受けた痛みをそれと同等、それ以上に誰かに与えたいと思っている攻撃性のあるひと。

二つ目は自分が受けた痛みを、もう自分以外の人に受けさせてはいけない、自分が感じた痛みを二度と他者には繰り返させないと
思う人。

この二点です。

私は、この一見にしかず、
人の痛みに寄り添える人間でありたいと思います。

ただ、注意しなければいけないのは、
私が経験したことに関しては想像がつくし、
多少なりとも寄り添えると思いますが、
自分が経験したことのない痛み・苦しみについては
わかってあげられることは非常に少ないと思います。世の中のことほとんど自分の知らない世界です。自分が知ってる痛みなんてほんとちっぽけなもん。

それでも、信じているのは、
経験はなくとも、その人の感じている1%の痛みでも
想像できる人間でありたい、そう努力する人間でありたいと、
強く思っています。

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