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青いトラックに夢を積んで

初めて見る、高い場所からの景色、見知らぬ景色に心を弾ませながらも、緊張しつつ座席に座っていた。

右側には初めて会うおじさん、左側には父がいた。

おじさんが手にもつハンドルを右にまわすと、私達が乗っていた乗り物も右にまがり、そこにはたくさんの同じ形の住宅街が広がっていた。

4歳の私には、太陽の光が降り注ぎ、きらきら輝く町並みに見えた。

着いたよ」おじさんがそう言い、私は父に手をとってもらい乗り物からおりた。

そして、その乗り物「青いトラック」の荷台に目を向けた。

荷台には、私達が生活で使っている、テーブルや椅子などの大型な家具が積まれていた。

おじさんが、荷台の荷物をおろすから、先に家の鍵を開けて、中の確認をしてきたらと父に言い、私と父は4階にある、その家に向かった。

私は4階まである階段を登るのも、その日初めてだった。

1階、1階、上がる度にあらわれる、2つの扉、そして4度目の左側の扉を父が手にもっていた鍵を使って開けた。

扉を開けると、畳の良い薫りが新緑の風にのりやってきた、部屋の中はなにもなく、全ての部屋が見渡せた。

私はドキドキしながらも、部屋のチェックをしていった。

目に止まったのは、お風呂場、初めて見る家の中にあるお風呂場だった。

それまでの私の家にはお風呂はなくて、いつも両親と一緒に、家の近くの銭湯に行っていた。そんなに大きくない昔ながらの銭湯、幼すぎてあまり記憶に残っていないが、父の「おーい、でるぞ」という掛け声が女湯にいる、母と私と弟に届くと、みんなでお風呂をでた記憶がある。

そして、たまに買ってもらえた、瓶に入ったフルーツ牛乳が大好きだった。

冬場の銭湯の後は、とても寒くて、震えながら家路に着いた記憶もある。
だから、家の中にお風呂があるのはとても嬉しかった。

次にベランダに出てみた、ベランダから見える景色は、同じ建物の風景ばかり、その時は昼間であまり感激はなかったが、空を見るのが大好きだったので、その後の生活では、夕暮れに飛び交う鳥の群れや、星空を見上げては、いろいろなことを思い描き妄想の世界へと私を誘ってくれる大きなキャンパスになった。

そして何よりうれしかったのは、私と弟の部屋ができたこと、その時は何も入っていない押入れ、後日、その中にお布団がしまわれると、弟と良くその中で遊んだ、ふわふわの雲の中にいるみたいな安心感がそこにはあった。

そして、私の目に飛び込んで来たのは出窓、そこから飛び込んでくる景色、目の前はやはり同じ建物が飛び込んでくるのだが、左側に公園があり、子どもたちが遊んでいる姿が確認できた。

私はこれから始まる、ここでの暮しに胸をはずませていた。
そして25年の歳月をこの場所で過ごすことになるのだった。

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はーい、こんにちは、メイちゃんですよ、いよいよ、6月が始まりましたね。

あれ?どうしちゃたのと思われた方もいたかな?ずっと書きたいと思っていたお話です。

今回、書こうというきっかけをいただけたのは、Shinjiyさん。

とある秘密結社で知りあい、Shinjiyさんはそこの幹部役員で私は部下という間からでした。

というのは嘘ですが、そういう話を書くのも面白いかもしれません(笑)

冗談はさておき、Shinjiyさんは上場企業のトップまで登りつめたお方でして、20歳から14年間勤めていた会社員時代を思い出します。

私も、若い頃は、いろいろな職種を経験しました。専務の秘書だったり、同業他社の企業の重役達が集まる会合の受付嬢なんてもやらせてもらいました。

なので、やはりShinjiyさんは、noteの世界とは言えども、ちょっと一線を置く存在の人でした。

最近はお人柄もわかり、記事とかコメント欄とか読まさせていただいても、今までの経験からの重みのあるお言葉なんだなって感じる時もあります。

そんな存在ではありましたが、交流を重ねて、今では私も、多少冗談も言えるようになってきました。

Shinjiyさんが昨日、ご自身の幼少期のことをnoteの記事で書かれていました。

4歳のShinjiy少年に何があったのか?って、その風景を想像しつつ読まさせていただきました。

そして、4歳の頃の私を思い出して、今回のお話となります。

この話は、私が当時住んでいたアパートから、新しく住むことになった団地への引越のお話です。

引越にあたり、父が職場で仲良くしていたトラックの運転手さんが、休日にご自身のトラックで引っ越しを手伝ってくれたのです。

トラックは青い色で、そんなに大型ではなかったのですが、そのトラックの青い色はとても鮮明に覚えています。私が初めて乗った乗り物でした。今回、ヘッダーのイラストは記憶をたどり、ネットで調べて、一番近かった
「トヨタのダイナトラック」にしています。

そのおじさんに会ったのは、その日が最初で最後だったと思いますが、毎年クリスマスの近くに私達兄弟にチョコレートをプレゼントしてくれました。

そのチョコレートがクリスマスにちなんだもので、毎年違っていたのですが、スーパーなどではみかけない代物で、とてもうれしくて、夢を運んでくれる人のイメージが私の中にはずっとあるのです。

引越は父と私とそのおじさんしかいませんでした。

私には2歳違いの弟がいます。当時2歳だったので母と住んでいたアパートにお留守番していたと思います。

父と二人だけで見知らぬ場所に出かけるという体験もこの時初めてで、この日のことは4歳と言えども、いまだに鮮明に覚えているのです。

私達家族が25年間住むことになった団地、たくさんの数え切れない思い出ができた場所での出発のお話を、この6月1日という、6月の出発の日に書こうと思いました。

6月そして、2023年の残りの半年はどんなことが待ち受けているのでしょうか?

あの日、4歳の私が子供部屋の出窓から見つめた希望に溢れた風景、ワクワクする気持ち、そんな気持ちが持てる日が1日でも多く訪れると良いなと思っています。

皆さんの6月の始まりも、希望に満ちたものとなりますようにと祈っております。

                   2023年6月1日 メイぷる子



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