林めぐみ

うたうたいピアノ弾き。夫と娘と猫と暮らし、医療的ケアと共に生きる娘とのあれこれを書いて…

林めぐみ

うたうたいピアノ弾き。夫と娘と猫と暮らし、医療的ケアと共に生きる娘とのあれこれを書いてます。うっかりが過ぎる日々をなんとかなるやろ精神で生きる。 ブログ「ぼくらはみんな生きていく」 https://www.megumeimusic.com

マガジン

  • 猫のはなし

    猫のことをあれこれ書きます。

  • 医療的ケア児の娘とのくらし

    医療的ケアと共に生きる娘とのはなしをあれこれ書きます。

  • 音楽の時間

    出張ライブバンドムジグルのライブでの出会いなどを書いていきます。

最近の記事

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娘が障害を負うまでの昔の話と、今と未来の話

ブログを始めた時に10記事に分けて娘が病気を持って生まれてきてから障害をおうまでの昔話とこれから書いていきたい今と未来の話を書いた。 noteにも、娘のことも書いていきたいので、ここに残しておこうと思う。 以下、ブログ「ぼくらはみんな生きていく」より抜粋。(2019年3月の記事) はじめに昔の話をしようと思う。 めいの出生直後からの病気のこと。 心肺停止のこと。 障害が残ったこと。 家に連れて帰ると決めたこと。 まだ幼いめいとの在宅生活にようやく慣れ始め

    • 私のわがままな願いと祈りと

      腎不全で病院通いと定期検査を続けてきたすもも、今年に入ってから肝臓の数値がほんのりと悪くなり始めた。 毎日の投薬に一粒新しく肝臓のお薬を追加して様子を見ていたけれど、夏になり実施した定期検査で肝臓の数値が急激に悪化したため、エコー検査を実施することになった。 「じゃ、この上に仰向けになって」 仰向け、さぞかし怒るやろうな、看護師さんや先生に怪我させませんように、と心の中で念じつつ診察台の上に置かれた夏の海に浮かんでいるフロートベッドのような形のマットのその溝にぴったりは

      • あしたからほんきだす

        「ねむすぎてはきそう」 起床後だいたい毎日そう思っている、私。 病院で測定する機会があるたびに「えっ」と言われるのだけどどうやら私血圧が異常に低いらしく、関係あるのかないのか知らんけど朝起きるのがとにかく苦痛で「ああよくねたスッキリ!」という目覚めを経験したことがほとんどない。 その上夜中には何度か寝たきりの娘に寝返りをさせたり呼吸器をなんやかんやしたりなどのケアで起きなければならないし最近は猫の夜泣きがひどく何度も何度も起きてはなだめ寝かしつけし(これはもう本当に書いてい

        • 生きることは、

          はじめに、お食事中の方は回れ右をお願いします。回れ右しましたか?いいですか? それでははじめます。 うちの猫、すもも16歳女子、最近うんこが出ません。お察しの通りそういう話でして、身も蓋もない言い方をしたのはこれから身も蓋もないことを書こうとしているからでして、ふざけているわけではなく。 クソ真面目です、うんこだけに。 苦情は受け付けておりません。それでははじめます。 人間で言うところの80歳越え、ピチピチの時期は通り過ぎ最近はちょっと脱水気味なくらいだったすもも。

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        娘が障害を負うまでの昔の話と、今と未来の話

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        • 猫のはなし
          4本
        • 医療的ケア児の娘とのくらし
          15本
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          2本

        記事

          娘が娘として生きる力

          リハビリの先生が2年ほどおやすみされることになり、その間担当が交代することになった。 「はじめまして」のその日、どんな先生かな、娘はどんな反応するかな、とちょっとドキドキしていたのは私だけだったようで、娘は初回だというのににっこにこで。あらもう仲良くなったん、よかったねぇ。 そうなのだ、このところ、リハビリの担当替えにも動じず、新しい支援者さんにも動じず。クラス替えにも動じず。こんな子やったっけ?いやいやいや… 帰り道、昔のことを思い出していた。 はじめての小さな変化を経

          娘が娘として生きる力

          きみのすきなうた

          「聞きにいくことができないならこっちから届けに行く」 と活動しているバンドのライブが何度も何度も中止になっていたこの2年、長かった最後の緊急事態宣言が明けてようやく少しずつ動き出せるようになった先日、療育園のこども達のところに音楽を届けに行ってきた。 マイク、ピアノ、アンプ、必要な機材を山盛り担いで娘を学校に送り届けたあと、その足で演奏に向かう時間はワクワクする。少しの間「母親」を手放す、私の大切な時間。 医療的ケアの必要な重症心身障害を抱えるこどもの親二組で結成したバンド

          きみのすきなうた

          なんでもありの音楽の時間をどこへでも

          音楽は全ての人に平等だと思っていたけどそうでもなかった。ライブにいきたいけど難しい、同じ世界にそんな人達がいることに、私は気付いていなかった。 そのことに気付いたのは娘が病気と障害を背負って生きていくことになってからだ。 「聞きにいけないならこっちから届けにいく」 という音楽活動をはじめて13年が経つ。 私のところに生まれてきた娘のめいはとんでもなく珍しくそして難しい病気を抱えていて、そしてその病気はやがて娘から健康な体だけでなく健常な体も奪っていった。 病状が急変し心

          なんでもありの音楽の時間をどこへでも

          中学部発修学旅行ゆき

          中学3年生の娘の夏休みが始まり数日が経った頃、学校で修学旅行の説明会があった。 3年前に行き先がディズニーランドから近畿圏内の近場に変更になった。みんな正直なところ少々ガックリ来ていて修学旅行の行き先は3年に一回見直しの機会が持たれると言うことを聞き、娘の学年はちょうどそれにあたるタイミングで中学3年生をむかえるため行き先がどうなるか、3年前には、それに期待やな、もうちょっといいところにならへんかな〜なんて親同士あつまると話が弾みその時に誰かがぽつりと言った。 「みんな揃っ

          中学部発修学旅行ゆき

          よく遊びよく生きる

          うちには猫がいる。14歳の三毛猫、名前をすももと言う。 猫の14歳は人間でいうところの72歳。もうすぐ15歳、人間でいうところの76歳になるすももはつやつやぷりぷりしていて、結構元気な方だと思う。それでもそれなりのお年頃で、最近はごはんを食べなくなったりちょっと咳が出たり心配事がすこしずつ増えてきた。 若い頃のすももはよく遊ぶ子で、お気に入りのおもちゃができるとそれをくわえて持ってきては 「あそぼう」 としつこく催促ししつこく遊び続ける子だった。もう許して欲しいと懇願して

          よく遊びよく生きる

          インクルーシブだのバリアフリーだの飛び越えたところで

          少し前にようやく、全部大人の歯になった娘。 5歳からお世話になっている歯科医院で懐かし話に花が咲いた。 「はじめて来た頃とは車椅子のサイズ感がまるで違うなぁ…来ましたよーって声かけられてふと振り返ったらびっくりする。」 としみじみ話す先生。 そうなんです先生。もう中3になるんですよ、この子。 この歯医者さん、歯科医院によくある感じの狭いスペースにそれぞれ固定式の治療椅子と治療椅子までしか動かすことのできないくらいの長さの固定式の治療器具というごく普通の治療スペースがいくつ

          インクルーシブだのバリアフリーだの飛び越えたところで

          いってらっしゃい

          先日、14歳中学2年生の娘が初めて私の手を離れて学校へ行った。 なに言ってんだ。そりゃいくだろうよ、歩いて、一人で、友達とでも、学校ぐらい。 当たり前のことじゃないか、そう思う方もいらっしゃることだろうけれど、私にとっては、私たちにとっては特別で、とても大きな一歩になった。 娘は医療的ケアを必要とする重症心身障害児だ。所謂寝たきりと呼ばれる状態で、歩くことも話すこともできないし、自力で座ることもできない。特別な車椅子に乗り、さまざまな医療的ケアや医療機器、福祉制度、そしてた

          いってらっしゃい

          おとなに、なる。

          「もう最後の乳歯やね」 14歳、娘の最後の乳歯が抜けた。正確には抜いてもらったのだけど。 一般的に小学校高学年ぐらいですべての乳歯が抜けおちるものらしく、娘は少しばかり遅かったようだった。 重い障害を持ち自分で立つことも座ることもできない娘の体は小さく、20kg程しかない。歩かないからか、手足も小さく、骨もとても脆く細く折れやすい。実際なんてことないリハビリの最中に骨折したこともあった。 娘の体はいくつのも手術の痕があり治したり造ったり補ったり、生きるために頑張った証がたく

          おとなに、なる。

          また、おじいちゃんに、おばあちゃんに、乾杯しよう

          「会いたい人に会いにいく」 がこんな形で阻まれる世の中が来るなんて思わなかった。 今会いたいけど会えない人の顔、一番に思い浮かぶのは私のおばあちゃんだ。 94歳になるおばあちゃんは言うまでもなく今巷を賑わせているあのウイルスの感染重症化リスクの高いお年頃だ。 13年前におじいちゃんが亡くなってからも一人暮らしを続けていた元気なおばあちゃんだったけれど数年前から施設にお世話になるようになり今はほとんど1日寝て過ごしている。 施設にご迷惑をかけることも、おばあちゃんを感

          また、おじいちゃんに、おばあちゃんに、乾杯しよう

          土砂降りと晴れ女

          夕方、激しい雷とともに雨が降り始めた。デイサービスから帰宅した娘が送迎車から降りて家に入った途端に。ギリギリセーフ。 不思議と娘を連れていて大雨でどうにもならなかった経験はあまりない。 私が思うに、娘は晴れ女なんじゃないか。 いや、雨は降るんやけど。今日なんか、土砂降りやったけども。 ☔️ 車椅子に乗りお供に医療機器も一緒に荷台に乗せている娘の雨の日のおでかけはなかなかに大変だ。濡れないように車椅子ごと大きなレインカバーがかけられる。 「カバーかけるよー!

          土砂降りと晴れ女

          医療的ケア児の親が働く時越えるべき壁とわたしの未来へのねがい

          働けるかもしれない生まれた時からずーっと心配ばっかりさせてくれた娘が、かつてないほどに元気に学校に休まずに通いはじめたのは小学校3年生の時だった。 その年の秋、医療的ケア児の受け入れ可能な放課後等デイサービスが市内に初めてできて、娘も通いはじめた。 養護学校に通う娘は医療的ケアが必要なため看護師配置のないスクールバスには乗れず、毎日朝9時半の登校時と15時過ぎの下校時の車での送迎は私の仕事だ。 デイにお世話になり始めてからは、それを週に3回、帰りはデイのスタッフさんが担って

          医療的ケア児の親が働く時越えるべき壁とわたしの未来へのねがい

          ゴミ袋が重すぎる

          週に2回の燃えるゴミの日、片手に娘の車椅子、片手にゴミ袋を掴み家を出る。 養護学校に通っている娘は、心身に重い障害を抱え医療的ケアも必要な為スクールバスに乗ることが出来ず、車で送迎している。毎日ドライブ。 登校時、ゴミを先に捨てておけば身軽なのだけど一回で済ませようというのが隠しきれない、大荷物を抱え重い障害の子を乗せたでかい車椅子を片手に、更にもう片手にごみ袋をつかんでいる私の姿ははたから見るとおいおい大丈夫かよとハラハラするらしく、ご近所の誰かしらに出くわすと 「ち

          ゴミ袋が重すぎる