彼が教えてくれた大切なこと
前回の記事の続きです。
我が家の愛犬「エル」の旅立ちを文字にして、心の整理をしています。
みなさまからの優しいお言葉を胸に、時間と共に悲しみが過ぎ去り、心の中に優しい温かさが残りますように。
1.ピンピンころり。
「わたしとエルは、ピンピンころりだよ!」
母は常々エルにこう言っていました。
過酷な介護の経験がある母は、誰のお世話になることもなく。ピンピンしていた翌日には、ころりと死にたい、ということで日頃からエルと約束をしていたそうです。
わたしが就職で実家を離れても、弟が留学で家を開けても。単身赴任で父が年に数回しか返ってこなくても。
母だけは「わたしはずっと側にいるからね」と、どんな時もエルをずっとみていてくれました。
そんな大好きな母の言いつけを、エルは見事に守ったのだなあ…と。
わたしと母が、彼の「介護」をしたのは実質最後の約1ヶ月です。
散歩に関しては、旅立つ2時間前まで、自分の足で歩きました。
本当に、わたしたちもその変化に気づくことが難しいくらいに、「ピンピンころり」だったのです。
2.自立した心身。
彼が最後まで歩けたのは、普段からとにかくたくさん散歩に行っていたからかもしれません。散歩が大好きだったエルは、朝昼晩と、いつも遠くの川や公園など、人間でも歩くことが大変だと思うような距離を平気で歩いて行きました。
また、最後まで「食べる」「歩く」「階段をのぼる」「立ち上がる」などの行為を自分でやることをあきらめませんでした。
どんなにフラフラしても、壁にぶつかっても、その場で転倒しても。
彼は気持ち悪くなったり、散歩に行きたくなると自分の足で玄関まで行きました。
ご飯の音がするとかぶっていた布団を背中に乗っけたままキッチンまで歩いてきたり、2階のベッドまでの階段をゆっくりゆっくりと、自分の足でのぼりました。
何がそんなに彼の心を強靭にしていたのかはわかりません。
ですが、彼の姿から、わたしもこんなふうに強く、自立した心身を持って生きて行きたいと。
そして、そのためには日々の努力が欠かせないんだと。そんなふうに思いました。
3.わたしを救ってくれた言葉。
エルがもう長くはないと分かっていたわたしは、密かに彼を送り出す準備をしていました。
最愛の愛犬です。特にこの1ヶ月間、彼はわたしの生活の中心に居てくれました。
失ってしまったら、どうなってしまうか?
よく、「ペットロス」という言葉を耳にしますが、心が繊細なわたしは、そうなってしまうかもしれない。そう思い、随分と前から不安や恐怖のような感情が出てきていました。
ですが、今のわたしにはヨーガがあります。
養成講座で教えてくださっていた先生に、久しぶりに連絡を取りました。
愛犬が旅立ちそうなこと。ヨーガでは、「死」についてどう考えるのか。
先生は、すぐに返信をくださいました。
「ヨーガの教科書には、こう書いてありますよ。この世の中で思っていることは、そのままあの世に行っても継続して行きます。つまり、悪かった行いは来世の人生でまた試練として向き合うこととなります。」
「同様に、愛情や、幸せだった思いも、来世にそのまま持っていくことができるんですよ。きっと、りなさんのわんちゃんは、死んでもその思いのまま、来世も幸せだと思いますよ。」
「そういうことをしてあげられた、りなさんと、ご家族。きっと誰に対しても、温かく、愛情を持って接することができますよ。1番大切な身内に、それができたのですからね。」
この時、わたしは最期のその時まで、エルにたくさん愛情を注ごうと決めました。不安や恐怖に苛まれることに時間を使うのではなく、わたしが持っている全ての「愛情」「大好き」「幸せ」「ありがとう」を、とにかくたくさん注ごうと。
彼が新しい人生を歩むその時に、たくさんの幸せな愛で包まれているように願って。
こんなに誰かを思い、強く願うことができるということも、彼が教えてくれたことの1つです。
それは、わたしには足りない「強さ」だったのかもしれません。
4.有限無限の誤認知。
ヨーガでは、有限・無限を誤って認識している心は、ストレスを生み出すと学びます。
例えば、生死。例えば、時間。例えば、金銭。例えば、人間関係。
世の中は、常々変化していくものです。
当たり前に存在している「有限」なものを「無限」と思ってしまうことで、失った時にその物事に執着してしまい、ストレス(苦しみ・悲しみ・怒りなど)が生まれ、人の心をむしばみます。
例えば「大切な人や愛するペットを亡くした時」や、「大好きだった恋人と別れた時」など、「有限」だと分かっていながらも、「無限」であるかのように普段接してしまっていた時に起こりうる可能性が高い状態です。
動物も、人間も。その命や関係性は有限です。
そして、一緒に過ごせる時間も、有限。
分かってはいたけれど、いざ自分の大切な家族を見送ると、そう冷静ではいられないことも事実です。この時、普段から「ヨーガ」で客観的に自分の心を見る練習をしていて、本当に良かったなと思いました。
もし、わたしは今回の経験をしていなかったら、こんなふうに心に傷を負った生徒さんのお気持ちに、寄り添えない先生になっていたかもしれません。
身をもって、それをわたしに教えてくれたエルには、本当に感謝しかありません。
きっと、エルはわたしの門出を応援してくれている。
だって、わたしが体調を崩して、苦しかった時。ずっと隣にいてくれたんだから。
わたしがいつまでも泣いていることは、きっと彼も望んでいない。
わたしに大切なことを残してくれたのだから、わたしはしっかりと前を向いて。多くの方々が、心身を大切に、前を向ける、健康になれる方法を伝えていかなくては、と思うのです。
わたしは、立ち上がることができる。
そして、これからは1人でわたしと弟と、エルを育ててくれた、最愛の母との時間を、大切にしていくからね。
エル。ママのことは、わたしに任せてね。
続く。
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