脇坂めぐみ

八ヶ岳の山並みを仰いで、この大自然になつかしさと安らぎを感じるのは、開拓の地での幼年の…

脇坂めぐみ

八ヶ岳の山並みを仰いで、この大自然になつかしさと安らぎを感じるのは、開拓の地での幼年の記憶なのか。 親子三代がそれぞれの時代を生きながらも、その歩みには脈々と続く流れがありました。 農作物の連作障害を防除する資材の開発・普及に至る歳月を"つなぐ"三代記です。

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~農業の原点回帰~            まるでドラマのような三代記

最新更新記事 第一部 <もくじ> (4)1章 第二部 <もくじ> (6)1章 第三部 <もくじ>  (5)1章 🍀3部同時進行で書き進めます。 父は長男でありながら祖父とは疎遠に暮らし、私にとっての祖父は遠い存在の人でした。父の死後、思いがず祖父の生涯を知り、三代に脈々と通っていた農業をベースにしたつながりを知ることになりました。 八ヶ岳山麓の戦後の開拓がつなぐ三代記。 祖父の「埋もれさせてはならない戦争の歴史」、父の「無かったことにできない開発の歴史

    • 運のいい人、運の悪い人ー父ー

      🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ <2章> 園芸資材の輸出   (6)    イギリス王室園芸協会への輸出① 終戦後、祖父や家族が住む八ヶ岳山麓の開拓地に移り住み、大学卒業時の若さで起業した父です。 高冷地での換金作物は限定され、時代が求めているモノへのアンテナを伸ばして、情報に接していたようです。 カラマツなどの木材の販売、有用植物の採取販売(薬用植物や種子の卸売り)を地元の現金収入につなげていたところに、思いがけず、イギリスの洋ラ

      • 運命への挑戦~ing -わたしの物語ー

        🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運命への挑戦 ~ing <1章> 運命のはじまり (5)       プロから学ぶ ~初めての圃場見学~ 遅い出発で農業を知ることには、膨大な時間が掛かりそうでした。 基礎を学ぶことは必須でしたが、栽培を知ることだけでなく、目の前にした自社の資材を知ることも優先されました。 何も知らないのでは、販売に結びつきません。 どんな原料でつくられ、どんな効果があるのか…。 どんな使い方をするのか、効果的な施用量と施用法を検討する必要もありまし

        • 運命への挑戦~ing -わたしの物語ー

          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運命への挑戦 ~ing <1章> 運命のはじまり (4)       暗中模索の日々 ~女性グループとの出会い~ 新たな暮らしへの取り組みは、まず、行動することからはじめてみました。 長野県の東部にあるこの地域は、平成9年(1997)に北陸新幹線・佐久平駅が開通する前は、上田市が東信地域の商業圏として栄えていました。(当時は長野新幹線) そこで、自社開発の土づくり資材の可能性を知るために、まず、上田地域で動いてみました。 上田市は、

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        ~農業の原点回帰~            まるでドラマのような三代記

          運のいい人、運の悪い人ー父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ <1章> 薬草などの有用植物の販売 (5)    野辺山生薬研究所 設立 戦後、必要とされた有用植物は、木材、山林種子の他に、薬草がありました。 父は、大型のオートバイに乗って、八ヶ岳山麓、浅間山麓へと山野を巡り、採取地を拡大していきます。 起業に伴い、昭和23年に野辺山生薬研究所を設立しています。 研究者気質はその学びを深め、薬草は製薬会社との取引を拡大し、本格化していきます。 その後、母と結婚し、

          運のいい人、運の悪い人ー父ー

          国策と生きた技術者 ー祖父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記                🍀 国策と生きた技術者 ー祖父ー もくじ <1章>朝鮮総督府時代 (4)   日満長距離無装荷ケーブルの施設 日満長距離無装荷ケーブルの布設に取り組んだ昭和初期は、海外の工業技術への依存度が高く、長距離通話システムもアメリカの「装荷ケーブル方式」を使うしかなかったようです。 ケーブルに一定間隔で装荷線輪(ローディング・コイル)を差し込み、電流の消耗を防ぎながら長距離通話を可能にする技術です。 声が伝

          国策と生きた技術者 ー祖父ー

          国策と生きた技術者 ー祖父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記                🍀 国策と生きた技術者 ー祖父ー もくじ <1章>朝鮮総督府時代 (3)   日満電話建設課への異動 祖父の履歴書を見ると、昭和11年末の記載から昭和14年までがすっぽり抜けています。 昭和15年に退官し、国際電気通信株式会社京城支社工務課長に任命されていますが、昭和11年に工務局勤務になり、「日満電話建設課詰ヲ命ス」からの記載がなく、退官前の昭和14年の一年は、様々な昇級内容が記されています。 恐ら

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          運のいい人、運の悪い人ー父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ <1章> 薬草などの有用植物の販売 (4)    山野で種子や実を探索 戦後の復興事業にカラマツ材などを販売しながら、父は八ヶ岳山麓に自生する植物を探索していました。 どんなものが必要とされているのか、植物の文献を調べ、山野を巡り、一方で販売先を収集していた様子が残されています。 昭和24年11月初版、昭和26年3月再版の「これからの薬草栽培と採取」(アヅミ書房)は熟読していたようで、今は触るのも気遣

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          国策と生きた技術者 ー祖父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記                🍀 国策と生きた技術者 ー祖父ー もくじ <1章>朝鮮総督府時代 (2)   朝鮮総督府での職務 祖父は、明治27年(1894)、大分県に生まれ、大正5年(1916)に旅順工科学堂電気工学科を卒業後、朝鮮総督府逓信局に就職します。 朝鮮総督府逓信技手に任命されますが、職歴を見ると、郵便局、警察部、逓信分掌局の異動を繰り返し、昭和15年までの23年間を各地で職務に励みます。 インフラの整備をして朝鮮半島

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          運命への挑戦~ing -わたしの物語ー

          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運命への挑戦 ~ing <1章> 運命のはじまり (3)       暗中模索の日々 ~初めての畑~ 「何からはじめたらいいの…?」 父の開発した土づくり資材を前にして、思案に暮れました。 同級生には農家の子の友だちも多くいましたが、田植えすらしたことがない私は、砂遊びはしたものの、畑の土に触れた経験もありませんでした。 私が目の前にした資材は、「連作障害有機質対策法」というテーマのある独自の資材…。 連作障害なるものも、野菜の栽培

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          運のいい人、運の悪い人ー父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ <1章> 薬草などの有用植物の販売 (3)    「カラマツ」の販売 昭和22年、父にとって最初の仕事は「文化薪」や「紙パルプ材」の販売で、それはモノを売る初めての体験でした。 戦後は、戦災を受けた都市で復興事業が進み、大量の木材が必要とされていたのです。 のちに一級河川となる大井川の「河床材」や「湾岸整備材」を求めている情報から、カラマツ材の販売も手掛けます。 信州の林業の代表は「カラマツ」で、生長

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          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ <1章> 薬草などの有用植物の販売 (2)    高原ではじまった若き起業 第二次世界大戦の終戦時、父は大学生でした。 戦時中は工学部で航空発動機の設計を学びながら静岡県で暮らし、東海大学の2回生として卒業します。 本人申請ですが…、東京工業大学に進み、戦争で東海大学の前身に再入部したとのこと。東海大学の創始者、松前重義氏と曽祖父は職歴で交わりますが、東工大についての真偽は不明瞭です。 終戦後、1年間

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          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運命への挑戦 ~ing <1章> 運命のはじまり (2)       背中を押された出来事 '2022 三代記を書くに当たって、年表づくりはまず最初の作業です.。 これはアバウトにすることにしました。 地域や食の周辺の年表は、昔、作成してあります。 これらの情報はかなり集めてきましたが、無知なのは戦争についての現代史です。 長野県は満洲への移民が多く、満蒙開拓の悲劇を講演会などで知る機会が多くありました。 帰国して開拓農家となった方々

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          運のいい人、運の悪い人ー父ー<もくじ>

          もくじ <1章>薬草などの有用植物の販売  父の生い立ち   (1)       高原ではじまった若き起業 (2)  「カラマツ」の販売 (3) 山野で種子や実を探索 (4)      野辺山生薬研究所 設立 (5) <2章>園芸資材の輸出 イギリス王室園芸協会への輸出① (6)      野辺山高原は文化人の憩いの地  (7)    

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          運のいい人、運の悪い人ー父ー

          🍀 まるでドラマのような三代記 🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ <1章> 薬草などの有用植物の販売 (1) 父の生い立ち 父は、京城で生まれました。 京城は、日本統治時代の呼称で、韓国の首都ソウルです。 祖父が官吏として朝鮮総督府で仕事をしていたため、京城の宿舎と東京都世田谷区に自宅があり、祖父が単身の時期と家族が揃う時期とがあったようです。 父は6人兄弟姉妹の長男ですが、年の離れた末の妹は子どもの頃、近所に住む俳優の佐野周二さんの(先妻の)娘さんと

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          運命への挑戦~ing -わたしの物語ーもくじ

          もくじ <1章> 運命のはじまり   思いがけないつながり (1)   背中を押された出来事 ’2022 (2)   暗中模索の日々 ~初めての畑~(3) 暗中模索の日々~女性グルーㇷ゚の出会い~ (4)   プロから学ぶ  ~初めての圃場見学~(5) プロから学ぶ ~長野県施肥改善部会~     <2章> 選択肢はひとつだけ <3章> SDGsでつながった道 <4章> 答えを出すのは現場の作物 <5章> すべては持続可能に 

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