見出し画像

イベント過多の私の人生をどう生きたいのかに立ち戻る

一度の人生でここまでイベントって発生するんだと、むしろ感心してしまう奇想天外で忙しない人生を送っている。生い立ちからちょっと詳しく話すと「波瀾万丈」とよく他人には言われるが、私はこの表現がしっくりこなくて「奇想天外」を選んでいる。イベント発生のたびに感情を含め私は丸ごと振り回され、どうすることもできずにさらわれてしまう。スキップ不可の強制ムービーを見ている感覚だ。十代の頃初めての診察では抑うつ状態だったはずが反復性うつ病性障害と長い名前に進化を遂げ、抗うつ薬への耐性強化がついたらしいのが三年前。名前の通りに反復してついこの間まで長いうつの森にさらわれていたが、帰り道を思い出してうつだとか気にならなくなったところで個人事業主になることにした。

前からなりたかったわけでもないし、旦那が亡くなって遺産相続をした結果特段お金にも困っていない。じゃあなんで?というこたえがこのエッセイになる。精神障害者で慢性膵炎と満身創痍の私が、発達障害で不登校の息子たちをシングルで育てながら個人事業主として成功するサクセスストーリーになるといいのだが。


今の時代には必要そうなのでまず、お断りのようなものを。

正義の反対は別の正義があるだけだと思っている。誰もが生きやすい社会みたいな、少数派にも目を向けて合理的配慮をみたいな、そんな空気をひしひしと感じるのと同時に誹謗中傷という単語もよく目にするようになった。賛否両論は生まれて当然のもので、価値観の違いから理解ができず罵るような言葉を使ってしまう人がいるのもまた、価値観の違いから生まれてくる当然のものだと思っている。もちろん、この私の価値観も理解できない人がいて当然だ。障害者にシングルマザー等々並ぶ言葉は少数派の権化みたいな私だが、残念ながら(?)権化じゃないということ、そして、私は理解はできなくとも誰の価値観も否定しないということだけ書き留めておく。


書き始めてから珍しく公開までに時間がかかっていることが気がかりなので、全く意図していなかったがこじつけてタイトル回収してしまうことにした。

結局のところ、私の人生だから私は私の価値観に沿って生きていれば特段苦しくないのだ。旦那から誹謗中傷を受けていたころを思い出すと、私の価値観の中で重きを置いている子どもたちへそれを向けたときのことは、今でも当時の感情丸ごと思い出す。そうでもない自分のことだと、当時旦那を宇宙人と呼んでいたこともあり、お互い第何宇宙設定かなぁなんてドラゴンボールの世界へ思考を飛ばすくらい余裕綽々だ。


自分はどう生きたいのか。家族に価値を見出しているのか、はたまた仕事なのか、趣味なのか。この疑問に立ち戻ってこれたからこそ、うつは気にならなくなった。これは私のバイブルである「幸せになりたいなら幸せになろうとしてはいけない」というラス・ハリスの本の中で紹介されているACTの大切な部分だ。情緒不安定性障害という診断を受けている私は感情が一日の中でもジェットコースターで正直疲れる。コントロール不能の感情に振りまわれ続けていくのはもう仕方ないと思っていたら、感情をコントールする必要はないという願ったりかなったりな道標を私にくれたのがACTだ。ACTについて深く掘り下げて書く気はないが、ベースはそこにあるのだと思ってもらえたら幸いだ。


何が大事でどう生きたいのかを見つめ直したとき、子どもたちと笑顔で暮らしていくことが大事で膵炎拗らせている場合ではないから健康も大事になった。そうやって何を望んでいてどんな変化が必要なのか、変化のために日々できる小さなアクションは何なのか、自問自答を繰り返した結果のひとつが個人事業主であり、このエッセイの執筆である。私がACTに出会って色んなものから解放されたのが三十過ぎてからやっと。子どもたちには自然と身に着けて生きていく力になっていけばいいなと、私そっくりの子どもたちを見て感じた。子どもたちを思って、こどもの日に開業届をだした。屋号は「オフィスういるの」と単純明快。実際の事業計画書は忙しくてぼんやりしたものが頭の中にあるだけだが、これを書き進めていくうちにその辺も煮詰まっていくと信じているところで…話し出すと止まらない特性が猛威を振るう予感しかしないので強制エンディングとしたい。デュエルスタンバイ!!

この記事が参加している募集

#新生活をたのしく

47,934件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?