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石田衣良さんのモーツァルト

「I LOVE モーツァルト」 石田衣良著

 を、読んでみた。

 石田衣良さんの本は、すべてのジャンルを含めて、これが始めて読んだ本だ。
 これはエッセイだと思うが、思ったのは、すごくスマートで、都会的で、オシャレで、センスが良く、さわやかな気持ちにさせてくれる文章だ、ということだ。読んでいると、いやらしい意味では無く、気持ちよくなる。気分がよくなる。と言った方が適切か。
 作家になりたいと思い、初めて書いた最初の二作が、最終選考に残り、三作目で、受賞し、作家デビュー。そんな私と違って才能豊かな方が、モーツァルトを語るという。モーツァルトを私よりもきっと的確に感じ取ることができるだろうことは、読み始める前から分かっていた。
 すると、驚くべきことを書いているのである。ネタバレというか、抜粋になるが、「モーツァルトの評伝をあれこれ読んでみても、ぼくにはなぜだかあの人が実際に生きていたという印象が持てない。奇妙に透明というか、空気感だけしか掴めない妖精のような人だ」と書いてあるのを読んだとき、私には、「モーツァルトの音楽は、こんなにすごく質感というか、肉体を感じさせる音楽なのに、そんなことを感じるのか。それは、モーツァルトが、ではなく、モーツァルトをそのような書き方をする学者に問題があってのことではないか」と思ったものだ。世の中には、変なモーツァルト本がいっぱいある。私のライフワークである創作小説「アマプレベス」シリーズもその一つなのであるが、どうしてもモーツァルトが掴めず、的確な書き方ができていないのである。正しく、モーツァルトを知らない人が、たくさん本を出しすぎていて、理解できる人の感覚さえも曇らせている。自分でこんなことは言いたくないが、「アマプレベス」も、あれは私自身でしか無い。モーツァルトでは決して無いのだ。
 しかし、そこは石田衣良さん、すっきりとした文章で、サラサラと流れるようにエッセイを書き染めていく。そこには、モーツァルトを感じさせる美しい世界をも感じさせる。特に一番驚いたのは、モーツァルトが、自分の才能を確信していた。と、断言してあるところだ。これは、私には盲点だった。才能を確信すると言うことがどういうことか分からない。というのは、凡人だから分からないのであって、才能ある人は、簡単に確信できるのだと思い直させられた。これは、私自身、凡庸だから、思い違いをしてしまって、「アマプレベス」の第三部で、モーツァルトが、才能を確信できなくて悩む様子を書いてしまっている。ゴマがメロンになろうとしては駄目なのである。
 それから、弦楽五重奏曲第三番の魅力を、再確認させられたのも、本書からである。付属のCDで、エーデル四重奏団の演奏で聴いてみたが、本当に幸せいっぱいの音楽で、目が開かされた。石田衣良さん一押しのハーゲン四重奏団の演奏も聴いてみたいが、エーデルのが欲しくなった。ちなみに、ハーゲンは、弦楽四重奏曲なら、持っている。
 付属のCDは、あまり名盤とは言えない安い著作権のものが選んであるので、他の音楽は、私の持っている盤の方がずっと良かった。それらはまた、もともとからして私が大好きなおなじみの、よく聴く音楽ばかりなのであった。まあ、K138などを取り上げているところなど、槇原敬之の「どんなときも」でもお好きなのかな。と勘ぐってしまいたくもなるが。ピアノソナタも、第12番もすごい素晴らしい曲なのに、石田衣良さんの選ぶものは、第10番と第11番なのである。バックハウスの第12番を、是非、聴いてみてほしい、と思った。その一方で、ミケランジェリのピアノ協奏曲第20番とは、いったいどんな演奏なのか、と、石田衣良さんが一押しする名盤に興味を湧かしたりもした。
 一言言うとすると、素直な感じ方で書いてある本だとは思うが、もうちょっと、作家なのだから、深い何かを書いてもいいのではないか、と思った。それは、モーツァルトに口出しは無用だと考えてのことなのかもしれないが、ちょっと物足りなかったことは否めない。
 しかし、オシャレな雰囲気、空気感が全体に漂っている、良書であった。石田衣良さんの小説も、是非、読んでみたいと思わせてくれるに充分な魅力があった。

以上です。

藍崎万里子



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