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運のいい人、運の悪い人ー父ー

🍀 まるでドラマのような三代記
🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ


<1章> 薬草などの有用植物の販売 (5)


   野辺山生薬研究所 設立

戦後、必要とされた有用植物は、木材、山林種子の他に、薬草がありました。
父は、大型のオートバイに乗って、八ヶ岳山麓、浅間山麓へと山野を巡り、採取地を拡大していきます。

起業に伴い、昭和23年に野辺山生薬研究所を設立しています。
研究者気質はその学びを深め、薬草は製薬会社との取引を拡大し、本格化していきます。
その後、母と結婚し、夫婦で家業を営むようになり、現地仕入は父、経理・営業は母が担当するようになります。

お得意先の筆頭に栃本天海堂があり、オオバコ、オトギリソウ、センブリ、ホタルサイコ、ヌルデ、マタタビ、ヒカゲノカヅラなどを出荷。
横内製薬にはゲンノウショウコ、龍角散本圃には桔梗根、塩野義製薬にはキハダ…、などが記録されています。

山林種子や薬用植物は、現地の方々に採取していただき、現金で買い付けしたそうです。
高冷地にある戦後の開拓地にいて、現金収入になるモノを探した起業ですので、現金を風呂敷で腰に巻いて産地を廻り、仕入れをしたという話を聴きました。

さらに、イギリス王室園芸協会への輸出の話が舞い込み、父は洋ラン栽培用の園芸資材を山野で探します。
10数年続いたこの地での仕事は、大きな展開を見せ、ひとつの時代を築きます。
大自然に囲まれて、戦後の復興の一端として活躍した若き日の両親は、覇気に溢れ、しあわせな時代を過ごしていたのだろうと思います。
日本の戦後の復興は、人々が一丸となって新しい時代に向かっていました。


  👉 イギリス王室園芸協会への輸出 ①


    

















    

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