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娘が娘として生きる力

リハビリの先生が2年ほどおやすみされることになり、その間担当が交代することになった。
「はじめまして」のその日、どんな先生かな、娘はどんな反応するかな、とちょっとドキドキしていたのは私だけだったようで、娘は初回だというのににっこにこで。あらもう仲良くなったん、よかったねぇ。

そうなのだ、このところ、リハビリの担当替えにも動じず、新しい支援者さんにも動じず。クラス替えにも動じず。こんな子やったっけ?いやいやいや…
帰り道、昔のことを思い出していた。

はじめての小さな変化を経験したのは療育時代の進級時。といっても所属クラスは変わらず、教室の場所もそのまま、お友達が少し入れ替わりがあったのと、担任の先生も基本的に変わらず新しい先生が加わったくらいで、そう大きな変化はなかったのだけど。
新しく加わった先生が
「私からは給食を食べてくれへんし、笑ってくれません…」
と嘆いていて、その先生から給食を食べるようになるまでは暫く時間がかかって、その後毎年春には新しく加わった担任の先生からはやっぱりしばらく給食を食べなくなるのだった。
体を張った人見知りやめて。ごはんは食べて。

そうやって5年間通った療育を卒業して養護学校に入学した時、それはめいにとっても初めての大きな変化で、やっぱりまた給食を食べなくなって、せっかく休まず登園を積み重ねられるようになっていたのに、体調まで崩しがちになり学校を休むことが多くなった。繊細か。

先生方はその繊細さにゆっくり向き合ってくださり、本来クラス内の担任の先生が日替わりでそれぞれのこどもに付くとこになるところを娘には毎日同じ先生を付けてくださった。
娘はだんだん先生のことが好きになって、笑顔が増えて、給食を食べるようになり、友達が好きになり、他の先生のこともちゃんと好きになって、学校が好きになって、学校を休むことも学年を上がるにつれだんだんと少なくなっていった。

それでも毎年のクラス再編成の時には、同じクラスで教室の場所も友達も基本的は同じで、担任の先生は必ず誰かが持ち上がるという配慮をしてくださっていて、本当にありがたかった。
そんな中はじめての“クラス替え”を本格的に経験したのは6年生の4月。新学期登校すると、新しいクラス、教室は前年度の隣、前年度と同じお友達なし、担任の先生の持ち上がりもなし。
娘はどんな反応をするかな、と思っていたら、新しい教室にも担任の先生にもお友達にもすぐ慣れた。小学部の6年間で初めて全ての行事に休まず参加して、それまでの人生で一番元気な1年間を過ごした。
養護学校の先生達の
「今ならいける大丈夫ちょっと頑張ってごらん」
と子供達の力を見抜き背中を押す力はすごい。

中学部に入ってからは毎年クラス替えがあり教室の場所も担任の先生もガラリと変わっているけれどまったく動じることもなく毎年
「ことしはこんな感じか〜」
くらいに思っているとかいないとか、本人は語らないので本当のところはわからないけれど、かくして人見知りの繊細な子はどこへやら、はじめましての人ににこにこ、どうぞよろしゅうに、と笑顔を振りまく子へと、人が好きな子へと変わっていった。

娘なりの15年間の人生が、経験が積み重なって、娘が娘として生きていく力に、ちゃんとなっている。
あと、昼寝はほとんどせず、家以外ではまず寝ない、というスタイルを貫いていたのが最近「眠たい時はどこででもなんとしても寝る」子になったのも、強い。

この3月、娘は中学部を卒業して高等部に上がり高校生になる。その先は養護学校を卒業して大人の世界。なんとかなるやろ大丈夫、この先も。
きっと、娘は大丈夫。

いただいたサポートは娘の今に、未来に、同じように病気や障害を抱えて生きる子達の為に、大切に使わせていただきます。 そして娘の専属運転手の私の眠気覚ましのコンビニコーヒーを、稀にカフェラテにさせてください…