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豆腐メンタルのSMA。But, I'm stronger than you think.

自己肯定感が無い私。

少しあるとかじゃない、ZEROなのだ。

私は障害者

自分自身を愛するのは難しい。
私は特にそうだ。

自分のことを、
美しいと思えない。

外見のコンプレックスがたくさんありすぎるからである。

それに至るまでには、様々な理由があるが、

何でだろう?

、と疑問に浮かんだときに
育ってきた環境や、人間関係、自分の性格など色んなことが複雑に絡み合って、今の私が形成されてきたからだと考えられる。

特に、私の中で最も大きな理由としてきたのは、

"自分が障害者である"

ということが、コンプレックスになってきたからだと思う。

では、なぜ私にこの"コンプレックス"があるのか?

障害を理由にやりたいことができなかった経験や、時には挫折したり、
断られることが多かったかつての自分。

それらが影響しているのではないだろうか。

この地球上で1人の人間として生きているなか、車椅子だからと何かと断られたり、車椅子だから無理と両親に言われたり、
そのようなことを繰り返し経験していると、

あー私は何をしてもダメな人間なんだ。

と、自分のことをいつの間にか蔑んでしまう。

だめな人間というのが具体的に何かと聞かれれば、私自身もよく分からないのだが、

ワタシ=障害者=車椅子=欠陥品

のような考え方を自然としてしまっている。
(※誤解しないで欲しいのはあくまで私の頭の中の、私限定に対する考えだ。)

果たして私はこの考え方から抜け出せる日が
いつか来るのだろうか。

昔から、考えても仕方のないことを永遠と自分が納得するまで
というか、絶対に納得なんてしないのに考え込む癖がある。

前にも書いた通り、私は2019年からSMAと診断されたわけだが、

その診断が更に

それまでも車椅子生活だった私の自己肯定感を低くした。

とも、思ったりする。

できなくなることが増える日常


私は診断されてからというもの、
たくさんの"前はできてたけど今はできない事"が増えた。

そのたびに、どうしようもなく悲しくなり、
それと同時に今の自分が

すごく、すごく、すごく

嫌いになる。

本当にたくさんのことを、
たくさんの前はできていたことを、どこかに落として、見つけられないまま、失いながら生きている。

そんな暮らしを送るなか、
たまに今の自分の何に希望を見出したらいいのか、わからない時がある。

表面上は極力明るく生きていよう!

と、取り繕うのだが
本来の自分の姿ではない。

今は特に、どうしても自分のことを自分で愛することが困難だ。

季節の変わり目とか、うつ病とか、HSPとか、
様々な理由が私の中で浮かんでくるけれど、

やはり私は、本当の自分はまだ
進行性のこの障害を受容できていないのかもしれない。

セルフラブが難しいことを障害のせいにしたくない!!!!!!

けれど、考えてみればこの難病だと診断されてから、
まだ約3年しか経っていないのだ。

3年という月日の重さは、その人によって早かったり遅かったり。
皆考え方が違うかもしれない。

この3年の中で、私には犠牲があり過ぎた。
悲しくても、辛くても、一人で耐えて我慢することしかできない。

そのほんの一握りがこれらだ。

普段、出かけたりすると次の日は体が鉛のように重く、3日は最低でも回復までに時間がかかる。

以前は1人で出かけられていたのに、今はそれが難しくなってしまった。
何故か?自分自身でトイレに行けないから。


呼吸器を夜間に使うようになってからは、呼吸器を運んだり、セッティングしたり、鼻マスクを装着しなければいけないため、行動の自由度も減ってしまった。


さらに、最近1番自分の中で困っていることがある。

それは、食べることである。

食べ物を口にするという行動は、生きていく上で必要不可欠な、絶対に必要なことである。

しかし、それが今は、ただ、ただ疲れるのだ。

食べることは生きること

人間にとって誰しも食べる事というのは、3大欲求にもある通り
人生の楽しみのうちの1つなのではないか。

そんな些細なことでさえ、最近は悩むようになってしまった。

まずは、お箸やフォークで食べ物を口に運ぶと言う行為、
これがなかなか私には疲れる。

私の首は昔から後ろ向きに沿っているため、
姿勢を変えなければご飯を口に運ぶことが難しい。

いつもは車椅子のベルトを外し、なるべく食器と口の距離を近づけて食べるようにしている。
私は手が上がらないし、口までの距離が長すぎて疲れてしまうからだ。

最近はこの工夫をしていても、疲れる頻度が早くなってきた。

食事の介助は、今の私にとってなかなか抵抗があることなのだが、
そんなことも言っていられない位、疲れの方が増してきているのが正直な気持ちだ。

次に、咀嚼して飲み込むと言う行為。
これが本当に本当に、自分でも嫌になるくらい、疲れてしまう。

飲み込みが悪いのか?というと、まだそうでもないとは自分で思っている。

ただ、飲み込む際に私は呼吸が止まるらしく、
自分でも気づかないうちに体力をそこに使ってしまっている。

くっそ燃費が悪すぎる😇


体に悪いと知りながらも、1日3食きっちり食べる事は今の私にとっては大変疲れるため、
現状としては1日1食になってしまっている。

外食は特に疲れる。

先日もいろんな用事が終わった帰りに、彼とサイゼリヤへ食事へ行った。(もはやホーム🏠)

私はハンバーグとライスを頼んだのだが、途中で疲れてしまい、
結局半分食べ終えたところで、彼に食べさせてもらうと言う羽目になってしまった。

本当はそんなことを彼にさせたくは無い。

そして何だかそんなことすらも出来なくなってきた自分が、
前はできていたからこそ、どうしようも無く惨めに思える。

こんな風になってしまった自分を自分が許してあげれないのだ。


慣れてしまえば、毎回そんなに辛い気持ちになることもないのかもしれない。
だが、今はまだ嫌で嫌で嫌で、悔しくてたまらない。


全てを障害のせいにはしたくない

ここまで、ネガティブモードでズラスラと書いてしまったが、
私は私のこのマイナスな感情や思考、また自己肯定感の低さを
全て自分のSMAという障害のせいにするのは違うと感じる。

障害のせいにするのは簡単だ。
でも私はしたくない。


自分の身体はこれしかないから、
これで生きていかなければいけないから、
障害者として生まれてしまったから。


これも持論だが、

SMAでよかった☺️

と、思うことなんて正直あまりない。あまりというか、ほとんど思い付かない。w
(あ、友達との出会いや、色んな素晴らしい方々との繋がりは別で😘)

歩けたらいいのになぁとか〜
健常者だったら介助がいらないのかなぁ〜
手繋いでデート出来たのかなぁ〜

と、思う事は多々ある。

普通ってなんだろう?私は普通じゃないのかな?

と、感じる場面に遭遇したこともこれまでに何度もある。

私は勝手に自分のことを
SMAインフルエンサーとして名乗りながら活動しているが、
このノートは私の心の中の正直な部分や、私の心のはけ口として書いているから

今の心情だったり、その時に思ったことだったり、
こんなことが悲しかったとか、こんなふうに障害が進行してしまったとか。

そんな暗い部分も含め、
ありのままの自分の生き様をこれからも勝手に綴っていけたらと思う。

これが何も隠していない、本来の私である。

インフルエンサーがこんな豆腐で良いのか?

と言われたらそれまでだが、

今日もそんな豆腐は、この人口密度の半端ない東京で生きている。


最後に、
1つこの文章を読んでいただいた障害のある方に質問させて欲しい。


あなたはどうやって、どのようにして、自分の障害を受容しましたか?

そして、それはどれくらいの年数がかかり、何がきっかけでしたか?



生まれつきの障害でも、中途障害でも、どちらでも構いません!勿論、匿名でも大丈夫です。

コメントや、私のTwitter、Facebookなどで教えていただけると

頑張ろう💪🏻頑張らなきゃ🤟🏻

という、個人的な励みになります🥺



私は変わりたい。

繊細過ぎてほんの少しのことでも傷付くし、
毎日頭の中で色んなことが右往左往しているが


病気になんて、進行になんて、負けていられないのだ。

というか、負けたくない。

絶対に後悔する人生は送らないと、日々心に決めているのだから。
死ぬまでにやりたいことをリスト化していて、まだまだ項目が残っているのだから。



弱音を吐いても強くあれ、私。

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