見出し画像

いってらっしゃい


先日、14歳中学2年生の娘が初めて私の手を離れて学校へ行った。
なに言ってんだ。そりゃいくだろうよ、歩いて、一人で、友達とでも、学校ぐらい。
当たり前のことじゃないか、そう思う方もいらっしゃることだろうけれど、私にとっては、私たちにとっては特別で、とても大きな一歩になった。

娘は医療的ケアを必要とする重症心身障害児だ。所謂寝たきりと呼ばれる状態で、歩くことも話すこともできないし、自力で座ることもできない。特別な車椅子に乗り、さまざまな医療的ケアや医療機器、福祉制度、そしてたくさんの人の手を借りて毎日生活している。

医療的ケアの必要な娘は、養護学校のスクールバスに看護師配置がないため乗ることができず、毎日私が運転する車で学校へ通っている。
娘のような子の通学を子供の権利としてどう保障していくか、ということはもう何年も前から問題として認識されていて、たくさんの人が声を上げ、話し合いを重ね、遠くの他の県で送迎が開始されたり、他の市で実証研究が開始されたりするのを羨ましい気持ちで眺めていた。

そんな中、2020年の秋、とある手紙が突然学校を通じて障害福祉課から届いた。手紙の内容を簡単に説明すると、こう。

「あなたの娘さんを訪問看護師と移動支援事業所がタッグを組んで学校まで送っちゃうよ!まだ実証研究だから年間10回までね!詳しくは学校で説明会やるいからきてね!(超要約)」

先生達も親の私たちもそれはそれは、驚いた。養護学校に入学した8年前から、いや、それよりもっと前からなかなか解決されずに持ち越されつづけてきたこの問題、ここに至るまで色々とあり、正直なところもう娘が養護学校を卒業するまで送迎は続くものと半ば諦めていた。

突然の嬉しいお手紙から、何度かの書類のやりとりや、お世話になっている訪問看護師さん達や、はじめましての送迎事業所さんと日程調整を経てついにその日はやってきた。

このところ起きられない朝の多い娘だったけれど、何日も前から言い聞かせたのがよかったのか、はたまたたまたまか、わからないけれどなんとか起きてくれた。声をかけ体を動かし促し目を覚ますまで1時間かかったけれど、まぁよしとする。

眠そうな顔をしながらも、自発呼吸はしっかりとできていて、夜間は全力で身を委ね100%呼吸を任せ切ってしまうため眠っていると外せない呼吸器も外せた。車椅子にも乗れた。荷物も持った。忘れ物もない。忘れっぽい私、いつも以上に前の日からソワソワと準備をしたのだから、多分ない、多分。

ドキドキしながら約束の時間には少し早いけれど家の外に出たら、既にお迎えの車は待ってくださっていて見慣れた顔が笑顔でぶんぶん手を振ってくれている。
いつもの訪問看護師さんと、訪問看護ステーションの所長さん、それからはじめましての送迎事業所さんの方が待っていてくれた。おはようございますとはじめましてよろしくお願いしますの挨拶もそこそこに、看護師さんが
「おかあさん、今から玄関まで迎えにいこかなと思っててん!」
そう言いながら娘の車椅子を私の手から引き取り、慣れた様子で押して歩いてくれた。

朝の様子や体温などの引き継ぎを済ませている間に娘はするすると車に乗せられていく。
「…こうやってここで見送るだけで学校に行けるんやなぁ…。なんか、もう、すごいですね。」
思わず呟いたら
「アハハ!もう中2やからね!」
しみじみ噛み締める私と違って、当たり前みたいにそう言って看護師さんがいつものように底抜けに明るく笑った。

「じゃあ、いってきます!」
「いってらっしゃい。よろしくお願いします。」

ドアが閉まり車が動き始めてから道路に出ていくまでの間手を振って見送った。運転手さんは微笑み会釈してくださって、看護師さんと所長さんはにこにこしながら大きく手を振ってくれて、娘は看護師さんの方を向いていて、どんな顔をしているのか私からはもう見えなかった。きっと笑って楽しく学校に向かったと思う。

娘を乗せた車を見送りながら、なぜか昔の記憶がブワッと蘇った。
産まれてすぐに連れて行かれてそのままNICUに入院し毎日短い面会時間を心待ちに恋しく思っていたこと。遠く離れた病院まで毎日2時間かけて通った日々。病院から泣きながら帰ったこと。
いつ死ぬかわからない我が子から離したくもない手を何度も離さなければならなかった日々。

そんな離したくない手を離さなければならなかった日々は後に、離したくてもなかなか手を離せない日々に変わるのだから人生って本当にままならず、わからないものだ。

多くのこども達は年齢とともに体も心も育ち、一人で歩き始め、ひとりで着替え、お風呂に入ったり、時にひとりでスタコラ走り去り親をヒヤヒヤさせたり、そして友達を作り、ひとりで学校へ行き、親の知らない子供だけの世界をグングン広げていく。そうやって多くのこども達が少しずつごく自然に親の手を離れていく中、なかなかそうもいかないのが、うちの娘。

だけど、ひとつずつ助けてくれる手をとる度に、離せない私の手を優しく離してくれる人に出会うたびに、そのどれもが娘と私たち家族の宝物になっていく。

初めて家族と離れて登園する時間を過ごした療育園。
ヘルパーさんと入ったお風呂、そして訪問入浴。
訪問看護師さんにお任せする医療的ケア。
おばあちゃんちにひとりでお泊まりするかわりにレスパイト。
私と離れて過ごす学校、放課後等デイサービス。

そして今、笑って手を離せる瞬間をひとつ重ねられたこと。そこに不安や心配をせずにいられること。こうやって少しずつ娘なりのスピードで手を離していけること。それがどれだけ幸せなことか。

14歳の娘から手を離せることは当たり前じゃない。当たり前みたいに支えてくれる人のおかげで幸せな気持ちで手を離せた日のことを、ちゃんと覚えていよう。今もまだ少し切ない気持ちで思い出せる昔のことのように、今の思いもそれを懐かしく思う日まで、小さく大きな一歩を積み重ねていく。


明日また、娘が私の手を離れて学校へ行く。
まずは娘、明日ちゃんと朝起きておくれ。話はそれからだ。

いただいたサポートは娘の今に、未来に、同じように病気や障害を抱えて生きる子達の為に、大切に使わせていただきます。 そして娘の専属運転手の私の眠気覚ましのコンビニコーヒーを、稀にカフェラテにさせてください…