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大切な人だから 自死について

カレンダーをめくって「あぁもう10月だね」と話してから、「もう11月になっちゃうよ」の、そのたった1か月。2,000人以上。自分で死を選択せざるを得なかった人がいる。その周りには、もう会えないその人の家族がいて、友達がいて、同僚がいて、子どもがいる。

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自死を選ばざるを得なかったその人は昨日、電車の中で隣のつり革に掴まっていた人かもしれない。いつも立ち寄るスーパーで野菜を選んでいた人かもしれない。いつ帰ってくるかとご両親が心待ちにしていた人かもしれない。2000人もいるんだから。あの人かもしれない。その人かもしれない。

私も、残された人です。親友と、母と。まともに仕事をすることは出来なくなりましたし、睡眠導入剤がないと眠れなくなりました。精神科病院に入院していた前後のことは、薬の影響からか覚えていないことが多々あります。前向きに生きるということは出来ず、どうせ死ぬまで生きているだけだと感じながらの毎日を過ごしています。趣味としていた活動は、興味がなくなりやめました。どんなに優しい人に励まされても、寄り添ってもらっても、心の底はヘドロのようなもので覆われていて、その方の優しさを全力で受け止めることは出来ません。ごめんなさい、力になれずごめんなさいと、6年間プラス2か月間、罪悪感とともに必死で息をしています。

「死にたい」と検索してみると、相談電話の番号が表示されます。もし、ちょっとでも気が向いたら、頼ってください。優しい女性が出てくれるかもしれない。事務的だけど的確なアドバイスをくれる男性が出てくれるかもしれない。このnoteを通じて、コメントをいただくことでも、何か私にできることがあるかもしれません。死にたい方の中には、より良く生きたいという願いが、希望が、絶たれてしまった方もいらっしゃると思います。私の親友も、母も、生きたいと思っていました。亡くなるその日まで、明日はいい日にしたいと願っていました。

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残された人、遺族は、その2000人の何倍も存在します。先月も、先々月も。年間で3万人近い方が自死で人生を終えました。残された私たちには、時薬でしか救われる方法はないのでしょうか。遺族の皆さん、どのように生活していますか?どうしたら、罪悪感の中でも笑顔の瞬間を得られますか?自死遺族は、同じ道を選んでしまう確率が高いそうです。

どうかお願いです。私たち自死遺族が人生を全うして、自死で先に空へ逝ってしまった大切な人に、沢山の思い出話を聞かせてあげられるような救いの制度、救いの場、救いの輪をもっともっと自由に、公に広めてください。集いの場も、グリーフケアも。こんなにも沢山の人が死を選んでいます。苦しんでいる遺族がいます。死の話を、こそっと控えめにしないで。タブーにしないで。

一気に書いてしまいました。つらいお気持ちにさせてしまった方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

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