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なんでもありの音楽の時間をどこへでも


音楽は全ての人に平等だと思っていたけどそうでもなかった。ライブにいきたいけど難しい、同じ世界にそんな人達がいることに、私は気付いていなかった。

そのことに気付いたのは娘が病気と障害を背負って生きていくことになってからだ。


「聞きにいけないならこっちから届けにいく」
という音楽活動をはじめて13年が経つ。

私のところに生まれてきた娘のめいはとんでもなく珍しくそして難しい病気を抱えていて、そしてその病気はやがて娘から健康な体だけでなく健常な体も奪っていった。
病状が急変し心肺停止、低酸素状態が長く続いた娘の脳は大きなダメージを負って、医療的ケアの必要な重症心身障害児となったのは生後7ヶ月の時だった。
娘が病院を飛び出しはじめて家に帰れたのは1歳2ヶ月の暑い暑い夏の日で、それから8カ月経ち春がやってきた頃、今度は家を飛び出して療育園に親子で通い始めることになった。

ドキドキしながら仲間入りさせてもらったクラスには娘と同じように医療的ケアの必要な子達がいて、そこで出会ったのが琴ちゃんとそのお母さんのゆきちゃん。

はじめましてのその日、クラスのみんなで円になって自己紹介をした時、ゆきちゃんがしゃべっている姿を見た時「あ、この人多分歌うたう人」となんとなく思った。

「もしかして歌うたいます?」
と尋ねたらやっぱりそうだった。
「私も歌っていて、夫も作曲と編曲の仕事をしていた人で、音楽学校で出会って。」
「私音大で声楽やってた。うちの旦那もギター弾くねん!」
「子供連れてると、まして医ケア児連れてると気軽にはライブとか思うようには行けへんよな」
「発達クラスの子達もじっとしてられへんから行けへんて言うてた。」
「私ら音楽できるなら届けにいけるね。なんか一緒にやらへん?」
何度か家を行き来し一緒に歌ったりしあっているうちに、ゆきちゃんが歌、私が歌とピアノ、ゆきちゃんの旦那さんがギター、うちの夫がカホンでバンドが出来上がった。

琴ちゃんの、当時小学校3年生のおにいちゃんが
「ミュージックグループを略してミュジグルがいい!」
とバンドの名前を考えてくれたのだけど、メンバー誰もミュジグルを噛まずに言えなかった。言いにくいわ!というわけでムジグルという名前になった。
当時在籍していた療育園での初ライブのあと口コミで少しずつ広がり、今では学校や幼稚園保育園、病院や施設、各種イベントなど、色んなところで演奏させていただく機会を得ることになった。

病気や障害は望んでもないのに、呼んでもないのにどこかからやってくる。
娘は生まれた時に病気を、そしてある日突然障害を、そして琴ちゃんも、ある日突然障害を背負って生きていくことになった子の一人だ。3歳の時、交通事故だった。
それは、この世の理不尽を煮込んで煮詰めてジャムにでもしたんか、と思うくらいの理不尽で。
それでも、そんな理不尽を背負いながら娘や琴ちゃんはたくさんの人の手をかりながらちゃんと幸せに生きてきた。
この子達が見せてくれた世界は、出会わせてくれた人達は、何一つ、誰一人、失いたくない宝物ばかりだ。
ムジグルの13年間も、ムジグルがくれたたくさんの出会いも。

できることなら音楽は誰にでも平等であってほしい。平等でないと嘆く人のところには、こっちから届けにいきたい。
楽器とアンプを担ぎ、マイクを掴んで、どこへでも。

ムジグルのライブでは、騒いでも、歩き回っても走り回っても、泣いちゃっても、眠っちゃっても、楽器を触りに来ても、大丈夫。
こどもが迷惑かけたらどうしよう、なんて心配も手放して、親御さんも楽しんでほしい。

なんでもありな音楽の時間は私たちにこれまでたくさんのものをくれた。きっとこれからも。
もらった宝物みたいな大切な時間のことを、少しずつここに書き残していきたいと思う。

いただいたサポートは娘の今に、未来に、同じように病気や障害を抱えて生きる子達の為に、大切に使わせていただきます。 そして娘の専属運転手の私の眠気覚ましのコンビニコーヒーを、稀にカフェラテにさせてください…