また、おじいちゃんに、おばあちゃんに、乾杯しよう
「会いたい人に会いにいく」
がこんな形で阻まれる世の中が来るなんて思わなかった。
今会いたいけど会えない人の顔、一番に思い浮かぶのは私のおばあちゃんだ。
94歳になるおばあちゃんは言うまでもなく今巷を賑わせているあのウイルスの感染重症化リスクの高いお年頃だ。
13年前におじいちゃんが亡くなってからも一人暮らしを続けていた元気なおばあちゃんだったけれど数年前から施設にお世話になるようになり今はほとんど1日寝て過ごしている。
施設にご迷惑をかけることも、おばあちゃんを感染の危機に晒すことも恐ろしく、親戚一同面会を控えている。
その親戚というのが総勢30人ほどで何か理由をつけては集まり食事をしたり宴会をしたりしてきた。
長期休みにはおばあちゃんの家に泊まりに行き、代わる代わるみんながおばあちゃんの家を訪れてはけして広くない団地の一室を人が埋め尽くし、食事をしたり、お酒を飲んだり、台所に座ったり廊下の隅に座りたわいもないお喋りをしたりもした。
親戚一同でバス旅行でおばあちゃんの故郷を巡ったり、おばあちゃんの米寿や卒寿のお祝いをしたり、叔母さんが定年退職する時には「まとめてみんなディズニーランドに連れてったる!ただし交通費は各自で出せ!」という男前な叔母さんの音頭によりわらわらと大勢でディズニーランドに行ったりもした。
おじいちゃんの法事にもみんなで集まり宴会をしていて、三回忌の時の集合写真はおじいちゃんの遺影を囲み、指でピースサインのかわりに指を3本立てた賑やかな笑顔のみんなが写っている。
去年の十三回忌もみんなで集まってお寿司を食べて乾杯した。
おばあちゃんの施設に面会にいってもおばあちゃんの居室はすぐ人で満杯になり、寝ているおばあちゃんの横でお喋りしたり、おばあちゃんが起きれば
「あっおばあちゃん起きた?来たよ!私、わかる?」
と声をかけ手を握り、全然私達の事がわからなくなってしまってからも、それは変わらない。
「あかんわ全然わかってないわ!」
と苦笑いしながらもみんなおばあちゃんに話しかける。
みんなの中心にいたのはいつもおじいちゃんとおばあちゃんで、みんなが集まるといつも二人ともにこにこしていた。
おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんが施設に入ってからも、みんな何かしら理由をみつけては、集まってきた。繋がってきた。
おじいちゃんとおばあちゃんが、ずーっと、そうしてきたように。
また集まれる時がきっと来る。
その時が来たら、またみんなで集まって笑おう。理由はなんでもいいから。あってもなくてもいいから。またみんなでおじいちゃんに、おばあちゃんに、乾杯しよう。
その時までおばあちゃん、どうか元気でいてね。
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