最近考えたこと:欲望はどこへ行くのか?「BLの元祖」と「ピアニスト」を鑑賞して
※かなり性的な内容を取り上げます。
※映画「ピアニスト」(2001)を全編に渡ってネタバレします。
私は1年と少しの間、長編の二次創作BLを描いています。
描くからには読み応えのある大作にしようと懸命にやっておりますが、そもそもが「性欲をガソリンにして描きたい物語を仕上げる」という不純な動機からスタートしているので、どう転んでも下らないような気もしています。(別にそれでもいいんだけども…)
私は一般的な二次創作の動機になる、カップリングやキャラクターへの”推し”文化に全く馴染めなかったため、ただ作品を完成させることだけを目標に続けています。
そして「この要素を使えば表現できるぞ!」と、その辺にあるものを片っ端から掴んでブリコラし、無理やり前に進んだ結果、この漫画は奇形じみてきました。
間違いなく女しか読まないBLに、黒澤明、土門拳、白土三平を合成しだす。この漫画、いったい誰向け?
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BLはポルノ
そもそもBLって何なんだろう?
何でわざわざ自分の欲望を男同士のあれこれに変換しなければいけないんだ?
そんな疑問が湧いたので、元祖BLを読んでみた。
知らなかった。
これ、ポルノだったんだ。
なのに、めちゃくちゃ感動した。凄い!!
そうか!
そういうことだったのか!!!
「風と木の詩」は、女の青春と恋愛とセックスと子育てに対する激しい欲望を暴力と共に描いた、とんでもない作品だった。
欲望なんて、常に暴力が何かに形を変えたもの。
女はいつも、強い暴力の隣で生きてる。そういう開き直りすらあった。
団塊の世代はやることが違う〜
これは実社会で満たされない人間のための作品だ。
私は勝手な想像で、BLはビスコンティ辺りの芸術映画にある耽美的な表現に影響を受けた文学的な作品(「ポーの一族」とか)から、段々ポルノになったんだと思っていたけど…
違った。
最初っからポルノだったんだ。
何となく理屈では言えないのだけど(言ってる人はいるのだろうけど)、
私は自分の欲望を語る時に、女性キャラクターを使って語りたくない。
できれば男の言葉で語りたい。
しかし、真実男の言葉で語ろうとすれば、それは「男の欲望」の話になる。
女の欲望を語るための男の言葉を私は知らない。
男の人だって知らないだろう(一生知りたくもないだろう)。
試しに「風と木の詩」で、性的なことをするキャラクターを1人でも女に変換して読んでみると、よくわかる。
物凄くグロい。
そして特に、ジルベールという淫乱少年を女にした時「こういう面を持った女性は実際に居る」という感覚に戦慄する。
親にネグレクトされた結果、性行為でしか他人と繋がることができなくなり、悪い噂がたっても、本心では嫌でも、誰とでも寝てしまう女……もう読めない。
しかし、こういった真実味を持たないキャラクターは描いたところで面白くも何ともない。
だから性的なキャラクターを全員男にして表現しないと無理なのだ。
じゃないとグロい欲望と向き合えないし、エンタメに昇華できない。
そしてグロい欲望と向き合う必要は、常にある。
健康になって社会に出ていくためだ。
与えられた枠の中で欲望を消化できなかった時に起こること
これを描いた素晴らしい映画がある。
ミヒャエル・ハネケ監督のピアニスト(2001)
これは、ある特殊な環境に居るインテリの中年女性が、性欲が満たされなかったために頭がおかしくなるという凄い作品。
この映画の何が凄いのかというと、
「モテない女性がモテない男性と同じように欲求不満に陥った時、受け皿が全然ありませんよね」
という話をしてカンヌで最高賞を獲ってるところ(だと私は思う)。
これは2001年のフランス映画なので、BLエロ同人誌のためのイベントを堂々と打ってくれるような現代日本の開放的な性事情とはだいぶ背景が違います。
まず主人公のこの女性、美しいのに極端に清教徒的な教育のせいで、恐らくほぼ男性経験がない。
でも、もちろん性欲はあるので、特殊性癖の男性向けエロビデオばーっか見て過ごしてる。
しかも、実家で厳格な母と同居してるから家では見れない。
だから男性向けの個室ビデオ屋で見る。
男だらけのその世界で、彼女は当然浮いている。
異質な存在としてめっちゃ周りの人に見られる。
男性陣はといえば、中年になっても友達と一緒にセックス・トイとか物色して楽しそうにしていたり、
若い人は「僕はちょっとトイレを借りにきただけで、これから仕事に行くんです」てな感じで平然と個室を出入りしている。
ここは彼らのための場所で、彼女のための場所ではない。
そしてここからが最悪なのだけど、彼女は自分を(恐らくゲーム感覚で)口説いてきた青年に、
「特殊性癖プレイをして」と頼んでしまうのである!
プレイに挑戦する2人の姿が痛ましい。主人公、なんと途中で吐いてしまう(やったことないから)。
これは主人公が男性で、例えばSMクラブなんかで同じプレイをしたら、別にありふれた行為である点が重要だ。そうできたならよかったのに…
そんなこんなあり、女の性欲に初めて振り回された青年のプライドは傷ついた。
だから当然(?)、彼は仕返しに主人公をぶん殴ってレイプする。
乱暴された主人公は自分のしたことのケジメをつけようと、ナイフを隠し持って青年と会う。
自分の恥を消すために青年を殺そうと思ったのか、単に身を守るためだったのかはわからない。
しかし、青年の方は何事もなかったかのようにケロリとしている。
彼女を痛めつけて気が済んだのか、健康で若々しいインテリ・ブルジョワ・マッチョの坊ちゃんは、少しも傷つかなかったように見える。
おそらく数年後には、この話を飲み会のネタにでもすることだろう。
かくして、中年女の特殊性癖の大恥さらしは幕を閉じた…
しかし、当の主人公の気持ちの方は、そうはいかない。
自分が蒔いた種とはいえ誇りがズタズタに傷つき、レイプもされた。
映画のラスト、彼女は自分の胸をナイフで刺し、それまで大事にしていた全てを捨てて去っていく。
これで映画は終わる。救いは無い。
健康になるために…
フランスは性に開放的な国なのかと思っていた。(不倫に寛容とか三角関係の男女がなぜか同居するとか)
でもそれは、「現実に人とお付き合いできるような陽キャには性的満足に対する門戸が開かれている」というだけで、
男に自分から声もかけられないような陰キャについては当てはまらないのかもしれない。
この「ピアニスト」の主人公は病的な陰キャだけれど、日本みたいに陰キャに優しい性文化の中に居たら健康な人だったかもしれない。
BL読んで「潤う〜」とか言ったりね。(キモいだけで合法だ。日本は何て良い国なんだ)
この「欲望を健康なものに変換する」にはいろんな形があると思う。
欲望は何も性欲だけに限った話じゃない。
「寂しい」とか「退屈」も、何らかの欲望が満たされないから起こることだ。これだって、酷くなったら病気になる。
「推し活」とか「オタ活」とかで、既に「これは他にもやってる人がいる、健康な欲求解消法ですよ」とレールが敷かれたものに乗れれば、人は実生活で満たされなくても健康に生きていくことができる。
しかし、用意された「枠」に欲望が上手く乗っけられなかった場合、その欲望は宙ぶらりんになる。
これは物凄く危険なことだと私は思った。
「ピアニスト」の主人公のようにならないためにも、自分の欲望と誠実に向き合い、健康に吐き出す方法を常に模索しないといけない。
♢♢♢
きっと、私にとってはそれが「月刊ガロに連載されてたみたいな変な二次創作BLを描く」なのだ。とりあえず、今のところは……
だから私は今、健康です。
毎日自分のことを「キモいなぁ」とは思うけど。
いや、「キモいなぁ」とすら思わなくなったら、おしまいなのかもしれないな…
健康に生きていくって、大変ですね。
おわり
がんばりますp( ∵ )q