見出し画像

おとなに、なる。

「もう最後の乳歯やね」
14歳、娘の最後の乳歯が抜けた。正確には抜いてもらったのだけど。
一般的に小学校高学年ぐらいですべての乳歯が抜けおちるものらしく、娘は少しばかり遅かったようだった。

重い障害を持ち自分で立つことも座ることもできない娘の体は小さく、20kg程しかない。歩かないからか、手足も小さく、骨もとても脆く細く折れやすい。実際なんてことないリハビリの最中に骨折したこともあった。
娘の体はいくつのも手術の痕があり治したり造ったり補ったり、生きるために頑張った証がたくさんある。生きていく道のりが、人よりちょっとばかり険しく遠く、ちょっとばかり背負う荷物の量が多い。
そんな娘の体がゆっくり、でも確かに一歩ずつ、しっかりと大人への階段をのぼっていく。

「最後の乳歯だと思うと感慨深いね。持って帰ります?」
と先生が言って、衛生士のお姉さんがかわいいケースにゴムをつけて、歯を入れて娘の腕にちょこんとつけて持たせてくれた。
治療後待合でそれを眺めていたら、視界がちょっとにじんできたりして。

画像1

娘が障害をおうことになったのは生後7ヶ月の頃だった。まだ娘が幼い頃は同じ年頃の健常の子供達を見ては胸が苦しくなったり、涙が止まらなくなったりして、娘が失ってしまったものにばかり目が向いた。なにもかもが羨ましかった。
よそはよそ、うちはうち、を地でいくようになるには時間も、居場所も、仲間も、支援も、たくさんのものが必要だったのだろうと今ならわかる。

今、中学2年生の子供達を見て
「中2って、もうこんなにしっかりしてるんか…!娘がもしも健常だったら、どんな女の子に育っていたんやろうな…」
とは思うけれど、あの頃のように胸を痛めたり泣いたりはしない。
娘は娘の人生をゆっくりのんびり自分のはやさで歩んでいることを知っているから。

長きにわたる入院生活紆余曲折を経て1歳をすぎてようやくたどり着いた在宅生活の基本的戦略は「いのちをだいじに」であり、歯のことは正直なところ優先順位は低かった。
毎日のように続いていた嘔吐が胃ろう造設と噴門形成の手術のあと落ち着きだした頃、娘の歯には乗り越えてきた嘔吐嘔吐の日々のせいでたくさんの歯石ができていて、飲んでいた薬の副作用で歯茎も腫れていたりして、歯医者の受診をすすめられたのだけれど、娘は紹介された先で治療を断られてしまった。

はて、どうしたもんか…重い障害を持つ子の歯科受診、歯医者さんにあるあの椅子座ることはおろか「お口あけてね」と言って口を開けてくれるわけでもなく、治療内容によっては全身麻酔になったりするらしい、下手したら嘔吐し治療中誤嚥させてしまう子の行ける先がそう多くはないことは明らかで、断られたことはショックだったけれど、まぁ、いや、この子みるの大変ですよねわかります…という気持ちもあった。

困り果て、この状況を歯科衛生士の友人に話したところ、彼女が昔働いていた歯医者さんに事情を話してくれてそこの先生は娘に会ってもないのに
「大丈夫、なんとかするからおいで。」
と、引き受けてくれた。
娘が5歳の時から今までお世話になっている、この歯医者のK先生は、会う前もはじめましての時も今もずっと変わらずに
「あー大丈夫ですよー」
と、いつもの調子で穏やかに言う。
二つ返事で引き受けてくださった上に初めて会った時も娘を見て表情ひとつ変えなかったので娘のような子の治療に関わったことがあるのかと思ったほどだったのだけど、そんなことはなく、まったくの初めてだったらしい。

さてこれから治療や検診をどうやってすすめていこうか、どうやっていこうか、車椅子、こんな風に倒せるのか、はー、なるほど、ほな車椅子に座ってここをこうして、うん、こうやってみようか、あー、こうするとしんどくないんやね、なるほど、なるほど…

丁寧な聞き取りと作戦会議により、娘の治療は車椅子にのったまま行われることになった。

無理だと言われていた歯石とりもしてもらい、娘の歯はピカピカになった。検診にも通った。娘は嫌がらなかった。

抜歯の時もこのところ力が強くなって油断するとそこそこの力で強パンチを繰り出してくる娘の両手を持っていたらいつものようにゆっくり丁寧に麻酔をかけながら先生は

「あー、大丈夫ですよー」

と言った。実際、娘は先生のやることをまったく嫌がったり痛がったりしない。


ゆったりとした治療の合間に先生はいつも豆知識を色々と教えてくれた。学生時代に歯医者さんは「痛くない治療のための知識」は一切習わないらしく現場に出てから自分でそういった情報に手を伸ばしたり学んだりするのだと言う。
娘の歯を抜く時先生は「ここから麻酔を始めると痛くない」とか「ほら、だんだん歯茎が白なってきたでしょ」とか実況してくれるのでいつも横で見ている私も「へぇぇぇ」とか「うわぁ、ほんとですね…!」とか言いながら、麻酔の針を刺されているとは到底思えないようなリラックスした様子の、時折にこーっと笑う娘の手をもしもの強パンチに備えてそっと添える程度に持ちながら気楽に見ているだけなのだった。結局、今まで強パンチが出たことはなく、にこにこしている間にいつも治療は終わる。

娘のような子はとにかく関わる方に専門性の高さを求められることが多く、実際に専門的な知識や技術を持ち娘と同じような子達のことをよくわかっている方に関わってもらうことがとても多い。それはありがたく安心できるものであるけれど、その垣根をピョンと飛び越えられた時の喜びも、それはそれは大きなもので。
飛び込めば受け止めてくれる人も、もしかしたら私が思っているよりもずっと多いのかもしれない。

ひょんなことから開けた新しい場所で出会えた頼もしい先生と歯科衛生士さん達に
「ほんとに大きくなったねぇ」
と言ってもらえること。最後の乳歯を抜く瞬間を共有させてもらえたこと。
「もう大人の歯やから、また定期検診して大事にケアしていこうね。じゃあ、また3ヶ月後に。」
これからも一緒に娘を見守ってもらえそうなことが、嬉しくて、心強くて。

また、きます。歯、頑張って磨きます。


晴れて大人の歯になった娘のほんとのほんとの、大人への道のりはまだちょっとばかり険しく、遠い。ちょっとばかり人より多い荷物を私も一緒に背負いながら、今まで出会えた人と、これから出会える人達と多くの人の力を借りながら、娘はこれからもあるいていく。おとなに、なる。



いただいたサポートは娘の今に、未来に、同じように病気や障害を抱えて生きる子達の為に、大切に使わせていただきます。 そして娘の専属運転手の私の眠気覚ましのコンビニコーヒーを、稀にカフェラテにさせてください…