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運のいい人、運の悪い人ー父ー

🍀 まるでドラマのような三代記
🍀 運のいい人、運の悪い人 もくじ


<1章> 薬草などの有用植物の販売 (1)


       父の生い立ち

父は、京城で生まれました。
京城は、日本統治時代の呼称で、韓国の首都ソウルです。
祖父が官吏として朝鮮総督府で仕事をしていたため、京城の宿舎と東京都世田谷区に自宅があり、祖父が単身の時期と家族が揃う時期とがあったようです。

父は6人兄弟姉妹の長男ですが、年の離れた末の妹は子どもの頃、近所に住む俳優の佐野周二さんの(先妻の)娘さんと友達で、よく遊びに来ていたそうです。
その叔母(末の妹)は、京城の小学校にはダットサンで送り迎えされたという話をしてくれて、その時期にどうやら京城と東京の移動があったようです。
そして、父は10代後半を日本で暮らし、第二次世界大戦中は大学生として航空発動機の設計を学びます。

京城(ソウル)と白頭山

ブルーベリーが信州で栽培されるようになったある日、父が生ブルーベリーをつまんで食べながら、ポツンと昔の想い出話をしました。
中国との境にある白頭山(長白山脈)に祖父が出張した際に、いつも買ってきてくれるお土産があったそうなのです。
白頭山は観光地で「ツルチック」というヤマブドウ(?)の飲料があり、そのおいしさが強く印象に残っているとか。
高原の生ブルーベリーを食べて急に記憶が甦ったようでした。

"算術の神様"という呼び名だったという父は、学ぶ姿が身上で、姉妹の口からは「威張っていた」というイメージの長男だったようです。
中学生の頃、三越の外商部で祖父の名で買い物をしていたという逸話があり、経済には疎い姿の片鱗をうかがわせる生い立ちがありました。
終戦が時代を変え、学生生活を終えた父は、戦地に行かなかった自分を「僕は意気地なしだ」と思い続けたようです。
そんな負い目は、戦後の新たな道を拓く原動力になり、父は興味のある事を突き詰め、究めて行きます。


        👉高原ではじまった若き起業









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